わが心の近代建築Vol.5 清閑亭(黒田長成別邸)/神奈川県小田原
みなさん、おはこんばんちわ!!
今回は、新たに料亭/文化発信所として生まれ変わった近代和風建築、小田原にあ小田原料理別邸・清閑亭さんについて記載します。
一部、店舗などとして利用されている個所や、写真を撮り忘れた部分もあり、その際には写真説明に記載します。
まず、小田原の地は、江戸期より江戸の奥座敷として人気のある土地で、明治期には、伊藤博文別邸、1890年竣工の「滄浪閣」など、多くの政財界人の別邸建築が建てられ、1901年には小田原城内に、小田原御用邸が建てられますが、1902年に小田原を襲った高潮で、海岸沿いの別荘地は大被害を受けました。
その後は、小田原城三の丸外郭を中心に別荘は建てられ、この清閑亭も、そのひとつになります。
その中で、清閑亭は侯爵・黒田長成(1867~1939:)の小田原別邸として1906年い設けられ。1907年には隣に閑院宮別邸が設けられ、宮家と黒田家の間では、交流が深められていきました。
その後、1946年から1963年まで東京国立博物館館長などを歴任した浅野長武氏が住まい、松永安左ヱ門(耳庵)らが訪れ、のちに第一生命に譲渡され、小田原市の管轄に。
主屋は2005年に国指定登録有形文化財に選定、庭園部分は国指定名勝に選定。
2010年からは、小田原文化の交流拠点として公開。
清閑亭は耐震などの工事を経て、建物庭園の運営を一般企業に委託され、料亭として使用される傍ら、現在は広く一般公開されています。
たてものメモ
清閑亭(旧黒田長成別邸)
●設計:1906年
●設計者:不詳
●文化財指定
・邸宅:国指定登録有形文化財
・庭園:国指定史跡
●写真撮影:可(商用厳禁)
●交通アクセス:小田原駅より徒歩15分
●開館日/見学時間:小田原別邸料理 清閑亭に確認
●入館料:レストラン/カフェ使用費以外に保持費のため、別途¥550必要
●参考文献P
・BS朝日放映 「百年名家」
施主:黒田長成(1867~1919)
まず、はじめに施主の黒田長成侯爵について記載しますが、1867年に筑前福岡藩主・黒田長知の長男として生まれ、維新後に上京の後、慶應義塾に入学。その後、1880年に慶應義塾退学の後は、ケンブリッジ大学に入学ののち、1887年に学士号を獲得し卒業します。
卒業してから、宮内省武官、貴族院議員、修猷館(現在の福岡県立修猷館高校)館長を歴任し、1894年から貴族院副議長を30年間務め、1924年から亡くなる1939年まで枢密顧問官を務めます。
枢密顧問官時代は、小田原の清閑亭に身を寄せることが多かったことが伝えられています。
黒田長成は、清閑亭以外にも、赤坂本堤以外にも、沼津、福岡にも別邸を所有していましたが、現存する遺構は、清閑亭のみとなりました。
清閑亭 正面写真:
侯爵の別邸の割には大変質素な造りになっていますが、この部分は、関東大震災以降の改修時に付けられたものになっています。
また、玄関より左方面は夫人の居室になっています。
また、別邸建築ということもあり、応接棟などの部屋は省略化されています。
玄関棟部分の側面:
上部の垂木は扇形に配されており「扇垂木」になっており、こちらも、崩した数寄屋の意匠がみられます。
主屋脇の遺構:
こちらの崖部分は、小田原城三の丸城郭の遺構で、土塁の掘割、土塁の遺構を現在でも見ることができます。
清閑亭 庭園部部からの写真:
庭園部分から建物を覗くと、いわゆる伝統的な雁行型に並んでおり、2階部分が長成公の居室。1階部分に食堂/居間、茶室/夫人室/離れが設けられています。また、2階部分は神楽造りとして、通し柱の無い建造物でのちに増築されたものになっています。
清閑亭 庭園部分:
