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no.013 “愛と勇気”で、みんなヒーローになる

死生観ヲタク
『親たちはどう生きるか』著者
青木佑太さん(群馬県渋川市)


2019年10月、青木さんは最愛の息子である一馬くん(当時4歳)を急性リンパ性白血病で亡くしました。
それをきっかけに、この2つの使命を得ました。


『病気のお子さんとそのきょうだいさん、パパママをサポートする』
『人生をめいっぱい楽しむ人を増やす』


付き添い入院しているパパママの食事サポートをするキッチンカーの運営。
肉体的・精神的に負担が大きかった自身の経験から、栄養があって手軽に食べられる温かい食事を届けるために、病院の敷地内でスープやおにぎりなどの販売をしています。

また、障がいをもっている子や難しい病気をもっている子の兄弟たち(そういった境遇の子どもたちを「きょうだい児」と呼び、青木さんは「きょうだいさん」と呼んでいます。)がめいっぱい遊べる場作りをしています。
青木さん夫婦は、当時2歳だった娘の優里南ちゃん個人の記憶がほとんど残っていないと言います。それくらい一馬くんに気持ちが向いていました。
そんなきょうだいさんたちが抱える寂しさや不安、我慢といった感情を少しでも和らげるために、『ヤマアソビ KIDS CLUB』という遊び場作りの活動をしています。

そして、一馬くんが自らの命をもって教えてくれた【死生観】を伝えるために、著書『親たちはどう生きるか』を出版したり、各地でお話会を開催しています。

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一馬くんの死をどのように受け止めて昇華し、青木さんの【死生観】や今の活動に至ったのか。
一度きりのいつ終わるか分からない人生をどう生きるか。

さまざまな想いを胸に抱え、『今』というこの瞬間を大切にしながら一度きりの人生をめいっぱい生きています。

キッチンカー“fufufu soup” を運営する青木さん夫婦


自分の人生を生き抜く

一馬は1年間の闘病生活の末、家族に見守られながら最期は自宅で亡くなりました。

「最後の砦病院」と言われる国立がん研究センターで余命宣告を受けてから、一馬の幸せを一番に考えて地元群馬へ帰ることにしました。

『家に帰ること』『行きたいところに行くこと』『会いたい人に会うこと』『やりたいことをやること』

この一馬の希望を叶えるために群馬に帰ったのに、私は引き続き病院で抗がん剤治療を続けることにしました。
「一馬の希望を叶えさせてあげたい」と思ってはいても、「余命宣告を受けたけど奇跡を信じて治したい」という自分のエゴとずっと闘っていたのです。


そんな中、在宅緩和ケア医として著名な萬田緑平医師を紹介していただきました。

一馬の現状を伝えるなり先生は、

「それは治療ですか?延命ですか?
 親ならば生きてほしいと願うのは当然です。けれど本人の気持ちはどうでしょう?
 本人の意思を尊重すれば、結果がどうであれ、本人も家族も後悔なく満足で終わることができる。つまり成功という体験で終わる。
 私は『残念でした。』という言う係はもう辞めました。」

といったことを私と妻に話しました。

私は萬田先生とお会いしたこの時に初めて、生と死の捉え方、つまり【死生観】というものを意識したように思います。


それでも一馬とお別れする最期の日まで、「奇跡で治ってほしい」という自分のエゴと、「一馬の希望を叶えて笑顔でバイバイしたい」という心から一馬のことを思う気持ちの葛藤は続きました。
我が子の死を完全に受け入れることができていなかったのだと思います。

結果、私は「一馬の意識があるうちに笑顔でバイバイする」ことができず、後悔を残してしまいました。今も消えることなく胸に残り、本当に後悔しています。

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一馬は、自らの命をもって私に教えてくれました。


自分の人生を後悔なく生き抜くことと、そのために使命を持つこと。


私はよく思うのですが、子どもの人生に過干渉になっている親が多いように感じます。
親の人生は親だけのもので、子どもの人生は子どもだけのものです。

思うことはあるでしょう。それでも子どもに何かを押し付けるのではなく、信頼して見守りながら、時に必要があれば促して導く。
大人も完璧な人間ではなく、むしろ無垢な感性で直感のままに動く子どもから気づくことさえありますし、大人も子どもと共に成長していくように思います。

そして子どもは親の姿を見て育つからこそ、親も自分の人生を楽しく生きるべきです。
一馬の死をきっかけに、私は自分の使命、つまり【自分の命の使い方】を見つけました。これまでの人生が反転して、今ではとても充実した日々を送っています。


