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わが心の近代建築Vol.9 べーリックホール/神奈川県山手
こんにちわ。
FB投稿をnoteに移行していますが、今回は、何度訪れたか、10回より先は数えないことにした建物より、横浜市の山手町に保存されたべーリックホールについて記載します。
この建物は、イギリス貿易商バートラム・ロバート・べリック氏の邸宅として1930年にアメリカ人建築家のJHモーガン氏設計で建てられたもので、山手111番館、モーガン自邸(火災により焼失後、現在復元活動中)などと同じく、彼の代表作の一つになっています。
なお、べリック氏亡き後、遺族によりカトリック・マリア会に寄贈。
余談ですが、施主の名前がべリック氏に対し、べーリックと呼ばれるいきさつについては、寄贈を受けたマリア会命名によるものになっています。
以降、セントジョセフ・インターナショナル・スクールの寄宿舎として利用されますが、同校は2000年に閉鎖。
以降、その去就が注目されますが、横浜市がその敷地を購入。建物も同校から寄贈を受け、付属棟は解体されましたが、主屋部分は整備され、2001年に横浜市認定歴史的建造物に選定され、2002年より一般公開。
現在では通常公開以外にも、各種イベントなどにも貸し出され、結婚式のできる洋館建築としても有名な建物になっています。
たてものメモ
ベーリックホール
●竣功年:1930年
●設計者:JHモーガン
●文化財指定:横浜市認定歴史的建造物
●交通アクセス:みなとみらい線「元町・中華街」駅より徒歩8分
●写真撮影:可(商用禁止)
●休館日:基本的に毎週水曜日休み
●参考文献:
・内田青蔵/小野吉彦著「お屋敷拝見」
・田中禎彦/青木祐介/金井健著「死ぬまでに見たい洋館の最高傑作」
・べーリックホールに掲げられたパネル各種
など
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施主 バートラム・ロバート・べリック(1873~1952):イギリス/ロンドン出身の貿易商で自身の家業を継ぐべく、25歳の時に来日。文具や機械、和紙、漆器名路を扱う貿易商社「べリック商会」を設立し事業を順調に拡大。彼の経営手腕などを見込んだ、東京の中日フィンランド大使館は、フィンランド領事就任を打診。べリック氏は快諾し、この建物で執務に当たるも1第二次世界大戦が近づき、家族でバンクーバーに移住、再来日を果たすことなく、1951年に永眠します。なお、彼は軽井沢にWMヴぉ―リス設計の別荘を保持していましたが、残念ながら、こちらは現存していません。
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設計者 ジェイ・ヒル・モーガン(1873~1937)
アメリカ/ニューヨーク出身の建築家。
1920年に来日後、旧丸ビルや優先ビルディング建設に設計技師長として参加。1922年に日本に事務所を開業ののち、日本で夫人の石井たま氏と出逢い結婚。1937年に亡くなるまでに、邸宅や学校・教会、銀行建築など、多くの建造物を遺し、現在は山下町の横浜外人墓地に眠ります。
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建物外観:
邸宅は、竣工当時アメリカなどを中心に大流行したスパニッシュ様式が採られ、外壁はクリーム色の荒々しい仕上げに、アーチ開口部の多様、また、オレンジ色のスパニッシュ瓦の多様などのスパニッシュ様式を採り入れています。
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建物ポーチ右手部分【外観】:
建物ポーチ右部分には、煙突を備え、煙突部分をくり抜き、壁泉にしています。べーリックホールでは、水の流れる音を愉しめるようになており、これもスパニッシュ様式の大きな特徴です。
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壁泉部分【外観】:壁泉部分はアーチ状にくり抜かれ、レンガで囲まれ、吐水口部分はライオンになっています。
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3連アーチ部分の外観:
玄関部分は、パーゴラ風の3連アーチ部分を抜けて玄関に入ります。
日本の厳格な建築物と違い、スパニッシュ様式では非常に軽やかなものになっています。
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平面図【ネットより拝借】
べーリックは、地下部分にはボイラー室になっており、鉄筋コンクリート製。建物自体は2階建てに屋根裏部屋を配したものになっています。
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1階玄関:
三連アーチ部分をくぐると玄関になっており、床面は市松模様。また、扉部分は、アイアンワークが施されています。
左側面には「ニッチ」と呼ばれる窪みが設けられ、上部に過敏が置いてあり、下部はラジエーターになっています。
この部分がある事により、建物に変化を与えています。
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1階階段部分:
玄関ホール部を抜けると、階段になっており、この邸宅の大きな見所の一つになっています。手すりは鋳鉄製で親柱部分はオブジェのようになっています。
また、床部分は、玄関と同じく市松模様で、決して新しいデザインではないものの、モダニズムさを与えています。
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1階階段の親柱部分:
どこか工業製品を思わせる意になっており、オブジェ感があります。
また、親柱上部の渦巻き状の意匠も見どころの1つです。
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1階居間:
玄関ホール部分から3段程度下がった部分は居間になっており、大きなパーティーが行われたことが推測されます。
また、玄関ホールより高低差を設けることにより、視線に変化を与えてくれると同時、居間があまりにも広すぎるため、この高さに見合う天井を確保するためとも言えます。
