『タッチ』の南ちゃんは本当は何者だったのか

ツイッターでこういう話題がありました。 


一応言っておくと、元ツイのにゃにゃこさんは僕と以前から相互フォローの方で(まあ相互フォローったって4万人くらいいるのだが)特に僕としては「フェミの表現規制だ!」とか「ヴォルテールいわく」とか「それはどういう意味でしょうか?(メガネピコピコ)」とかそういう話をしたかったのではなく、「そういえばタッチの南ちゃんって昔からなぜか人によってイメージがバラバラだよね」という話を軽くしたつもりが、これが完全にオタクVSフェミというネットのトレンドに乗っかって4000RTという山火事になってしまった。まことに申し訳ないことである。消火活動も含めて「タッチ」という作品について書いてみたいと思う。浅倉南という、連載が1986年に終了して30年が経過してもいまだにこうして話題になる漫画史に残るヒロインについても。

最初に言っておくと、僕のツイートで書いたTV局の企画『南ちゃんを探せ』は女子マネ企画ではなく、女子スポーツ選手にスポットを当てる企画で、これは完全に僕の間違い。なんかそんな企画あったなというおぼろな記憶で書いたのだが、むしろ女子マネとは正反対の方向性であった。しかし、このことからもわかるように、実はあだち充作品は「ヒロインの才能と可能性を潰す」ことに命をかけてなどいない。というか、端的な事実として、南ちゃんは野球部のマネージャーを辞め(監督に追放されるのだが)最終的には女子新体操選手としてインターハイに個人優勝してしまう天才アスリートなのである。これは当時の少年漫画のヒロイン像として異例、画期的なことであった。wikiにもそう書いてあるからたぶんそうだと思う。

早い話が、浅倉南という子はそれまでの少年漫画に出て来た応援ヒロイン、主人公を応援したり、勝負に勝った方の彼女になったりというそういうステレオタイプを逆手に取った新しい天才ヒロイン像だったわけである。「いわゆるああいうタイプのキャラだと見せて実はちがうんだよ~ん」というキャラだったはずの南ちゃんなのだが、『タッチ』1億部という異常なヒットの結果(あだち充全作品ではなく『タッチ』だけで売り上げ1億部なのだそうだ)『タッチ』以前の古いスポ根漫画が時の流れで忘れ去られ、「女子マネージャーといえば南ちゃん、いわゆるああいう南みたいな女」という誤解が生まれてしまったのは皮肉である。

もうひとつ南のイメージが混乱するのは、『タッチ』という作品が和也の死の前と後でまったく変わって行く、というかあだち充という作家が和也の死を描いたことで完全にひとつ上の次元の作家に化けていく作品なので、南ちゃん像というのが1巻と最終巻でかなり変化しているのである。最初の方の南ちゃんがわりと普通の女の子であるのに比べ、後半の浅倉南はほとんど涙を流さないハードボイルドな、そして天才性を強めたヒロイン像になっていく。これは南というキャラだけではなく、あだち充という漫画家が和也の死とそれ以降を描くことによって、「ラブコメハードボイルド」とでもいうべき、それ以降のあだち充作品に共通するあのクールでポップな文体を獲得していく。

自分で書いておいてなんだがこれもちょっと語弊があって、浅倉南という人は天才なのだが、前のめりにバリバリのキャリア志向なのかというとちょっと違うと思う(僕が書いたのだが)。かといって家庭志向なのでもない。なんというか南という人を勉強にたとえると、苦もなく東大には入れるのだがそんなことには興味がなく、世界の誰にも解けない数学の命題のことをぼんやりと考え続けているような、そういうタイプの天才なのだと思う。この「解けない命題」とは言うまでもなく、和也の死のことである。

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