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わが心の近代建築Vol.23 東京都庭園美術館本館(旧浅香宮邸)/東京都白金

みなさん、こんにちは。
今回は、東京都の白金に建つ東京都庭園美術館(旧朝香宮邸)を記載します。
まずこの界隈は、東京都白金に位置し、江戸期は高松藩主・松平隠岐守頼重公の下屋敷が置かれ、廃藩置県後には政府所有となり、兵部省、海部省などの火薬庫が置かれましたが、1917年に宮内省の所有になり、白金御用地になり、1921年に御料地の南西部が浅香宮賜邸地にとして譲渡されます。

旧白金御料地(現・国立博物館附属自然植物園)【写真はWikipediaより転載】

一方、この建物の施主・朝香宮鳩彦王は久邇宮朝彦親王の第七皇子として生誕。19歳の時に、朝香宮家を立ち上げ、1910年に乃子内親王と結婚。鳩彦王は当時の皇族男子にならい、軍人の道を歩み、軍事研究のため1922年にフランス留学するも、パリで自動車事故に遭遇。この怪我は後に後遺症を残すほどの大きなもので、パリでの療養生活と滞在期間の延長を余儀なくされます。が、事故を受けて渡仏した乃子姫の語学力・社交性が、殿下のフランスでの生活をより充実させることになり、二人はパリでの生活を愉しみます。特に、帰国直前に拝見した1925年のパリ博覧会(通称・アールデコ展)が、のちのふたりに大きな影響を与えます。

1925年のパリ博覧会(通称アールデコ展)の全容【写真はWikipediaより転載】

おりしも、殿下がもともと住んでいた高輪の邸宅は、関東大震災で洋館が倒壊するなどの被害を受け、新居建設が待たれ、1929年に、宮内省にて邸宅の新築計画が立てられます。
邸宅設計には、同時期にパリ博覧会を視察した権藤要吉氏が中心になり、宮内省内匠寮の面々が担うことに。主要な室内装飾はパリ博覧会(アールデコ展)で活躍したフランスのインテリア・デザイナー、アンリ・ラパン氏、おなじくティファニーの化粧水のガラス小瓶などを手掛けたことで有名なルネ・ラリック氏らが担い、邸内の様相は日仏美術の饗宴となりました。

権藤要吉を核とした宮内省内匠寮の面々【東京都庭園美術館パネルより転載】
先頭真中の人物が権藤要吉氏

浅香宮邸は、浅香宮邸鳩彦王とその家族が居を構え、戦後の殿下の皇籍離脱に伴い、吉田茂が外務大臣公邸(当時、首相でもあったため、実質の首相公邸)として利用。そののち1950年に西武鉄道に買い取られ、白金プリンス迎賓館として開業。国賓公賓来日時の迎賓の場として使用されます。
プリンスホテル開業と解体の噂が出されるものの、地域住民の反対を経て廃止。1974年からはプリンスホテル本社として使用され、1981年に東京都に売却。1983年に現在の東京都庭園美術館として一般公開され、2014年に国の重要文化財に選定されます。
一方、白金御料地は戦時中は田畑にされるなどされた荒廃。戦後は隣接する国立教育研修所が演習林として使用されていたことから、1949年に全域が「旧白金御料地」として史跡に選定され一般公開。1962年に国立博物館附属自然教育園になり、かつての白金付近の自然をよく伝えています。

朝香宮鳩彦王(1887~1981)
1887年に久邇宮朝彦王の第7皇子として生誕。1911年に充子姫と成婚ののちフランス留学し、1914年に陸軍大学校を卒業。
フランス留学中にアールデコ展をみたのが、旧朝香宮邸設立に深く影響。1937年には南京に赴き、そののち陸軍大将に昇格。
戦後、1947年にGHQの命により皇籍離脱。
離脱後は、いわゆる「うまい話」には一切乗らず、熱海の別荘でゴルフ三昧の日々を過ごし、一時、投資などを行うも、大きな痛手を負う前に手を引き、1981年に93歳の天命を全うします。

【たてものメモ】
東京都庭園美術館
●竣工年:1933年
●設計者:
 ・基本設計:(権藤要吉を核とする)宮内省内匠寮
 ・一部内装設計:アンリ・ラパンら
●文化財指定:国指定重要文化財
●写真撮影:イベントにより可(商用・フラッシュ厳禁)
●交通アクセス:JR目黒駅より徒歩10分
●留意点:1年に1シーズン、写真撮影可能なイベントがあります。
●参考文献:
 ・朝香宮邸の歴史などはWikipediaを参照
 ・東京都庭園美術館著 「旧浅香宮邸のアールデコ」
 ・BS朝日放映 「百年名家」
 など

