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わが心の近代建築Vol.40 旧堀田邸(千葉県京成佐倉)
みなさん、こんにちわ。
今回は、千葉県佐倉市に残る旧堀田邸について記載します。
まず、佐倉藩について記載すると、印旛沼を中心に数々の遺跡が残され、江戸期は、小田原藩などとともに、江戸の守備の要衝とされます。
藩主には武田(徳川)家、松平家、堀田家といった老中や大老などの幕閣の最重要人物が入封する重要な藩として栄え、特に堀田家は、5代、6代、15~20代の佐倉藩主を歴任。
なかでも、堀田正倫の父・堀田正睦においては、蘭学を奨励。現在の順天堂大学の前身にあたる佐倉順天堂を開業させ、医学においては〝西の長崎、東の佐倉〟と呼ばれるまでに発展します.
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この邸宅の施主・堀田正倫(1859~1911)は、堀田正睦の4男として生まれ、父・正睦が大老井伊直弼都の政争に敗れて失脚した際、家督を譲られて佐倉藩主に。幕府に対する忠誠心は父以上で、1868年の〝鳥羽伏見の戦い〟ののち徳川慶喜に朝廷より討伐令が下されると、上洛して慶喜の助命、徳川宗家の存続を懇願したがため、京都に軟禁され、藩主不在の佐倉藩は、存亡の危機に瀕しますが、家老・平野縫殿らの機転により、存続され、明治新政府では初代・佐倉藩知事に任命されました。
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維新後は、正倫は華族として東京深川に居住したのち、慣れ親しんだ佐倉に住居を構え、教育と農業に尽力。
邸宅周辺に、1897年、農業研究所・堀田家農事試験所を建立し、その広さは約3万坪に至りました。また、佐倉中学校(現在の県立佐倉高等学校)設立に寄与。同校からは、築地本願寺設計などを行った建築家の伊東忠太博士、国民的英雄の野球選手・長嶋茂雄氏など、数多くの人材を輩出することになります。
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しかし多大な堀田正倫から続く寄付と農園経営は、堀田家の財力を苦しめ、1942年には日産厚生報国会に建物と庭園部分を賃貸し療養所施設として利用。
1952年にそれを佐倉日産厚生園が全面買収して、1962年に一般病棟に。
1975年、再度、売却計画が持ち上がったものの、市民のレクリエーションの場としても利用されていたことから、1982年に保存活動運動が起き、当時の佐倉市民の人口の1/3にあたる3万人の署名が集まり、市が買収に動き、土地の一部は1988年に老人ホーム用地として売却されるも、現在の堀田邸の土地・建物は佐倉市が所有することに。
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真ん中部分の建物は佐倉厚生園で、現在はいられない「地震の間」などを見られる
なお、庭園を含む一帯が1997年に佐倉市指定文化財へ、2001年には千葉県指定文化財に選定。1999年の保存修繕工事には「学者棟梁」と呼ばれた宮大工・田中文男(1932~2010)指導の下修繕が図られます。
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2006年には建物の居住部分、門番所、土蔵が国指定重要文化財に。一方庭園部分m、2015年に庭園部分は昨年の2015年に〝旧堀田正倫庭園〟として国指定特別名勝に選定され、在りし日の姿を伝えています。また、建物などがテレビドラマ「JIN‐仁‐」や「侍戦隊シンケンンジャー」などのロケ地としても広く利用されています
【建物メモ】
旧堀田邸
●竣工年:1890年
●設計:
主屋:西村市左右衛門
庭園:伊藤彦右衛門
●文化財指定:
・邸宅:国指定重要文化財
・庭園:国指定名勝
●入館料:¥320
●写真撮影:可
●交通アクセス:京成本線「京成佐倉」下車徒歩20分
●留意点:
書斎棟、居間棟2階は特別公開時のみの公開
【平面図】
玄関棟、居間棟、座敷棟、書斎棟、台所棟、湯殿棟で構成され、東西に長い造りとなっており、湯殿棟は1911年、東宮殿下(のちの大正天皇)が、堀田家農事試験場を御見学された際、急きょ作られたものになっています。
邸宅は風通しのよい構造になっています。また、堀田邸では必ず、床の間の背後には雪隠が設けてあり、ここも堀田邸最大の特徴となっています。
また、1854年に発生した「安政の大地震」の教訓が生かされ、居間棟の1~2階部分は通し柱を使用、また、邸宅けん制ちゅに際しては、当時最新鋭の技術であった、ボルト&ナットが用いられています。
また、
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旧堀田邸平面図【展示パネルより転載】
【冠木門】
堀田邸の門は一見すると簡素なものに見えますが、江戸期は限られた名家のみに許された冠木門を使用。堀田家の新時代に対する意気込みを感じ取ることができます。
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【堀田家 玄関棟】
堀田邸の屋根部分を見ていくと、むくり屋根になっており。鬼瓦は〝堀田木瓜〟という、堀田家の家紋が彫られています。
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【玄関棟 表玄関】
堀田邸では舞良戸(まいらど)のほうは、黒漆塗りになっており、通常の邸宅と比較してみても、桟が太く細かいものとなっており、このような形式は、江戸期は10万石以上の大名本家に許された形式になっています。
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【玄関棟 玄関の間】
玄関口にあるフックは、帽子掛けになり、来訪者が帽子をかけました。また、壁は黄大津壁をもちいており、襖(ふすま)は雲母ずりになっています。
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【玄関棟 接見の間】
玄関棟の応接間は、堀田家を訪れた一般の方のために用いられ、襖や壁などは「玄関の間」と同様。
床柱はヒノキ。床框(とこかまち)は黒柿になっており、釘隠しは五七の桐が用いられています。
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【湯殿棟への渡り廊下】