庭園は、松を主体としており、晴れた日には、真鶴港や石垣山の一夜城、伊豆大島などの相模湾を一望できるビューなっており、こちらの邸園も、国指定名勝に選定されています。
清閑亭 平面図【ネットより拝借】:
外観時に記載しましたが、西側(庭園)から見ると、建物の各棟が数学の相似関係に、雁行型に並んでいます
また廊下部分は、各部屋を介せず移動できる「周り廊下」になっています。
なお、現在、離れに関しては、スタッフルームに。蔵部分はカフェに利用されているため、過去写真を用いります。
玄関部分:
玄関天井は米松を用いた舟底天井になっており、鏡板を竿縁に並行して張った造りになっています。
玄関わきの意匠:
玄関わきには曲り竹を活かした不思議な襖がありますが、この部分は、厠になっています。
玄関手前側トイレ:
小便器は現代化されていますが、流しは銅板、古木を利用した部分などは竣工当時のままになっています。
1階奥側トイレ部分:
こちらも戦術と同様ですが、天井部分の通風には、かけを味路上に組んだものが使用されている、数寄屋風になっています。
東棟1階水屋:
東棟に位置する部屋で、水屋部分は、一般的な水屋よりも流しが広く取られています。
東棟1階水屋② 食器棚:
棚は造り付けで、
天袋の絵は、地元の美術家さんたちが、開業前に描いたものになっています。
東棟1階 茶室:
茶室の襖絵や板戸絵は当時のもので、料亭前はボランティアさんの控室として使用。現在はお土産コーナーになっています。
また、天井部分は網代になっており、相模湾ビューになっています。
茶室とはいえ、長成公は、英国生活長かったため、この部屋では、長成夫妻は、相模湾ビューを臨みながらイングリッシュ・ティーを堪能しました。
東棟1階 次の間:
現在はレストラン部分になりますが、竣工時は婦人室でした。
襖絵には斬新な襖絵が描かれており、これは現在の絵師さんたちが描いたものになっています。
また、欄間部部には、小田原らしく、「波に千鳥」が描かれていいます。
東棟1階座敷:
こちらも、現在はレストランに利用されていますが、竣工時は婦人居室に使用。窓ガラス全面が駿河湾ビューになっており、天井部分は屋久杉が用いられ、床柱には数寄屋風の自然の反りを活かした胡麻竹(ごまだけ)になっており、床框(とこがまち)は側面部分のみ黒漆塗りしたもので、床脇に着く火灯窓は、くり抜いただけのものになります。
東棟1階 離れ【現在はスタッフルームの為非公開】:
※過去の写真を使用
次の間の襖部分を開けると、「はなれ」になり、現在はスタッフルームとして活用されています。「はなれ」部分は奥女中の間として使用されました。
西棟1階 主人居室/次の間
正面にある地袋から、料亭前は「銀の間」と呼ばれており、こちらも現在はレストラン部分に使用されています。婦人室と同じように、こちらの欄間も「波に千鳥」が描かれており、天井高は3mにもなり、地袋部分は銀を用いたものになっています。
こちらの襖絵も、改修時に地元の絵師さんたちが書いたものになります。
西棟1階 御居間:
次の間もそうでしたが、こちらの部屋も、廻り縁は2重になっており、天袋部分は、次の間に呼応して、金箔が貼られたものになっています。
西棟1階 御居間の床の間:
床の間の書院の松皮菱と、狆潜りは黒漆塗りになり、床の間は1間半もあります。
一方、床柱には丸太が。床框は黒塗りでありながら角を敢えて塗らないなど、別邸建築のため、非常に崩した造りになっています。
西棟1階主座敷の入側部分:
西棟の入側は東棟入側と違い、写真では絨毯が敷かれているため分かりづらいですが、畳敷きなっています。
こちらの杉戸絵を開けると西棟1階食堂部分になりますが、通常は「竹の節欄間」が設けられていますが、こちらは障子と障子上部は壁になっています。
また、西側入側部分には杉戸絵が描かれています。