正門部分:
こちらも竣工当時の物で、重要文化財になります。
また、左側の建物は、旧守衛室で現在は、ミュージアムショップになります。

正面部分:
通称・アールデコの館。建物全体や装飾はコンパスや定規で描かれた工芸的なデザインになっており、フランスのパリ博覧会を拝見した施主・朝香宮夫妻の好みを非常に多く反映しています。

車寄せ部分:
まず、アールデコには不釣り合いな狛犬が玄関前に飾られていますが、これは施主・鳩彦王のお気に入り。本来の予定では、狛犬の口に照明灯がつく予定でした。
また、車寄せ部分の敷石は小松石。赤みがかったものが厳選。「びしゃん仕上げ」の上に、小刀で3度叩いた「三返小叩き」の仕上げで、手で行う作業では最高峰の物となります。

南面部分:
正面側とはうって変わり、屋上部分のウィンターガーデンを除き、建物全体が左右対称に描かれています。

平面図【イベント時のカタログより転載】
東京都庭園美術館では、1階部分はパブリックスペース、2階部分は家族居室などが設けられ、3階は、物置とウィンターガーデンが付けられています。
従来の宮廷建築では、家族それぞれが別棟で生活していたのに対し、旧浅香宮邸(東京都庭園美術館)では、同じ階の同じ棟にそれぞれが住む様式が採られています。

正面玄関部分:
正面部分の4体の少女像のガラス細工は、ルネ・ラリックの作品。
当初の予定では、裸の女性像が予定されていたものの、乃子妃殿下の希望でこの形に。
また、右から2番目の少女像はいたみが激しかったため、偶然オークションで発見されたものを買い付け、付けられました。
また床のタイルは、天然石タイルでデザインは宮内省内匠寮の大賀隆氏の作品で壁は大理石。
この部分はまさしく、日仏美術の饗宴になっています。

1階第一応接室:
玄関を入ってすぐ左の間口から直接入ることのできる部屋。
来賓客の御用係や共待の待ち部屋に使用。
室内の柱や扉、窓枠に使われる木材はカエデ製。床は市松張りにされたケヤキ材。その周りを黒檀やカリンが使用された寄木張りになっています。
また、壁紙はスイスのサルブラ製のテッコーシリーズで復元されています。

1階小客室:
四方の壁には、アンリ・ラパンの油絵が張り巡らされ、淡いグリーンを基調として描かれた樹木と水のある風景が、室内にいながら森の中にいるような印象を与えます。
暖炉部分の石材はギリシャで産出される蛇紋石「ティノス・グリーン」が使われています。

1階大広間:
アンリ・ラパンがプロデュースした部屋。
主にダンスパーディーや待合室として使用され、天井はオリジナルのデザインで、額縁の中に40個の電球が並んだモダンな部屋になります。
右側部分に、イアン・レオン・ブランショが彫刻したレリーフが嵌められ、壁板などはフランスから輸入したものを宮内省内匠寮が組み立てたもの。奥側の暖炉は宮内省内匠寮によるもので、イタリア産のポルトロという大理石が使用されています。

1階大広間を少女像側から臨む

1階大客間から見る玄関の少女像:
一番左の少女像部分にヒビが入っていますが、一説では首相時代の吉田茂が、こちらを首相官邸に使用した時代、癇癪を起こし、杖で叩き割ったなどと言われていますが、実際は、朝香宮殿下の若宮殿下が遊んでいる際に壊したそうです。

1階次の間:
中央部分のものは噴水機で、アンリ・ラパンが1932年にデザインしたもの。フランスのルーブル製陶所製で、白陶でできています。
先が透けて見え、来客時に充子妃殿下が、この噴水機に香水をたらしたところ、周囲が蒸発された香水の薫りに満ち溢れたことから香水塔と呼ばれました。

1階大客間:
アンリ・ラパンがプロデュースした部屋で、東京都庭園美術館、最もアールデコの粋を集めた部屋になっています・
天井部分には、シャンデリアを囲む漆喰仕上げの円や石膏によるジグザグ模様が施されています。
また木製ボードに描かれた壁画はアンリ・ラパンによるものです。

1階大客間の扉:
扉部分はマックス・アングランのエッジングガラス。左右対称にデザインされ、ケシの花やチューリップの花が描かれているとも。
また、エッジングガラス上部はレイモン・シュブの作品で、花かごが描かれています。

