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わが心の近代建築Vol.34 俣野別邸公園/神奈川県鉄砲宿(戸塚)

みなさん、こんにちわ。
今回扱う建物は、神奈川県藤沢バイパスわき、ちょうど横浜市と藤沢市の境目にある俣野別邸公園より、「俣野別邸」を扱います。
この邸宅は、もともとは住友財閥の別荘建築として1939年に建立。
のち、住友家から横浜市に寄贈されて(国指定)重要文化財に選出。公開向けて修繕工事が行われる中、湘南地区の近代建築を襲った相次ぐ不審火で全焼…
しかし、照明器具や襖などといった建具が修繕のため横浜市が取り外して保管されていたとや、多くの方の市民運動により2016年に再建されます。
残念ながら再建建築のため、重要文化財こそ外されたものの、その建具などが評価され横浜市認定歴史的建造物に指定。現在はこのレストランや各種イベントに活用のほか、一般公開されて新たな一歩を踏み出しています。

まず、別荘地について記載すると、明治初期の上流階級は、邸宅とは別に都心にゲストハウスを持ちますが、明治20年代になると、鉄道網などの交通整備が行われ、避暑/避寒のため、日光や那須、軽井沢、湘南地区などに別荘建築を建て、社会コミュニティを築き上げます。

※下記リンクは自身が掲載した避暑などの別邸建築のリンクです。

明治後期になると、その流れは大きくかわり、国木田独歩の「武蔵野」の影響から、郊外の雑木林など注目。また、明治中期よりも鉄道開発が整備され、別荘/別邸が中流階級にも広まり、郊外に別邸を求めり人間も増えます。
特に関東大震災以降は、都会の喧騒を離れ、安心で安全な郊外に住宅を求める郊外住宅ブームが巻き起こりました。

※こちらのリンクは、今まで扱ってきた郊外住宅のリンクです

今回扱う俣野別邸もその一つで、旧東海道沿いに道路を設け正門を建立。
台地の突端に邸宅を構え、邸宅からは丹沢山脈や富士山が臨むことができ、斜面を樹林地として下段には畑が設けるなど、台地の特性を活かした造りになります。
なお、航空写真を見ると竣工から5年後の昭和1944年ごろは周囲もまだ多くの田畑が見えますが、1964年。藤沢バイパスができた頃には、宅地開発が行われ、武蔵野の風景は一変、現在では住宅地化されるに至ります。

昭和19年ごろの俣野別邸の上空写真【邸内展示画像より転載】
昭和39年ごろの俣野別邸上空写真【邸内展示画像より転載】

つぎに、俣野別邸を設計したのは佐藤秀三(1897~1978)で、佐藤氏は住友総本店営繕課に入社。
日建設計創業者の長谷部鋭吉の薫陶を受け、1929年に佐藤秀三建築工務所(現在の株式会社佐藤秀)を創業。16代住友吉右左衛門はじめ、住友系列企業・経営陣の支援を受けます。
佐藤氏の建築の特徴は、日本の木造建築に西洋建築の作風を取り入れたもので、代表作には、この俣野別邸以外に、日光プリンスホテル、向井淳吉アトリエなどがあります。

佐藤秀三【写真はWikipediaから転載】

建物メモ
俣野別邸
●竣工年:2016年
(オリジナルは1939年竣工、2009年に不審火で焼失)
●設計者:佐藤秀三
●文化財指定:横浜市指定歴史的建造物
(消失前はは国指定重要文化財)
●写真撮影:可
●入館料:¥400
●休館日:
・毎月第3木曜日※休日の場合は翌日
・年末年始(12月29日~1月3日)
●交通アクセス:
・JR東海道線「戸塚駅」下車、バスで鉄砲宿下車徒歩5分
・JR東海道線/小田急線/江ノ電「藤沢」駅下車、バスで鉄砲宿下車徒歩5分
●参考文献:
俣野別邸に展示してある各解説のパネル類など

正面写真:
外観を見ると、まず特徴的なのが、大きく張り出した庇が印象的です。また庇を石積み風の2本の柱が支え、邸宅は下見板張り、ハーフティンバー様式が採用されています。
また、瓦はS字瓦葺きになっています。

庭園側から全体を臨む:
邸宅は、主屋棟/南棟/事務棟のY字型になっており、特に左側にみえる主屋左端部分は半円形になっており、アールデコの印象を与えています。

平面図【邸内展示画像より転載】:
俣野別邸は、2009年の不審火により一部分を残して消失。そののち、再建されて2016年に公開されます。
現代の建築法に併せ、一部分がバリアフリー化などを受けますが基本的には消失前の配置に戻され、先述のようにY字型の配列になります

