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私の中の私たち
自己分析というものをしていると、「本当の私」という難問にぶつかった。
私が認識している私と他人が認識してる私って、全部が全部私であり、全部私ではない。
これがあなたでしょって決めつけられるのも嫌だし、これが私かって確証もできない。
じゃあどうすればいいんだって話ですが、こればかりは生きてみないと分からないんです。
なんだよその答えってなりますよね。
私も思いますよ、そりゃそうでしょ
私の中で私が定まらないから不安で不安でしょうがないです。
本当に自分が分からなくて怖くて怖くて仕方ない。
好きと嫌いの両方に相反する自分がいて、矛盾して、混沌の中で調和して共存してる。
だから私の中にはたくさんの私がいて、毎日毎日あれでもないこれでもないと議論している。
そんな感じがするのです。
それを誰か1人に決めて紹介するって本当に難しい、ましてや就活なんてもっとめんどくさい。
私はどんな私にでもなれるけど、どんな私にもなりたくはなくて、やっぱり自分になりたいんです。
そう思うと、オリジナルの自分って埋もれてるだけで探せば見つかる気もしますね。
どうやって掘り返すのかな。
普段から見せてくれないんですよね、オリジナルって臆病だから。
本音で話すと傷つけられたときにすごく痛いんですよ。
だから他の私たちがうまーくやってくれて痛みを分散してるんです。
本当に生きづらい世の中ですしね。
ずっと幸せは続かないし
ずっと1人は長く感じるし
傷つくのは本当に怖くて怖くて不安でたまらない。
でもオリジナルの存在に気付く時って、大体ひどく傷つけられたり、傷つけたりした時かなって思います。
ということは、本当の自分、オリジナルって
本当に自分自身と対話して生きないと出てきてくれないってことですね。
素直に言えた言葉とか自然に出た感情の声をちゃんと認めて、聞いていくってことですね。
たくさんの私たちの中で、小さくうずくまって遠くから見てるあの子のことをちゃんと見て、聞いて、感じて、「友達になろって」声をかけていくことが私を知る第一歩なんですね。
私もまだまだ未熟者で、子供なんですけれども
自分のチューニングぐらいはできるようになりたいな。