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煩い音楽を聴かないとダメだった

 私は華やかさとは縁遠い高校生だった。
 朝とは言い難い時間に、湿った砂が詰まった体を引きずり起こす。吐き気とともに薬を飲み込み、もたもたと制服を着る。椅子でしばらくぼーっとしたあと、なんとか高校生の形を取り繕って家を出るのがいつもの流れだった。
 バス停でバスを待つ時間が果てしなく長く感じた。だからウォークマンのスイッチを入れてイヤホンをつける。早く、早く音楽を聴かなくては。後ろ向きの気持ちを燃やして暴力的なエネルギーを得るために、とびっきりのロックンロールがいる。煩くて速くてたまらないやつが。

 ヒトリエというバンドがいる。VOCALOIDを使った音楽で絶大な人気を誇るwowakaが、シノダ、イガラシ、ゆーまおと組んだロックバンドだ。ヒトリエの音楽は、とにかく速い。そして煩い。ギリギリまで詰め込まれた歌詞、激情ほとばしるメロディ。私はヒトリエが大好きだった。

 遅れて登校する私を電車は正確に運ぶ。登校ラッシュの時間とは違ってスカスカの車内で、自分は異質な存在だと思い込んでいた。乗客はみんなスマホを見ていて誰もこちらなど見てはいないが、居心地の悪さだけは確かに存在していた。それは紛れもなく私の劣等感から来るもので、それを打ち消すためにヒトリエの音楽が必要だった。
 そんな時よく聴いたのは「インパーフェクション」。鮮烈なイントロのギターが耳をつんざく、衝撃波のような歌だ。全部ぶっ飛ばして、狂わせてくれよ、そんな祈りとともに何度も繰り返し聴いた。

誰一人でも掴めない例外を探し探して
あるわけもない 当たり前の未来をこじ開けて
目が覚めた時 何処に立っていようと 何をしようと
関係ないわって笑い飛ばしてみたいの
いつかはさあ!

ヒトリエ「インパーフェクション」歌詞より

https://youtu.be/c7zBXSyKjQA?si=qiPymVs6ofhkOvWs

 高校には大切な友人がたくさんいた。心を許せる先生が何人もいた。しかしながら私をいじめてくるクラスメイトもいた。それを見て見ぬふりする先生もいた。
 2年生の時に同じクラスになったKは発言力が強くて教室の中心的人物だったが、悪名も高い奴だった。自分が認めない他人はとことん見下す。舐めてかかる。そんな奴だから、私が目をつけられるのも時間の問題だった。
 その頃の私はいわゆる起立性調節障害のような症状に悩まされていて、朝なかなか起きられず遅刻することが多かった。目立ちたくないから授業中には教室に入れず、休み時間になるのを待ってそっと忍び込む。それをKが目ざとく見つける。「また遅れてきたよ」と笑い、取り巻きたちが同調する。私の高校はいわゆる進学校で、Kも馬鹿ではない。私に直接言うと「いじめ」になるから教室の端からひそひそと笑う。揶揄する。
 Kは廊下ですれ違うたびにニヤニヤしながら「〇〇さん、元気?」と聞いてくる。こんなしょうもない奴に負けてたまるかと思うから、私は満面の笑みで「すっごい元気。ありがとうね」と返す。
 次第に教室の一部の奴らに「〇〇は舐めてもいい」という空気が流れ始める。授業で私が指名されて立ち上がると、くすくす笑い声が聞こえる。私は叫びたかった。お前らがどれだけダサいか、しょうもないか、突きつけてやりたかった。でも、できなかった。それは私の弱さであり、清さだった。
 精神的に参っていた私は、これをいじめだと認めることができなかった。今までたくさんの本や記事で同じ例を読んだのに、「この程度ではいじめとは言えないだろう」と思い込んでしまった。結局私はKにいいようにやられた。人生における後悔の一つだ。

 ある時、「アンチテーゼ・ジャンクガール」のMVを見た。そこには思うようにいかない日々に苛立ちを抱えた等身大の女の子がいた。街に出れば、いちゃつく男女、下卑た笑いを浮かべる男、謝り続けるサラリーマン。それを見た彼女は頭の中で刀を手にし、すべてをめった斬りにしていく。
 この女の子は私だ、と思った。周りの声が聞こえないようにイヤホンの音量を上げて、なけなしの鎧を纏うために聴き続けた。Kを、あいつらを、めった斬りにする妄想をしながら。

