私が大好きで大切な子から考えたあれこれ。
ほんとにこの子は、純粋にその役として生きてて「森七菜をよく見せよう」っていう下心とか邪心を感じない。「森七菜が曲伊咲になるためにどうしたらいいか」だけを真っすぐに考えてるように見える。
それ、今までの作品全部そう。
純粋に役として生きることだけ考えてるから、それが結果的に森七菜そのものの評価というか、森七菜自体も愛される存在にしてるというか。
大体の人って「ある役をやってる自分」に目がいってんの。学芸会の劇で大体の人が恥ずかしがるのは「その役をやってる自分」を気にしてるから。で、芸能人になってもその学芸会マインド引きずってるままの人多いよ。
一応芸能人だから、表情の管理とかは人よりできて、技術でなんとかなってるけど。
「歌手 森七菜」も「今の自分が歌手として振る舞うためにどうしたらいいか」を七菜ちゃんなりに考えてできるベストを尽くした結果があのライブだと思うし、今の自分以上に大きく見せようって邪心がない。よく「楽しんでやれ」っていうけど、楽しんでる時は純粋な気持ちしかないから。
その自分との向き合い方と役、表現との向き合い方、すごいって。半端ないって。
そこに私は尊敬するし、憧れるし惹かれてるんだと思う。
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