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ザ・ブルーハーツと銀色夏生は今も10代の胸に刺さるのか

ザ・ブルーハーツと銀色夏生が青春だった。

ここでいう私の青春は、中学時代のこと。

今更ながらで申し訳ないが、ブルーハーツの曲がとてもよい。

なぜか?

・まず、歌詞が良い
・独特な声と歌い方が良い
・あの時代に合っていた

という、勝手な私の意見

「良い」の定義は人それぞれとして、あの頃の私のハートはまさに掴まれていた。多くの人が思っているけど言葉にできなかったことを多くの人が表現できないであろう言葉で代弁してくれていた。

そうそう!まさにそうなの!言いたかったのはそれ!って思う、私や、ちょっと上の世代の若者が多かった。

ちょっと社会風刺的でちょっと反逆的でかつ、詩的でもあったんだよなあ。

もちろん、そういう歌詞を歌う人はほかにもいたけれどテレビドラマの主題歌になってたこともあって、当時ドラマっ子だった私に刺さったのかも。

あの時代に合っていた、とは書いたけど、今の10代が聴いてもきっと共感する部分があるんではなかろうか。(時代背景は置いといても)名曲とはそういうものだしね。

ただ、今の自分があの頃と同じように、同じ曲に共感できるのか、っていうと多分それはちょっと違うんだろう。

いつ聴いてもいい曲はいい、のだが、やはりその時代とその年齢だからこそ、感じられるものがあるわけで。

銀色夏生さんもそう。

同世代の銀色夏生好き女子には共感してもらえると信じているが、あの頃、面の皮の厚さが今の10分の1しかなかったあの頃、銀色夏生の写真と文章は10代の私のハートに刺さりまくりだった。

刺さりすぎて、憧れすぎて、詩を書き始めたのも私だけではないはず。

当時買った銀色夏生さんの本は実家の本棚に今もある。

何度も親から「これ、もう読まないんじゃないの?」と言われても、あの頃のようにはキュンとしないとはわかっていても、もう読まないかも?と思う自分がいたとしても、いや、でもやっぱりこれは宝物、と思って捨てられなかった。

確かにもう、あの頃と同じようには銀色夏生の詩やブルーハーツの歌詞にキュンとはしないのかもしれない。

でも、キュンとしたあの頃の自分の気持ちはあの当時の切ない恋ややるせない感情と一緒に思い出せる私がいる。

逆説の逆説で恐縮だがでも、やっぱり「思い出す」ことと実際に「感じる」ことは違う。

つまりなにが言いたいかっていうとね、私はあの時代に今の何十倍もキュンとできる感性を持っていたあの時代に、ザ・ブルーハーツと銀色夏生に出会えてよかったってこと。

いつの時代の10代にもそういう存在はいるんだろうなと思うけど、私のあの時代に私をキュンとさせてくれたものがあの人たちでよかったなと思う。心から。

それにしてもあの頃私は、詩を書きながら思ったものだった。

今の、この、胸が苦しくなるような想いを失くしたくない。
失くさない。

10代の私

後に知ることになる便利な言葉「キュンとする気持ち」を失くしたくない、ってことなのだが、どうひいき目にみても、私はそれを、失くしている。。

いや、完全にではないが、減っている。。それが、大人になるってこと?なんていう、平凡なまとめはしたくないよねー。

というわけで、今度いつか「人はなぜキュンキュンを失っていくのか」という記事を書いてみようかな。

今日はここまで。お読みいただきありがとうございます。

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