いつ死ぬかわからないからこそ、死を自分事としてどのように捉えるのか。
そして自分の好き・楽しいを大切にし、やりたいことを全部やるくらいの気持ちで、一生懸命に自分の人生を生きる。

後悔なく死を迎えるために、それには使命を持つことが大切だと思うのです。

“当たり前” という幸せに気づく

一馬からの最大のプレゼント、一馬との一番の思い出があります。
亡くなる前々日、私たち家族と従兄弟たち家族が集まった時のことです。

一馬は大好きな従兄弟3人と妹の優里南を隣に呼び、一人一人に「大好きだよ」と丁寧にお別れの挨拶をしたのです。

4歳だからわからないだろうと思っていましたが、一馬は自分の死期を理解し、運命を受け入れていたのだと思います。
だからお別れする前に、心を込めて「好き」という気持ちを伝えて「笑顔でバイバイ」をしたのです。大人でもできる人はなかなかいないと思いますし、純粋な子どもだからこそできたのでしょう。

私はこの時に、大切な人に「好き」という気持ちを伝えることの大切さと、人を年齢で判断することの愚かさを教わりました。

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人が死ぬ最期の時に残るのは、物でもお金でもなく思い出だけです。
思い出を振り返りながら、目の前にいる人に思いを伝えるだけです。

だからこそ過去や未来ばかり見て不安になるのではなく、『今』を大切に生き、死ぬときに振り返りたくなるような思い出を作ること。


別れは必ず、そしてある日突然来ます。

大切な人がいることや家族で一緒に自宅で生活することは、とてつもなく幸せなことなのです。

当たり前のことなんて何一つありません。
当たり前と思えるような周囲の人や物事に感謝し、気持ちを伝えることが大切なのです。

そのことに気づいた私は、日々過ぎていく日常の中にたくさんの幸せと感謝を感じるようになりました。気づかせてくれた一馬には、感謝の気持ちでいっぱいです。

けれど人間は、そういった小さな幸せになかなか気づけません。失ったときに気づくことの方が多いかもしれません。

“有る”ものを大切にできているでしょうか?
“無い”ものに意識が向き過ぎていませんか?

自分の人生をめいっぱい生きて、どれだけ笑ってどれだけ泣いたか。
大切な人に感謝し、どれだけ「ありがとう」と「大好き」を伝えたか。

私にとって幸せな人生とは、愛と感謝を伝えながら、『今』をめいっぱい楽しんで生きることの積み重ねだと思うのです。

ヒーローからのプレゼント “ 愛と勇気 ”

青木さん夫婦は、一馬くんが亡くなってから2週間という早さで前を向くことができたそうです。
「一馬が教えてくれたことを無駄にしたくない」「そのために自分たちに出来ることは何なのか」という想いから、亡くなった1ヶ月後には病院へ活動の相談に行きました。

こんなにも早く前を向くことができたのは、一馬くんを自宅で看取るために背中を押してくれた萬田先生と一馬くんのおかげ。

お子さんの死をうまく昇華できなくて、なかなか納骨できないパパママもいるそうです。その違いは、最期に後悔があるかないか。
今では大人の最期を自宅で看取ることは多いですが、子どもの場合は99.9%が病院での看取りとのこと。


青木さんは、『一馬の死を乗り越えるんじゃなくて、受け入れる』と話します。

「悲しい」という気持ちは無くなったけど、「会えなくて寂しい」という気持ちだけは今も無くならないそうです。
それらもひっくるめて、一馬くんからもらった思い出と使命、そして最愛の奥さんと娘さん2人への愛と感謝の気持ちを胸に、毎日を大切に生きています。


一馬くんの夢は、『ウルトラマンのような、みんなのヒーローになること』でした。

お話を聞く中で青木さんがふと見せた寂しそうな表情は、一馬くんに会えない寂しさと、笑顔でバイバイできなかった後悔なのかな、と感じることもできます。

けれど、そんな “寂しさと後悔” さえも一馬くんからのプレゼントなのかもしれません。

“寂しさと後悔” はパパの人生を変えるほどの大きな “愛と勇気” となり、一馬くんがパパと一緒に夢を叶えていくための原動力となりました。

今ある不安や苦しみ、過去のあやまちや悲しみを抱えることは、人間であれば自然なことでしょう。
大切なのは、それらを排除するのではなく共に抱えながら、そしてどのように捉えて昇華するのか。愛を自分や他者に向けて、勇気を持って行動し、闇を光へ転じさせることなのだと思います。

ウルトラマンカズマのファイティングポーズ


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