エントランス部分:
天井部分は針が取り付けられ、天使のレリーフが目につきますが、レリーフは、火災前、修繕のために横浜市が取り外しており、焼失を免れたもの。
また、床部分は石が敷き詰められる一方、玄関開口部は小さいものになっています。

玄関:
燭台風の照明について、枠上部と金具は新しく取り付けたものですが、他の金具部分は消失を免れたものを再塗装して使用。
天井部分は幅広の板材を組み合わせた格天井。
天井の一番高いところでは4mになり、壁は漆喰塗したものを再塗装してパターンをつけた「ラフコート仕上げ」になります。

控室:
天井は舟底天井になり、梁は「名栗加工」が施された化粧梁になります。この部屋全体が民芸風にまとめられ、床柱には「香節(こぶし)」という木材を使用しています

主屋棟 階段部分:
吹き抜けの壁は玄関部分と同じ「ラフコート仕上げ」が施され、照明においては金属部分は再塗装されたもの。
照明のガラス部分は残念ながら焼失してしまったため、再度作られました。

主屋棟 階段ホール2階部分:
天井部分には梁を置き、2階から窓を見ると、ホール部分の窓は、1階部分は低く、2階部分は高くすることにより、1階部分は目線を低くして、2階部分は正面から遠くの景観を臨める演出になっています。

主屋棟 2階展示室Ⅰ:
半円形スチールサッシの窓には曲面ガラスが使用されています。半円形は旧朝香宮邸(東京都庭園美術館)でも見られた、モダニズム建築の象徴でもあり、スチール冊子には曲面ガラスが使われています。
また、窓からは天気の良い日には丹沢山脈を臨めるビュースポットになっています。
半円形の天井上部には、3つの蛍光灯が備えられていますが、これは日本で初めて量産化された「マツダ式蛍光ランプ」と呼ばれているものです。

主屋棟 展示室Ⅰの照明:
窓上の3か所に取り付けられている照明は「マツダ式蛍光ランプ」という日本で初めて量産されたものになります。(現在は使用されず)

主屋棟 2階展示室Ⅱ:
ソファとイングルヌック風の飾り暖炉がありますが、これは竣功当時から飾りだけのもので、窓からは富士山を臨むことができました。また、この部屋の本棚やイングルヌック周りの家具類は竣功当時の写真から復原されたものとなります。

主屋棟 2階展示室Ⅲ:
床板は矢羽根張り。テレビ後ろは吾妻障子になっており、冗談部分には天袋風の設え、下段は引き出しや棚が設けれれるなど、和洋折衷デザインの造り付けの家具が配されています。

主屋棟 2階廊下側から見た展示室Ⅲの吾妻障子:
テレビ裏にある吾妻障子は、障子紙の代わりにガラスを入れたもので、曲線と車線を入れたデザインになっています。

主屋棟 2階展示室Ⅲからバルコニーを臨む:
バルコニー上部には屋根を支えるデザインの頬杖がつけられ、外観の意匠的な特徴にもなります。
また手すりもデザインされた特徴的なものになり、展示室Ⅳ側に見えるストライプ柄のオーニング(日よけ)もオリジナルに近いデザインになります。

主屋棟 2階展示室Ⅳ:
部屋は和洋折衷になっており、天井は桐材を用いた舟底天井。
バルコニー側からは芝庭を一望できます。
また、この部屋には畳の「小あがり」があり、框の黒塗り部分はカシューで塗られてあり、飾り棚や地袋も設けられています。

主屋棟 2階展示室Ⅳに付随した浴室:
洗面台/浴槽/トイレが供えられ、当時としては珍しく、洗面台/浴室/トイレが1室にまとめられ、腰板と床をタイル張りにしているなど、洋風のバスルームとして作られています(現在は使用できません)

主屋棟 1階サンルームⅠ:
天井は漆喰塗りで壁面は大理石貼り。この部屋は、かつての写真などから復原されたものになり、照明の吊り金具部分は塗装をし直し、半球とガラス部分は復元して再現。また、窓下には石敷きの鉢置き、反対側には石が突き出たデザインの花台があります。

主屋棟 1階居間:
壁は漆喰塗りで、カシューで朱色に塗られた柱がアクセントに。暖炉は復元時に消防法上の関係から使用できないようになり、鉄製の火置きは磨きなおされ、暖炉横の鉄製装飾柱は写真から復原。窓は防音・断熱のために二重構造。アールデコ調の照明は、ガラス製の笠は割れないように補強、金属部分は再塗装して使用されています。

