あなたとわたしはちがうひと
同級生でオンライン上でかなり発信している人がいる。
その人は強みとして、コミュニケーション能力の高さを上げることが多い。
でも、コロナ前に同窓会をした時にはそういった部分が全く見えて来なかったし、
むしろ、一切私とは話していないといっても過言じゃないくらいだった。
「コミュニケーション能力」高いってなんだよ。
高いやつがなんでコミュニケーション取らねーんだよと思っていた。
けど、ここでふと、私の考える「コミュニケーション能力」とその同級生の考える「コミュニケーション能力」は別の能力何じゃなかろうかということだ。
私の考える「コミュニケーション能力」は、
どんな人間とも仲良く楽しく会話・対話を続けることを指しているので、
その同級生が飲み会で全員と話をしていたり、場を回していなかったので、「コミュニケーション能力」は低いと私は判断せざる負えない。
しかし、その同級生の考える「コミュニケーション能力」は、
発信等をみていると、
自分の思いを(感覚・イメージなど)正確に伝える能力のことをいっているんじゃないかと思う。
仕事柄そんな能力の方が必要とされるんじゃなかろうかと推測してみた。
ディスコミュニケーションが生まれないような対話が「コミュニケーション能力」なのかなと
そうすると、私の考える「コミュニケーション能力」が低いことも、うなずける。
全員と話すことは全く必要なく、特定の、自分の話たい人に、自分の考え・思いが通じで共感できればいいのだから。
こう言葉にしてみて初めて気づけたのだが、
一人として同じ人間はいないんだなと。
同じ「コミュニケーション能力」という言葉でも、
理解が複数あって、そこには、生活している環境だったり、
触れてきたもので、意味が変わってくる。
立場が違えば、同じ「仕事しろ」でも、求めていることが違ったりするわけだろう。
そういう理解のズレを埋める作業も「コミュニケーション能力」なんだろうな。
簡単に伝わると思い込んではいけないと考えさせられる1件だった。