また湯殿棟へ続く廊下は舟底天井になっており、壁部分は桃山壁となり、主に桃山地方で摂られたものでしたが、現在は天然物は殆ど取られなくなった大変貴重なものになっています。
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【湯殿棟 化粧の間】
この部屋は東宮殿下が湯を愉しまれたあと、衣服を整える際に用いられ、堀田家が邸宅を手放した際、茶室に改造されたため、〝化粧の間〟には不釣り合いな、〝にじり戸〟が設けられています。
また、壁は渡り廊下と同じく、桃山壁いなっています
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【湯殿棟 湯殿】
この部分は、東宮殿下(のちの大正天皇)が湯を愉しまれた場所で、普通の浴室とは違い、かけ湯方式のため、水はけを配慮し、傾斜がつけられていました。なお、この湯殿は、堀田家では畏れ多いということで、殿下使用ののちは使用されることはありませんでした。
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【座敷棟への渡り廊下】
玄関棟から座敷棟へ向かう際に渡り廊下がありますが、襖より表側の板の間部分は従者用、畳部分は主人や訪問客の人間が歩くようになっています。座敷棟は、堀田家にとり重要な訪問者などのために用いられ、最も格式高い造りになっています。
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【座敷棟 祠堂】
この部分は、一見すると仏間に見えるかと思いますが、堀田家ではここに孔子象を置かれ、現在、孔子像は先述の佐倉高校に安置されています。
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【座敷棟 次の間】
次の間部分の欄間は、竹製の菱格子欄間を用いており、竣工以降「くるい」のないものになっていますが、ここにも当時の大工さんの職人技術を堪能することができます。
また、襖絵は金箔塗の「松くわえ鶴」という非常に縁起の良いものになっています。
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【座敷棟 客座敷】
床柱は檜、床框は檜の黒漆塗りが用いられ、こちらの襖部分も、「松くわえ鶴」が使用されています。松も鶴も延命長寿を意味し、二重にめでたい意匠があり、東ローマに起源をもっています。
また、来訪者の多い際は、「次の間」部分と客座敷をつなげて使用しました。
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【座敷棟 入側】
座敷棟から庭園部分の軒桁は13mの杉の〝四谷丸太〟が用いられています。
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【堀田家 居間棟】
居間棟部分は、堀田正倫夫婦と子どもたちが使用するための、いわばプライベート部分になっています。
また、今までの部屋の釘隠しは〝五七の桐〟を主に用いられていましたが、この部分は「橘」と「楓」の釘隠しが用いられています。
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【居間棟 1階居間】
床柱は三大唐木の鉄刀木(タガヤサン)。
床框はタマモク文様の欅が用いられた非常に高価なものとなっています。天袋は跡見園創始者の跡見花渓が描いたもので、跡見花渓と堀田正倫の関係は、正倫の妹が跡見家に嫁いでいます。
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【居間棟 1階寝の間】
床(ゆか)は2重構造になっており、防寒対策が施されています。また、寝の間の襖の引手は七宝焼が、襖には印度更紗(インドサラサ)が用いられているのも最大の特徴になります。
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【居間棟 2階上の間/通常非公開】
居間棟2階は、建物保護のため、通常非公開になっており、年に数回御公開になっていますが、床柱はカラマツ、長押には黒檀が用いられています。床柱はカラマツ、長押には黒檀が用いられています。
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【居間棟 2階上の間/天袋の小襖】
天袋の小襖部分を見ると、ヒヨコが模られています。
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【居間棟 2階の障子引手】
障子部分はシカが模られたものとなっています。
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【居間棟から庭園を臨む】
2階部分から庭園を臨むと、庭園を一望できますが、和風庭園と洋風庭園を一望できる、旧堀田邸で一番景観の良い場所になっています。
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【書斎棟へ続く渡り廊下】
居間棟から渡り廊下を伝い、書斎棟へ行けますが、書斎棟も居間棟2階と同様、建物保護のため、通常非公開になっていますが、渡り廊下天井を見ると、網代になっています。
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【書斎棟 上の間】
この部分の床柱は、四方向かいの紫檀となっており、天井は印度更紗を貼り付けたもの、脇の地袋は西陣を貼ったものを使用しています。
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【書斎棟 仏壇】
書斎棟の反対側をみると、火灯窓風になっていますが、仏壇は書斎棟の火灯窓部分にあったと推測されています。
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【庭園部分】
建物の南面は庭園になっていますが、この部分は国指定名勝になっていて、日本庭園と洋風庭園が融合されたものになっています。
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【編集後記】
旧堀田邸は、武家様式の建物では、全国的にわずかしか残っていない大変貴重な遺構であり、また、改めて訪問したいと感じます。