主屋棟 1階食堂:
現在、レストランとして地域の方々に利用されています。
照明器具の笠は藤で編まれたものが使われ、笠の中の布は張り替えて再利用。
天井部分は再利用され、床部分のフローリングは洋風のしつらえになっています。一方、食堂脇には仏間のような引き出しが備えられます。

南棟 広縁:
フローリングは市松張り。天井は目地を見せた敷目張りになり、照明はオリジナルのものを復元して使用。広縁からは藤棚と水盤、芝庭を臨めます。

南棟 和室:
この部屋の照明器具は、金属部分を再塗装して折井成のものを再利用。
また、この部屋の障子部分も主屋棟2階と同じく、新素材の吾妻障子を活用しています。

南棟 洋室:
市松張りのフローリングになり、敷目張天井は揚州の設えでありながら、違い棚や吾妻障子などは和風のしつらえ。
和洋折衷のデザインでありながら、絶妙なコントラストになっています。

南棟 サンルームⅡ:
ガラス屋根が乗り、半屋外の明るい部屋になります。
なお、ガラス屋根などは後程の改造のために失われていたため、図面などで復元されました。

南棟/展示室Ⅴ前廊下:
展示室Ⅴと廊下部分は煉瓦造りになり、再建工事の際に、そのことが判るように敢えて煉瓦構造を見せています。

南棟/廊下から展示室Ⅴをみる:
本来は、この部分には扉がありましたが、入り口が狭いため、再建工事の際に取り外し、建具の枠のみ再現されました。
また、この部分からは展示室Ⅴの吾妻障子が見えます。

南棟/展示室Ⅴ:
吾妻障子は飾り柱とともにmカシュー塗りになっています。
上げ下げ窓やヘリンボーン張りのフローリングは洋風。
床のフローリングは傷みが激しかったので、サう意見工事の際に張り替えられたもの。床下にはパイプが通り、床暖房の設備が都の得られていました。
障子や入り口脇の押板などは和風で、この部屋も和洋折衷になります。

南棟/展示室Ⅴの上げ下げ窓と照明:
上げ下げ窓のスチールサッシはワイヤーで錘をつなぎバランスをとっているので、軽い力で窓を開けることが可能。
スチール部分の再塗装をし、オリジナルのものを再利用しています。
照明は金属部分を再塗装。和紙の張替えをして、オリジナルのものを再利用しています。

南棟/外観:
大きな鉄扉が付けられているのが印象的。
煉瓦で壁を造っているため、光や音を遮ることが可能で、こちらの鉄扉もオリジナルのものが再利用されています。

内玄関:
こちらは事務棟になり、主屋棟の外観とはうって変わり、和の設えになっています。

事務棟/内玄関:
もともとは勝手口として利用されていた部分。
現在は事務室がつけられ、和風のデザインでまとめられています。

事務棟/入側:
こちらは和室との境になり、坪庭を臨むことができます。

事務棟/和室Ⅱ:
部屋の大きさや和室である特性から、天井は各部屋に比べて低く抑えられており、どちらの和室からも坪庭を臨むことができます。

事務棟/和室Ⅲ:
襖は、襖紙を張り替え、オリジナルのものを再利用。
また、細かく横桟を入れた舞良戸は、塗装などをやり直して再利用されたものが使用されています。

事務棟/坪庭:

事務棟/書庫:
書庫は、壁の合板と屋根の板材は再建工事の際に交換されたものの、床板/屋根部材(垂木・梁)/造り付けの棚はオリジナルのものを再利用。
また、照明器具は元々はついていなかったものの、再建工事の際にほかの場所で使われなかったオリジナルのものを取り付けました。

附属屋:
この部分は和風の設えで屋根は桟瓦葺き、東側半分はオリジナルのものを再利用。外壁は下見板張りで、傷んだ部分のみ補修したものの、大部分はオリジナルのものが再利用されました。

付属棟/休憩室(通常非公開):茶色く着色された木部と、白い漆喰の壁でシンプルなデザインになっています。傷んでいた床は針直したものの、その他、柱/壁/天井部分などはオリジナルのものを再利用しています。

【編集後記】
この建物に関しては、初めて湘南邸園まつりの際に初めて拝観しましたが、当時は何も考えずにFB記載。
そののち、2018年に訪問した時に感じなかったこと…
例えば再建などに関し、これからの近代建築に一石を投じる建造物と感じたと同時、この界隈にあるJHモーガン邸に関しても再建されることを願ってやみません。

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