西棟1階主座敷入側 脇の杉戸絵:
こちらには、松竹梅の竹が描かれています。
西棟1階 主座敷入側の杉戸絵:
こちらには、「雄鳥とバラの花」が描かれており、こちらの杉戸絵を開けると、西棟食堂入側になります
西棟1階 御食堂入側:
主座敷入側の杉戸絵を開けると、御食堂入側になります
西棟1階 御食堂入側の杉戸絵:
先述の御居間入側の杉戸絵と対になっており、こちらには、「雌鶏とバラの花」が描かれています
西棟1階御食堂入側反対側の杉戸絵:
こちらには菊の花が描かれており、杉戸の玉杢が、海浜別荘だからか、波しぶきを描いたかのような素晴らしいものになっています。
西棟1階 御食堂:
こちらの部屋は、御居間と違い、床の間は設けられて折らす、現在はほかの部屋と同様、レストランとして使用されています。
また、黒田長成別邸時代から座敷ではなく、テーブルが置かれていました。
西棟1階 御食堂/次の間:
御食堂に付随する部屋で、訪問客の多い際には、御食堂と次の間の障子を外して使用していました。また、こちらの襖は、現在の地元の絵師さんたちの作品で、水平線からの波を描いており、座るとその醍醐味を味わえます。
清閑亭1階 内蔵【過去写真を使用】:
西棟わきに付けられており、現在は、この部屋は蔵カフェに利用されています。
実にお手頃な価格で、小田原界隈は非常に歩くため、箸休めとしても素晴らしいカフェではないかと個人的には感じます。
清閑亭 1階廊下部分:
廊下武運全体を平面図で見ると、廊下は、建物全体を回る形になっており、移動する際には部屋内を通過しなくてもよい状態になっています。
また、垂木を支える軒桁部分には北山杉が用いられ、長い箇所では4間ものスペースを支えるものもあります。
東棟2階 玄関側廊下の水屋:
茶室脇の階段を登ると2階になりますが、玄関側の廊下分において、水屋部分がありますが、棚には網代が組んであり、右側部分には、折り畳み式の棚になっており、実に生活空間的な場所になっています。
東棟2階 主人寝室/次の間:
2階部分は、小田原文化の交流の場になっており、欄間部分は光琳桐が描かれています。
また襖の先端部分は赤漆が塗ってあり、引手部分は七宝焼で仕上げています。
東棟2階 主人寝室:
こちらの部屋は長成公の好みを反映させた、数寄屋風になっており、中でも、床柱は榁【ムロ】という非常に珍しい木材を。地板部分には、松の1枚板という、数寄屋を謳いながらも、大変豪勢な造りになんています。
東棟2階入側:
奥側には、洗面台が設けてあり、長成公は朝起きると、この場所で身支度を整えて、1日を始めました。
東棟2階 寝室から相模湾を臨む:
2階入側から相模湾を臨むと、天気の良い日は真鶴港や伊豆大島、石垣山などを臨める、風光明媚な場所になっています。
【個人的意見として】
今回自分が感じたのは、全国の有形文化財建造物のおかれた状況は、非常に厳しいのが現実。
特に、国指定登録有形文化財においては、国とつきながら、所有者個人や市区町村の運営に任され、国からは碌な支援もなく、個人の方やボランティアの方、一企業や学校法人など、個人での管理が前提で、なかには資材を投げ打っている方や、市区町村の財政を圧迫している所も非常に多い状況。
実際、この趣味を行うと、所有者の方の手に追いきれなくなり、解体や放置などにあい、もう二度と見られない場所も数多くあり、僕が見てきたものでも、名前を上げたらキリがなく、そのたび、自身の無力さに辛酸を舐め、涙した事は一度や二度ではありません、
そのような中、一企業が手を上げて、市から運営を任され、多忙な業務の合間を縫って、個人個人に公開してくださることに、ホント頭が下がります。
改めて、この清閑亭。
この先もずっと愛されていくこと、心より応援申し上げます。