「あんたなんか、しらないわ」
理由もなく流れ落ちる感情を今すぐ、
今すぐ忘れたいの!
さらけ出したあたしの色 見てる かしら

ヒトリエ「アンチテーゼ・ジャンクガール」歌詞より

https://youtu.be/UDgX5--14-w?si=ZBwJUdqZdD33snds

 当然の帰結として私は教室に居づらくなり、次第に授業を休むことが増えたが、放課後の時間はとても居心地がよかった。私にとって苦痛である授業に出る原動力は、ここを頑張れば放課後になる、部活をしたり先生に面白い話を聞けるというただそれだけだった。
 ところがある日、廊下で担任に呼び止められて「あと一回英語の授業を休むと留年する」と告げられた。「他の子は苦手な授業も頑張って出ている」「授業に出ないのに部活をやるのはいけない」「あなたはもっと頑張れる」。担任の的外れな批判をひたすら浴びせられて、泣き続けた私は過呼吸になった。しかし担任は話をやめない。廊下を通り過ぎる同級生たちのギョッとした顔が脳裏に焼きついている。

 その日から、這ってでも無理やり登校する日々が始まった。私は好きに休むわけにはいかなかった。それは進級して友人たちと3年間を最後まで過ごすためであり、私の誇りのためだった。
 欠時数を数えながら、ぼろぼろの体を焚きつけて高校に通う日々。限界が近かった私を動かすのは、たまに訪れる楽しい瞬間と、大きな怒りだった。私をここまで追い詰めた病気も、環境も、クラスメイトも、担任も、すべてがとにかく憎かった。なんで私がこんな目に遭わなきゃいけないんだ。私の体なんだから思い通りに動けよ!
 だから、私には煩い音楽が必要だった。苦しみを、怒りを、憎しみを、生命の衝動として昇華してくれるヒトリエが。イヤホンをつける時、CDコンポのスイッチを押した時、その瞬間だけは踊り狂うことができた。

聞こえてますか 聞こえてますか
舞台に立ってるあたしの声が
「踊っていいよ 踊っていいよ」
忘れることなど出来ないわ

ヒトリエ「トーキーダンス」歌詞より

https://youtu.be/ZUqPaZ-rVLk?si=pLrQf0g669dJ1QAz

 結果として私は3年生に進級した。しかしそこで燃え尽き、高校卒業はできなかった。散々悩んだ末にたどり着いた結末だったけれど、苦いやるせなさが染みついた。
 私はやはりヒトリエの歌を聴き続けた。まだまだエネルギーが必要だった。そうしているうちに私は浪人生活を終え、やっと大学に入れることが決まった。そしてこのエネルギーを生で浴びたいと思い、ライブツアーのチケットを買ったのだ。
 2019年4月。入学式へ向かう電車の中で通知を受け取る。そこにはヒトリエのwowakaが亡くなったと書かれていた。私が取ったチケットは追悼会の入場券に変わった。間に合わなかったのだ。ホームから見た桜があまりにも綺麗で、それだけが強く印象に残っている。

 2ヶ月後の6月、私は追悼会に参加していた。ギターボーカルがいなくなったバンドの行先はまだ知らされていなかった。
 BGMが大きくなり、会場が暗くなる。出囃子が鳴って、3人が登場する。そしてシノダが歌い出し、そこには私がずっと聴いてきたヒトリエがあった。
 演奏後、3人はこれからもヒトリエを続けることを宣言した。私はまだ間に合うことを知った。

悲しいこと辛いこと
すらも超えちゃう最悪の連続が
君を泣かせるでしょう でも
五月蝿い音には勝てないじゃんね
なんせ嫌われるくらいのことが
好きなんだからしょうがない

ヒトリエ「ステレオジュブナイル」歌詞より

https://youtu.be/2YtV2bWcspU?si=xjU-f6z7CXikeywR

 私の生活は今もまだままならない。10年経っても病気は続いていて、ぼろぼろと泣く夜もある。思い描いていた未来とはだいぶ違うものになった。
 しかし、ヒトリエの音楽を聴く時、ライブで手を振り上げる時、私は確かに自由になる。押しつぶされそうな負の感情がエネルギーへと変わるのを感じる。
 私にはまだまだ煩い音楽が必要だ。そして私にとってそれはヒトリエだ。フロントラインを走り続けてくれるヒトリエがいる限り、果ての果てまで追いかけていこうと思う。

数多の感情犠牲にして現在に至った
あなたに触れた指先で
失っちゃいけない想いだけをなぞった
そして僕は行くのだろう
その先へ

ヒトリエ「オン・ザ・フロントライン」歌詞より


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