また梁部分には非常に太く、梁下には持ち送り部分が配されるなど手の込んだ造りになっています。
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1階パームルーム:
居間のアーチ部分の窓を抜けると、パームルームになっています。
パームとはヤシのことであり、温室的な役割を果たした部屋とも言えます。
また、この部屋も、スパニッシュ様式の多くみられるアーチ型になっており、そこにはめ込まれた建具はきわめて細いスチール製。床に使われた白黒タイルなど、大量生産化された工業製品であり、この邸宅では、それらを巧みに使用しています。
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1階パームホールの壁泉:
こちらの壁泉の吐水口には、外壁部分と同様、ライオンが描かれており、現役で使用可能になっています。
また、この部分には細かいタイルが貼られ、竣工当時の石造りの質感を表すため、化粧目地や雲母の片を混ぜて復元されています。
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1階食堂部分:
玄関ポーチより反対側は、食堂になっています。
食堂部分は暖炉を配した左右対称になっていますが、壁面には柱型、室内には長押風の部材が周り、アルコープ部分は床の間府になるなど、極めて日本的で、設計者のモーガン氏は、意識的に日本風デザインを採り入れていました。
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1階配膳室:
配膳室の棚部分は竣工当時のものと推測されています。
この頃のアメリカ建築では、使用人を持たないことが推奨されていましたが、そうした意味では、べーリックホールはイギリス式になっています。
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1階台所:
配膳室の奥は台所になっており、さすがに冷蔵庫やシンク部分は現在のものに変えられています。
一方、目の前の流し台はホーロー製になっており、中央部分に荒洗い用と仕上げ洗い用の32層のシンクを備えるダブルシンクになっており、その左右に水切り代が設けられています。
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地階:
地階部分は、鉄筋コンクリート製になっており、もともとは暖房室や石炭室になっており、写真に見えるタンクは創業当時から使用されていたもので、昭和初期の設備器具として極めて重要なものになっています。
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2階廊下部分:
ゆったりとした階段を上がると、2階部分は、1階部分がパブリックな場だったのに対し、各部屋ともプライベートルームになっております。
また廊下部分は非常に広く採られており開放的になって慰安す。
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2階令息室:
創建当時、べリック氏の子息は既に成人していましたが、ほかの山手西洋館合わせ、唯一、子息室のある特徴を活かすため、時代背景や風俗に加味して、小さな男の子の部屋、という設定になっています。
また、この部屋の壁は湿っている漆喰に、粉末状の顔料と水のみを混ぜ合わせた塗料を塗る、フレスコ技法で仕上げています。
また、窓枠部分にクローバー状の意匠が付けられていますが、クワット・フォイルと呼ばれるスパニッシュ様式の一つになっています。
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2階子息室付随の浴室:
2階には3つの浴室がありますが、それぞれ個性的ないsh上になっています。特に配色や窓の形、モヨ王に特徴が表れています。
特に、タイルは意外にも非常に良い状態に保っています。
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2階客用寝室:
この部屋の内壁は、創建当時の色に復元されています。
従来の日本建築では見られないような、大胆な色図解が特徴で、竣工当時は客用寝室として使用されていましたが、復元に際し、応接間風に設えています。
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2階客用寝室に付随する浴室:
子息室付随の浴室とはまた違った色合いのタイルが使用されており、非常に大胆な設えになっています。ここにも、スパニッシュ建築の特徴の、クワットレ・フォイルの意匠の窓が付けられていました。
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2階主人寝室:
この部屋は、施主のべリック氏寝室になっていますが、べリック氏は貿易商として横浜とロンドンを行き来したほか、駐日フィンランド大使としてもており、当時のべリック氏の活躍ぶりを感じられるよう、あえてこの部屋は執務室風に造られています。
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2階夫婦浴室:
べリック夫妻の各寝室を間に室らている浴室。
基本的に、べーリックホールの浴室には、バスとトイレが付けられていたものの、当時の日本には小秋されたものの、一般住宅では定着しませんでした。
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2階婦人寝室:
婦人寝室からは、現在も横浜港の汽笛が聴こえ、遠い異国の地で過ごす夫人の子持ちを和ませていたのではないかと思います。
また、婦人室ということもあり、ほかの室内にない、ドレスルーム的な引き出しも用意されています。
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2階婦人室に付随するサンルーム:
当時の世界としては、結核は死の病と考えられており、それを恐れた方々は、日光浴を愉しむ時代でもありました。
サンルームは、室内にいながら、その日光浴を愉しめる部屋になっており、そうした時代背景を推測できる絵やになっています。
【僕自身の邪推として】
この部屋には、婦人用のものがいくつもあり、そうした側面から、施主のべリック氏は愛妻家だったのではないかと感じてなりません、