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わが心の近代建築Vol.42 盛美園(青森県平川市/津軽尾上駅)

みなさん、こんちわ!!
11月アタマ、東北地方の近代建築を追いかけましたが、今回は、その中から、何度も訪問するも、ずっと掲載できなかった「盛美園」と「盛美館」について記載します。

【盛美園について】
まず、盛美園は、尾上銀行頭取などを歴任し清藤家24代目当主の清藤盛美(1849~1914)が、1902年から1911年…
およそ、9年後の月日をかけて庭園を完成させたもので、作庭にあたっては東京、京都、四国まで足を運び伝統的な庭園を研究し、大石武学流の名手・小幡亭樹を招き完成しました。なお盛美園という名前は、清藤盛美氏からとられ、戦後に名づけられました。

盛美園築山から盛美館を臨む(2022年6月に撮影)

【大石武学流】
大石武学流に関しては、その成り行きは諸説様々ありますが、大石武学流は特に江戸末期から大正期に弘前/黒石/平川市の津軽地区を中心に築かれ、その数は300とも400ともいわれ、盛美園以外にも数多くの庭園が公開。
この庭園の魅力は、座敷から座って観賞する形式で作られたものが多く、 一番重要とされるのが、「礼拝石(らいはいせ き)」という庭の中央に配置された巨石。
これは神仏を礼拝し供物を置く石であるとも言われ、人が踏むことはいけないとされています。
また、「野夜灯(やどう)」の火窓が正面を向いていることも大石武学流の特徴の一つです。 

盛美館1階ザシキから盛美園を臨む(2022.07.01に撮影)

なお盛美園は、池を中心に「真」「行」「草」の三部から構成。庭園の中央は池泉と枯池の二段とし、池泉には神仙島を浮かべその上に逢菜の松を植えています。「真」を表す築山、「行」を示す築山をつくり、松・かえで・つつじ等を添えて趣きを豊かにしています。「草」は平庭になっていて、天地創造の神々をつかさどったイチイの大刈込みが見事です。

上空方盛美園を臨む【盛美園HPより転載】

【盛美館の歴史】
一方、邸宅に関しては、1908年に清藤家の別邸として建てられ、設計者は、津軽地方の大棟梁・堀江佐吉の愛弟子にあたる西谷市助。
製作にあたり盛美の息子・辨吉とともに東京の各邸宅を回り、東京三田にあった浅野総一郎の迎賓館「紫雲閣」(昭和20年に空襲で焼失)からヒントを得て、4年の月日をかけられました。なお、庭園が盛美園と言われるのに対し、別邸部分は盛美館といわれています。

浅野総一郎別邸「紫雲閣」【Wikipediaより転載】

なお、盛美園は戦後に国指定名勝、別邸も国指定重要文化財に選定。現在は清藤家で守られています。
盛美園は京都の清風荘、無隣庵とともに明治三大名園の一つに数えられています。

【たてものメモ】
盛美園
●竣工年
 ・盛美園:1911年完成
 ・盛美館:1908年完成
●文化財指定
 ・盛美園:国指定名勝
 ・盛美館:国指定重要文化財
●設計者
 ・盛美園:小幡亭樹
 ・盛美館:西谷市助
●入館料:大人¥500
●営業日:
 12月29日~1月3日(正月休み)
●写真撮影:可
●交通アクセス:弘前鉄道「津軽尾上」駅より徒歩12分
●留意点:基本的に2階は入室禁止。ただし事前予約制でガイドさん付で入室可

【盛美館についての外観】
盛美館は、東京三田にあった「紫雲閣」からヒントを得た、と言われ、純和風のそれと盛美館のそれは似ても似つかわないもの。
が、紫雲閣から洋館に仕立て上げたのが西谷市助の才、といったところで明治邸宅の傑作が津軽の地に誕生しました。
盛美館はその佇まいから、明治人の服装「山高帽に袴」と譬えられています。