1階大客間のシャンデリア:
ルネ・ラリックのブカレストという作品。
植物の葉をモチーフにしたガラスの上部には、花をかたどった燈台がしつらえています。

1階大食堂:
賓客との会食に使われた部屋で、大きく円形に張り出した窓は開放的な雰囲気を形作っています。
銀色の壁画レリーフは、イアン・レオン・ブランショの作品で、壁全体の植物が部屋を明るくしています。
壁画レリーフはもともとコンクリート製でしたが、フランスから輸送中に船内で割れてしまい、日本でこれをもとに石膏を流して作られました。

1階大食堂(暖炉側を臨む):
天井部分は、ドーム状に仕上げられて3本のラインが引かれています。

1階大食堂の暖炉:
暖炉上部の壁画は、アンリ・ラパンのもので、赤いバーコラと泉が描かれており、ラジエータ・カバーには魚や貝が描かれたもので、宮内省内匠寮の作品になります。

1階大食堂の照明:
こちらは、ルネ・ラリックの作品で、大食堂らしく、ザクロやパイナップルが描かれています。

1階小食堂:
家族用食堂で、洋室の中に和のエッセンスが組み込まれた部屋になっています。
写真では絨毯が敷かれていますが、床は寄木になってり、朝香宮邸時代には写真のようにテーブルが置かれ、和室のスタイルを洋風にアレンジされています。
備えてある床(とこ)部分も椅子に合せて、一段高くなっており、扉部分は日本の伝統建築の舞良戸風になっています。

1階階段わきの化粧室:
来客用の化粧室で、階段部分にはバラの花が描かれており、洗面台には緑色の大理石が用いられていますが、現在では採掘できない大変貴重なものとなっています。

1階トイレ内の写真(コロナ禍前に公開されたもの):
トイレ内のタイルは山茶窯製作所の物になります。

1階家族用階段:
主階段の裏手、小食堂脇にあり、家族用階段として使用。
この部分から家族は、小食堂に向かいます。また、3階まで続いている階段になります。

主階段(踊り場部分から臨む):
階段部分は宮内省内匠寮の作品で…
●木目に見える部分:スタラティーテという大理石製
●手摺部分:大広間の大理石と同じボルトロ
●ステップ部分:ミケランジェロが彫刻に使ったビアンコ・カラーラ
が使用されておりすべてイタリア製になります。
また、階段上部にある照明は、付け根部分に水盤がつけられており、花を生けることができます。

2階広間:
2階部分は家族のプライベートルームになり、内装関係は主に宮内省内匠寮が担当。
このスペースは家族共有スペースとなり、備え付けのソファーが付けられ、朝香宮邸時代にはピアノが置かれ、家族のくつろぎの場となっていました

2階若宮寝室:
部屋の照明は、宮内省内匠寮の技手・水谷正雄氏の作品となり、もともとはベージュのテッコ―が付けられており、張り出した窓には竣工当時のサッシが残されています

2階若宮 合の間:
白漆喰のヴォールト(カマボコ型)天井と土壁風壁面のコントラストが特徴的な部屋です。
なお、こちらの照明も、水谷正雄氏の作品です

2階若宮居間:
飾り丸柱がアクセントとして付けられ、竣工当時の壁紙は、サルブラ社製のブルー系のテッコ―が付けられました。なお、漆喰天井は円形になっており内匠寮の左官さんの仕上げになっています

2階書庫

2階書斎:
内装設計はアンリ・ラパンがデザインした部屋で、4隅に三角形の飾り棚を置き、天井をドーム状にしています。また八角形の絨毯もラパンのデザインによるもので、この部屋専用の特注品。
デスク、椅子、棚もラパンの作品で、机の下に挟まれた厚紙から、殿下居間の壁紙は復元されました。

2階殿下居間:
こちらもアンリ・ラパンのデザインで、天井はヴォールド(カマボコ型)天井。
壁紙は先述の書斎部分の机に挟まってた厚紙から2014年に復元されたものになっています。アクセントとして付柱が設えていますが、フランスから輸入した際には寸法が足りず、内匠寮によって付け足されました。

2階殿下寝室:
殿下のほかの部屋とは違い、落ち着いた雰囲気になっています。柱部分や扉部分などにはクスノキを使用。照明は宮内省内匠寮の作品で現在は撤去されているものの、竣工当時の壁紙はサルブラ社製のブルーグレーの物が使用されました。

