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おお、死んでしまうとはなさけない ――死後の責任問題

死を恐れなくていいとしたらどう生きれるだろうか?
ビデオゲームをイメージしてほしい。

死んだら最後、二度とプレイできないゲームが面白いだろうか?
ひやひやして楽しめないだろう?
楽しめるのは、やられてもプレイを続行できるからだ。

そんな生き方を可能にしたのが、コレ。
この「不死」のマシーンだ。
再生医学と通信技術の発展で、実現した夢のような仕組みだ。

再生医学は身体の欠損や老化問題を解消した。
再生医療の発達で自分の細胞から自分の臓器や四肢を再生し、移せることになった。
自分の体を丸ごと移植・補完することが可能となった。
しかも、最適な年齢の身体を。

これによりダメになった体を補うことはほぼ可能になった。
しかし、それでもダメなものがあったーー脳だ。

脳だけは、ダメになった場合、入れ替えができない。
そこに宿っていた意識はそこだけにあるのだ。

だから脳まで破壊させるような事故やケガ、病気の場合は成すすべがなかった。
が、そこに登場したのが通信機器と記録だ。

まったく同じ人物が同じ人生を過ごせば、同じ人物になる。

ドライブレコーダーのように、技術の発展によりライフログをとることが当たり前になった現代。
そのログは24時間365日、あらゆるその人が体験した出来事を保管する。

そのデータを代替する脳にバーチャルリアリティとして体験させるのだ。
その脳はまっさらな状態から「その人の人生」を追体験し、その意識と自我をトレースする。

 脳トレース技術の開発により、人はようやく死んでも生き返ることができるようになった。
――――――――――――――――――

「俺は・・・・・・」
「ああ、よかった。あなたは事故を起こし、即死しました」
「即死・・・・?」

「ええ、即死でした」
「そうか。なるほど、確かに死の直前までの意識がある。なるほど、おれはこの時に死んだのか」

「でもご安心を。体のほとんどを再生させ、脳トレースまでも必要でしたが、あとは手続きをすればすぐ退院できますよ」

そういって医者ではない男は、一枚の紙を出してきた。
そこには男が起こした事故による事故の詳細と――途方もない賠償金額が書かれていた。

ああ、そうだ。
コンテニューするには、カネが必要だった。


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