盛美館は、屋根全体が銅板葺き。
ドーム部分や手摺部分、柱頭飾りに見られる精巧な銅板の繋ぎ目に、この建物に携わった職人の腕の確かさを見る事ができます。

また、盛美館の玄関面を見ると、1階部分が和風に設えてある中、2階は洋のテイスト。
2階の端部分には列柱風の装飾がされており、1階の棟飾りには鬼瓦がおかれるところ、立派なアクロテリオンが飾られています。
玄関わきには大きなサルスベリの木が植えられ、夏の終わりには、見事な赤い花を咲かせます。

なお、窓枠部分はルネッサンス風に彩られており、窓のグリルには、盛美館の主・清藤家の家紋があしらわれています。

一方、1階の展望室下の屋根部分には、日本の寺社建築で多く使われる桔木(はねぎ)を使い、"てこの原理"で軒や2階展望室部分を支え、まさに空中回廊になっています。伝統的な日本建築の技法を巧みに取り入れているのも、この邸宅の特徴でもあります。

1階北東脇の壁面には、松葉を象った障子窓が開けられていますが、この部分の室内は厠になり、手水鉢の代わり、青銅製の器が置かれています。

【盛美館 平面図】
平面図を見ると、1階部分が客間を中心にした構造で、全般的に「和」のテイストに設えています。
2階は主に展望室のほか夫妻のプライベートルームになっており、室内は"和"の中に"洋"が取り入れられています。
また、8角形の展望室からは、盛美園を一面に臨むことができるようになっており、この別邸建築が盛美園を眺めるために作られたのがよくわかります。

【1階 玄関部分】
左側の扉の窓ガラスには、清藤家の家紋が描かれており、この邸宅には、いくつも家紋があしらわれています。

【1階 居間】

【1階 次の間】
まず、正面部分の欄間は、黒い部分をタガヤサンを使用し、枠部分には屋久杉が使われていますが、屋久杉部分には、名栗仕上げになっています。
また、右側の長押の上の障子欄間の組子は、室内と廊下部分では柄が違う2重組子になっています。

廊下部分から障子欄間を見ると、次の間室内部分の組子が浮き出ていて、見る者の目を奪います。

また、長押部分には、竹鉄砲のようなものが飾られていますが、これは、欄間の衝立として利用されます。

【盛美館 1階客間部分】
この室内では、賓客をもてなす部屋として用いられ、それを象徴するかのように、数多くの銘木を使用。
その理由として、清藤家が朽ちないように、とういう思いが込められています。

まず、床脇部分においては…
 ・左側のツボが乗っている部分が、白檀(ビャクダン)
 ・左側のツボ上部の違い棚は梅檀(センダン)
 ・左側の書は、幕末期に活躍した山岡鉄舟の書
 ・真ん中の床柱の黒い木は黒檀(コクタン)
右側の本床において…
 ・一番下の部分の床框は紫檀(シタン)
 ・家のオブジェなどが乗っている床板は花梨(カリン)
 ・一番右端の書院欄間部分の木は黒柿(クロガキ)
を使用。
なお、右端の黒柿(クロガキ)がこの邸宅で一番貴重な木材になっています。

一方、書院欄間は、蜘蛛の巣が描かれており、この意匠として、清藤家では、入ってきた財を喪わないように…という意味を込めて付けられました。余談ですが、蜘蛛の巣の意匠は、江戸期はお女郎さんの着物にも使用。
その意味として一度掴んだお客様絵を手放さない、という意味が込められています。

【盛美館 1階廊下部分】
1階廊下部分は、盛美園の景観を愉しむ意味合いとして、次の間~客間を回すように配置されています。
また、右側の黒いシミのある木はクロガキになっています。

廊下の床部分を見ると、切れ込みが途中まで入っていますが、この意味合いとして、空気抜け以外に、室内部分側に切れ込みを入れないことにより、強度を保つ、という意見合いが込められています。

【1階トイレ部分】
厠部分は、砂雪隠となり、便器の下に引き出し可能な滑車が付き、便に砂をかけ、そのまま肥料として利用しました。
なお、この意匠は、日光田母澤御用邸といった宮廷建築のほか、復元建築になりますが、会津武家屋敷などにも使われています。

