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ある世界とない世界


ショート動画を見ていたら、あるユーチューバーの動画が流れてきた。
「自分は占いとか霊とか信じないタイプなんだけど・・・」
そんなセリフから始まる動画は、すごい占い師がいたという話題だった。

何も言わなくても言い当てられて、驚いたこと。自分すら知らなかった家族のことを言い当てられた。ネットにも乗ってない場所を示されて、調べたら実際にあった。あの人はやばい!
まくし立てるように話すその人は、本当に信じられないといった調子で、聞いている相手も首をかしげている。
「どうやって調べたのだろう・・・」
「どんな仕掛けがあるのだろう・・・」
と言いながら

わたしはその光景を見て、一緒に首をかしげる。
この人たちは、本当に「霊視」と呼ばれる感覚がないのか・・・
本当に、この感覚が分からないのか・・・?という疑問がわたしの中には浮かんでくる。わたしには子供のころから当たり前にある感覚であり、「視える」と呼ばれる感覚は、本当に他の人の中にないのか?
正直驚いてしまう。
どうやって調べたのだろうというセリフが本当に突き刺さる。

霊視ができる人にとって、物事はすべて知る気にならないと知れなくて、知っていることしか話せないということはない。知らないことが脳に流れてきて、知らない知識を思考を介さずに話すことができる。思考を介さずに話す。わたしは占いをするとき、大体この状態になる。だから、鑑定後、話の内容をほとんど思い出せないことがある。自分の思考を介してないし、考えていないから覚えられないのだ。この時はまさに「霊視」の状態。
逆に、自分の占いである「じゅうの診断」で話をしている時は、活発に思考して論理的に考えるので、気質の話をしていることは良く覚えている。だから、その人が何のタイプで、どんな状態で、どんなふうに考え行動するかのアドバイスをした情報のみがわたしの記憶に残り、これはリピートしてくれた時に「覚えている」情報になる。


占い番組で、占い師が言い当てるシーンを見て、スタッフが調べているんだとか、以前他の番組で相談者が話していた内容だとか言って、どうしても占い師を「インチキ」扱いしたい人がいるのを知ったとき、驚いたことを思い出す。占い師が、お客様について事前に調べ、情報を集め、鑑定に反映しているとしたら、それはすごい努力だと思うし、すごい記憶力だと思う。テレビならあるのかもしれない。それはエンターテイメントとして、驚きと感動を与えるのが必須なら、そのために演出として必要なことだと思う。
だけど、野良の占い師がそこまでする必要性はない。野良の占い師だって、エンターテイメントは必要だけど、それは占い師による。サービス精神がある占い師なら、エンターテイメント要素を大切にするだろう。だけど、結局はお客様がどう感じるかはコントロールできないことだから、感動と驚きをどのように組み込むかは本当にそれぞれだと思う。
ただ、視えるという事実をそのまま表現すると驚きを提供することになる。これは、別に故意ではない。ある側からすると、当たり前のことなのだけど、ない側とは一生分かり合えないほどの距離があるように感じた。

もう一つの最近の衝撃。
とある記事で「霊視」について独自の見解を書いていた方がいて、こざかしいほど物事を言い当てたりするのは低級霊の仕業だと書かれていた。

これまた顔を殴られたような衝撃。
「はい!わたしは小賢しいほどに物事を言い当てる占い師です。」
とコメントを残したくなるほど。
ってことは、わたしの後ろの人は低級霊ということですね!しかも、わたしは憑かれていると。そのことについて、最初はモヤモヤとした雲が心を覆いってきたが、30分ほどお昼寝をしたらすっかり回復。

それは、やはり結局はワンネスだとか、アカシックレコードだとか、あれこれ知識を吸収した結果、考えるだけ無駄だと思ったから。

ただ・・・・
ある人とない人では、見ている景色も聞いている音も感じている感情も全く違うということ。
わたしはたまたま、霊感というものがあって。そのことを体験することができる。見たこともない景色、入ったこともない家、会ったこともない人が自分の脳内で再生され、メッセージを受け取ることができる。
この能力は良いわけでも悪いわけでもない。低級霊だろうが、高次の存在だろうが、何も変わらない。ただ、ある。嘘でもインチキでもごまかしでもない。
ない人が、ある人を懐疑的な気持ちで見るのは、ない世界で起きていることで、ある世界に生きているわたしをジャッジすることはできない。

やっとここまで強くなれた。と思う。霊感があることを昔は隠していた。インチキを暴こうとするような意地悪な質問と対峙するのは嫌だったし、化け物扱いするような陰湿な態度はごめんだった。
今はその能力で仕事をしているのだから人生は分からない。
その立場に立たないと分からないことは世の中にはいっぱいある。分からないことを独自に理解しようとする人を、良いとも悪いともわたしは言えない。わたしにも分からない世界は沢山あるのだから。


霊感がある人をあまりいじめないでほしい。
巫女や霊媒を仕事にしていた人の排除があった歴史。物質至上主義である現代。その中でもひっそりと活動を続ける人たちがいます。神様の声を聞き、少しでも人生の使命を思い出してもらうために真摯に話をしています。嘘やインチキだと思う人はきっと「ない」側の人。ある側の人でさえ、やはり懐疑的なのです。多様性の時代ですから、よく分かんないけど、あるよね!くらいの感じでいてほしいと思うのは、やはりある側のエゴでしょうか・・・。


ある世界とない世界について考えさせてくれる、この力は

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