2階殿下寝室 玉杢の扉:
殿下寝室の扉は4つとも1枚板のクスノキ製で、玉杢が用いられています。玉杢とは、木の瘤のある面をスライスすると出てくる、比較的大きな同心円形の模様のことで、大変貴重な木材になっています。

2階第一浴室:
鳩彦殿下と乃子妃殿下共通の浴室で、床には山茶窯製陶所のモザイクタイルが用いられ、壁部分は現在では入手できないフランス産大理石の「ヴェール・デ・スール」が用いられています。

2階妃殿下寝室:
照明は上下に移動できる布シェード付きになっており、竣工当時の壁紙は、サルブラ社製のワインレッドの壁紙。楕円形の鏡のついたドアなど、女性的な部屋になっています。哀しいことに、充子姫殿下は竣工まもなく1933年にこの部屋で亡くなりました。
なお、この部屋のラジエーターレジスター(暖房機用カバー)は妃殿下自らデザインされたものです。

2階妃殿下居間:
やや浅めのヴォールト(カマボコ型)天井の部屋で、照明はフランスのインテリア雑誌で発表されていたものと瓜二つですが、充子妃殿下のリクエストによるもので宮内省内匠寮が作成したものになります。
1枚物の大きな鏡、実用的な作り付けの家具類など、妃殿下の趣味嗜好をうかがい知ることができます。

2階妃殿下寝室から半円形のバルコニーを臨む:
妃殿下寝室からバルコニーを臨むと、布目タイルが敷き詰められています。これは昭和初期、美術タイルとしてその名を馳せた、泰山タイルです。

2階ベランダ:
鳩彦殿下/充子妃殿下の居室部分からのみ出入りでき、ここから庭園を一望できるようになっており、両殿下のみのスペースになっています。
床には国産の黒と白の大理石のタイルが用いられています。

2階北の間脇の廊下:
ラジエーターカバーには、日本の伝統模様であった青海波が描かれており、随所に和のデザインが設けられています。
また、壁部分にはコテなどの動議による模様付けが行われ、職人の方は競って壁塗りを行ったことが伝えられています。
当時の優れた左官技術を垣間見ることができる部分です。

2階北の間:
この部分は夏の日に過ごす部屋になっており、床部分の布目タイルは、バルコニー部分と同じく、泰山タイルが敷き詰められており、部屋に渋みを与えています。柱などには高級木材のチーク材が使用されています。

北の間下の中庭部分

2階姫宮寝室:
姫宮寝室には、サクラ材が多く使用、床の寄木はケヤキになります。
壁紙は、ブルーを基調とした直線と水玉模様のデザインで、光によって微妙に変化をもたらす、メタリックな輝きを放っています。こちらはサルブラ社製テッコ―の壁紙で、竣工当時の物。充子妃殿下のアドバイスのもと、姫宮の好みで選ばれました。

2階姫宮居間:
こちらの扉や床材にはモミジ材が使用。中央部分に、サーモンピンクの大理石製暖炉と円形の鏡があり、姫宮の部屋にふさわしく、可憐なやわらぎを感じさせます。壁紙はサルブラ社製の虹色の波型ストライプ。寝室とは対照的に明るい部屋になっており、床部分はローズウッド/ケヤキ/カーリーメープルの寄木張りになっています。

2階廊下部分から姫宮居住スペースを臨む:
廊下から姫宮居室/寝室に続く通路で、照明器具が非常に華やかになっており。こちらも宮内省内匠寮の作品になっています。
また、廊下奥側部分には、金庫室を見ることができます。

2階金庫:
姫宮居室/寝室脇と階段部分脇には金庫が設えています。

階ウィンターガーデン:
2階北の間に対し、冬でも暖かく、温室として最上階に設けられた部屋になり、室内には花台や水道蛇口、排水溝が設えてあります。
白と黒のタイルが敷き詰められた床部分は、人造大理石が。壁部分は国産大理石を使用しており、素材の違いが分からないように当時の職人さんたちの高い技術力をうかがい知ることができます。
椅子は、1932年に東京松坂屋で開催された「新興独逸建築工芸展」で殿下自信が購入したもので、マルセル・ブロイヤー氏の作品になっています。

3階ウィンターガーデンをベランダ側から臨む

【編集後記】
この邸宅に関しては、その美術性などから、建物全体が美術品というにふさわしい建造物であり、パリ博覧会で大活躍したアンリ・ラパンやルネ・ラリックらフランスの芸術家。
そして、戦前日本において、最高峰のスキルを持った建築集団の宮内省内匠寮の面々との美の饗宴を愉しまれては?と強く感じます。

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