息子と、あのとき言えなかった話をしよう
「あのさあ、」
おやすみを言いにきたわたしに、タオルケットにくるまった息子がしずかに話しはじめる。
「息子くんが赤ちゃんだったときさあ、息子くんが眠れなくてさあ、そのときお母さん、どうして息子くんの背中に手をあててたの?」
小学生も2年目とはいえ、まだまだ語彙力のひくい少年との会話は、まるでなぞなぞのようで、はじめは何を問われているのかまったくわからなかったのだけれど、ていねいに聞き取りを進めていくと、それは「添い寝」のことを言っているのじゃないかと思い至る。
毎日あんなに必死だったはずなのに、もうおぼろげにしか思い出すことはできない。だけど、布団の中で息子と向かい合って、その小さな背中をトントンとやさしくたたいて寝かしつけたことは何度もある。きっと多くの大人たちがそうするように、この子が安心して眠れますようにと祈りをこめて。
「だっこして、トントンしてたんだよ。息子くんがすやすや眠れるようにね」
「ああ、そうだったんだ…」
何がきっかけで、そんな記憶を引っ張り出してきたのか、本当にそんなこと覚えているのか、聞きたいことはたくさんあるけれど、息子の重そうなまぶたを眺めていると、おしゃべりしたい気持ちはがまんできる。
今度こそおやすみを言おうと決めたわたしを制して、息子が言った。
「あれさあ…背中の手…邪魔だったんだよね」
ん?
「眠れなくなるからやめてほしかったんだよ。なんで背中に手をあてるの?って思ってたの」
え?
「赤ちゃんだったから、まだ話せなかったからさあ、言えなかった…」
ん、ああああああーーーーーー!?
なにー!?なんで急にそんなこと言い出すのー!?
え、いまー!?
衝撃のカミングアウトに動揺して、それは…わるいことしたね…ごめんね…と返すのが精いっぱいだった。
「うん。いいよ。おやすみ」
そう言って、あの頃よりすっかり成長した体をまるめて、息子は目を閉じる。
い・い・よ、じゃねんだよー!!!!
息子が生まれてから、彼にしてやれることのすべてが正解ではないと知りつつも、そうしてやることがいいのじゃないかと思い込むことで過ごすしかできないというジレンマを抱えて生きてきた。
いったい何度、この子の気持ちをまるっと理解してやることができればと願ったことか。
あのとき知りたくて、知りたくてたまらなかった息子の気持ち。
まさかの、こんなかたちで。
息子の告白に、やはりあの不安は正しかったのだと思うと同時に、いや今さら言われてもと困惑もするし、だけど、だからこそ自分の育児についていつも悩むことを忘れてはいけないんだと改めて考えもする。
いやいやいやいや、
つーかさー、マジでさー、そんなこと言われてもさー、あのとき言えなかったのもわかるけどさー、笑って泣いてしかできなかったからねー、でもさー、もっと早く知りたかったしさー、いま知ったところでどうしようもないしさー、けど言ってくれたこと自体はうれしいっつーか、おもしろー!って思ったけどさー、ていうかその記憶ほんとなの?ほんとにそんなこと考えてたの?適当に言ってんじゃないの?いや、いいんだけど。いいんだけどさ。
わたしのうまくいった育児も、うまくいかなかった育児も、息子がぜんぶ抱えて生きていってくれる。
こどもを育てるって、ほんとに悩ましくて、そんでもって楽しいこと、この上ない。
こんな感情をくれて、ありがとうよ、息子。
もう二度と背中たたいて寝かしつけたりしないから許して。もうそんな必要もないけどね。それはそれで、さみしいね。