お心の病気‐自責の末発作を起こした子どもと上機嫌な親の話‐
むむです。
今回は前々回の続き、自分を責め続けて限界を迎えた自分むむの話です。
すごい笑顔の母
今までにないひどい喘息を起こしてしまった自分むむ。
パニックになり、自我を保てず、思考が働かず、わけがわからなくなっていました。
本能のままに浅い呼吸を繰り返すので、時間が経過しても悪化するばかりで、両親は病院へ自分むむを連れて行きました。
それはもうひどくて、普段乗り物酔いはしないのですが、車の中で嘔吐を繰り返した記憶があります。
逆に、発作を起こしている間のことは嘔吐を繰り返したところぐらいしか記憶が残っていません…
病院で処置をしてもらい、自分むむはしばらく横になっていました。
目が覚め、ようやく思考が戻ってきたところで、横にいた母がえらく上機嫌に対応してくれるのに、違和感を感じました。
喘息で倒れて、母は自分むむのために横についてくれている。
その事実自体はとてもうれしいことなのに…
・発作を起こしたのに怒られないなんておかしい
・救急で病院にご厄介になったのに怒られないなんておかしい
・ベッドまで借りてお金がかかるのに怒られないなんておかしい
・怒らないならまだしも、ものすごい笑顔で上機嫌なのがおかしい
怒られると思っていたので拍子抜けしたのもあります。
「子どもが無事そうで笑顔」ならわかるのですが、心配そうな感じではなくておもしろいことがあった時や、いいことがあった時のような、ルンルンした母の笑顔に、自分むむを思っての笑顔じゃないなと感じ取れました。
満を持しての「お心の病気よ」
なんとなく、原因については心当たりがありました。
ここ数ヶ月、ずっと自分自身を責めて憎んでを繰り返していたことで、胸の痛みがあったからです。
胸の痛みが肺かどうかはわかりませんが、なんとなく関連があるように思えました。
そこで、医師がわかっているかどうかはわからないけれども、原因を母に聞いてみたのです。
すると母の顔色が一変しました。
聞いて欲しかったんだなとわかるほどに、いきいきとして、「お前をかわいそうと思う自分はすごいいい親」と顔に書いてあるような、白々しい、哀れみに満ちた表情で、声も演技じみたように作られ、握った右手でわざとらしく母自身の胸をとんとんと叩き、
「お心の病気よ」
とうれしそうに言いました。
それはもう慈悲深そうに、「おお、かわいそうな子羊よ」とでも言わんばかりの演技くささ。
そのわざとらしさとうれしそうにしている様子、そして普段の母なら絶対に出てこない言葉の選び方に、「ああ、母はそれを言いたかったのか…」と悟りました。
心当たりがあっただけに、「心の病気」と言われてドキリともしましたが、こちらからそれを吐露するわけにはいきません。
言ったところで、「自分が生まれたせいだろう」「じゃあ早く死んだらいい」と言われる可能性があると思うと、やはり怖くて怖くて何も言い出す気にはなりませんでした。
さらに母の「お心の病気よ」の声に、今知った新しい言葉を使ってみたい、というようなわくわくした感情がありありと聞いて取れて、自分への心配は一切込められていないことを感じ取り、またそのうれしそうな様子に気持ち悪さも覚えたこともあって、
「ふーん」
しか返せませんでした。
寄り添おうとした?-母の思考推測①
今思い出すと、おそらくはこの喘息の原因は心因性のもので、思い詰めたことによって起こったのでしょう。
そして、母は医師から心因性…「お心の病気」ではないかと聞いて、指示されたかどうかはわかりませんが、母なりに寄り添おうとしてくれたのかも知れません。
(そうでもなければ、母の口から「お心の病気」などという、ふんわりした、優し気な表現が出てくるはずはありません…)
けれども、病んだ子どもにどう接すればいいかなんて、すぐにはわかりません。
誰でもそうだろうと思います。どんな健全な家庭でも、精神を病んでしまった家族にどう接すればいいかなんて、例え医師やカウンセラーの助けがあっても、最終的には手探りになるでしょう。
健全な家庭でもそうだろうと想像に難くないのに、暴言・暴力と愚痴が日常化している家庭ではさらに難しいでしょう。
母は、普段はサンドバッグとして暴言・暴力・愚痴を浴びせて当然だったむむという存在を、急にいたわらなければならなくなって、どうすればいいか困惑したのだと思います。
そしてそれがあまりにもわざとらしすぎて、普段の暴言・暴力・愚痴を吐き続けている親の姿とは差がありすぎて、子ども(むむ)に気味悪がられ、完全に空回りしたのかも知れません。
…と思いたいけれども、たぶん違うでしょう…
もし、この推測が合っていたとしても、それは病院にいる間だけ、さらに言えば、家族ではない「外部」の人間である病院のスタッフに見られている間だけのことでしょう。
第三者の前にいる間だけ「いい親」を演じていれば、虐待を知られずに済めば、自分むむをまた今までのようにサンドバッグとして感情の吐き出し先にして支配することができるようになるからです。
(とはいえ、本人にとっては無意識での算段だと思います。)
ステータスゲット?-母の思考推測②
それとも、母は我々双子を「自分の一部」として扱っていましたから、自分が「お心の病気」を患ったような気になって、他の人にはない特別なステータスを得たと勘違いした可能性もあります。
母はこの後、知人たちに自分むむが「お心の病気」を患ったと言いふらし、知人たちから「大丈夫?」「大変だね」といったねぎらいの言葉をもらい、承認欲求を満たしていたかも知れません…
まさかそこまで人間腐ってないと信じたいですが、母は他人からの注意をひきつけるために、我々双子をしばしば利用します。十分あり得るのがなんとも悲しいところです…
病気の内容はどうでもいい
どちらにしても、どちらもであっても、どちらでもなくても、母は「お心の病気」の内容についてはまったく興味がない様子でした。
その時の
「お心の病気よ」
「ふーん」
というやり取りですべて終わってしまい、母とはそれ以降二度と「お心の病気」について話しませんでしたし、家に帰るや否や、愚痴と暴言・暴力の日々がまた始まるだけでした。
全ての愚痴をまた受け止め続けなくてはならず、結局「自分が生きているせいで迷惑ばかりかけている…」という認識は変わる理由もなく、自責と憎しみが再び繰り返される毎日になりした。
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