また、小便器においては、便器部分はレプリカに変更されたものになりますが、腰板部分の大理石風のものは、スタッコ塗りで竣工当時のもの。
漆喰の中に大理石の粉を混ぜ、固く磨き上げたもので、今日では大変珍しい技法になります。

また、共待部分は、厠を使用した人間が、着物を着換える際に使用した部屋。注目したいのが、梅の花の組子と、正面の窓枠には霊峰・岩木山を描いたものを使用しています。

【1階 浴室部分】
浴槽もレプリカになりますが、違う場所で湯を沸かし、扉部分から入って浴槽に湯を入れる仕組み。
天井部分には換気口が設けられ、床板部分は廊下側に傾いており、切込み部分で湯が排出される仕組みになっています。

【1階 階段】
階段部分は、ワニス塗になっています。
なお、2階部分は通常非公開ですが、平川市のガイドさんを予約すれば、別途料金はかかりますが、庭園、邸宅のガイド付きで公開されるので、ぜひとも、こちらを利用することを強くお薦めします。

【2階 更衣室】
こちらの部屋は、天井部分の漆喰塗の照明飾りやモールディングなど、洋風でありながら、畳敷きになるなど、和のエッセンスも巧みに盛り込まれています。
当初、施主の清藤弁吉氏は、この邸宅を和風にすることにこだわりましたが、設計者の西谷市助氏に、ぜひとも洋も取り入れてみては、と紹介を受け、このような佇まいになりました。

また、階段側には、障子が設えてある一方、枠を漆喰で固めるなどされており、まさに和洋折衷風になっています。
なお、この邸宅の漆喰も竣工当時のもので、邸宅全体、ここまで保存状態の良い場所も大変珍しくなっています

【2階 夫人室】
更衣室の隣は夫人室になりますが、まず更衣室との間には独特の形の透かし欄間があります。
また、落とし掛け部分や床柱などはスタッコ塗りになっており、漆喰とスタッコ塗を担当した左官は西谷市助の兄、西谷珠吉氏。
珠吉氏は、浪花3大左官と呼ばれた人物でもあり、その巧みの技を感じさせます。

また、天井部分のメダリオンは、漆喰塗りで作らた繊細なもので、女性らしさを見事に表しています。

【2階 主人室】
廊下を隔てると主人室になりますが、夫人室同様、天井のモールディングの蛇腹や、シャンデリア部分のメダリオンなど、洋風で作られる一方、床は畳敷き。
床の間の落とし掛けや、床柱部分などは和風のものですが、スタッコ塗りにすることで洋のエッセンスで彩られており、明治文明開化の気品と香りを伝える美しい和洋折衷様式になっています。

また、書院欄間には細かい桟部分などといった精巧な工芸品を思わせるかのような設えで職人の腕の高さを感じさせます。
また、下部の巾木は漆喰により大理石を表現。
漆喰を塗りこめて、模様を彩色したあと、漆喰が乾く間に何度もコテを当てて艶を出す 「磨き」という高度な左官技術で仕上げられています。
こちら西谷珠吉の作品になっています。

【2階 展望室】
盛美園に遅れて、この邸宅が構えられた要因がここに詰められており、5面の窓からは眼下に盛美園を臨むことができます。
なお、照明に関しては、こちらもレプリカになっています。

写真が展望室から盛美園を見たものですが、真ん中に見える山が、標高468mの梵珠山。竣工当時は、現在ほど木々の高さもなく、窓一面に、左手に岩木山、右手には八甲田山が臨めました。

【編集後記】
盛美園については3回訪問し、今回、やっと投稿が叶いました。
一見すると洋風でありながら、内観は和を基調とした設え。
よく、「山高帽に袴」と譬えられますが、換言するならば、洋装和魂。
明治時代の気質を描いた別邸建築と感じた次第であります。
末永く大切にされることを願ってやみません。

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