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離婚の不安

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「なむどくにっき」にお立ち寄りくださり、ありがとうございます。

ななです。

今回のお話は以前の記事「両親の不仲②」で両親の喧嘩を見て両親の不仲を痛感した後、わたしが小学6年生になった時のお話です。

小学校では学年が変わると教科書や参考書など、新しく支給される本があります。
わたしはそれを受け取り、名前を書く欄に名前を書こうとしましたが、字を書こうとした手は止まってしまいます。
「おとーさんとおかーさん、仲が悪いなら、離婚するんじゃないか?」「離婚したら、わたしの名前変わるんじゃないか?」
そんな考えが頭をよぎり、わたしは苗字を書けず名前だけしか書くことができませんでした。
家族がバラバラになってしまうかもしれないと考えると、わたしは悲しくて気が重たくなりました。

ある日、わたしが学校の宿題をしていると苗字の書いていない教科書を見た母から「なぜ名前だけしか書いてないんだ」と聞かれました。
わたしはおそるおそる「おとーさんとおかーさん、離婚するかもしれないと思って書けなかった」と告白しました。
すると母は大笑いし出したのです。わたしは不安な気持ちを笑われた気がして悲しくなりました。笑われる理由がさっぱりわかりません。
母はひとしきり笑った後「そんなことはない」と否定しましたが、わたしはその母の言葉をすんなりと信じることができませんでした。

母は何か思ったようで、ニヤニヤとしながらその後わたしに尋ねました。
「お父さんとお母さん、離婚したらどっちについて行きたい?」
わたしは驚きました。やはり離婚する可能性があるんだと思いました。
家族がバラバラになるかもしれない。それは嫌でした。もしもの話だったとしても、わたしは選びたくありませんでした。
しかし、ニヤつく母の前で「選べない」と言う選択肢はありませんでした。ハッキリとした回答を得られなければ母はいつも不機嫌になる人でしたので、提示された選択肢しか選べないようにわたしたち子どもは日頃から調教されていました。
選びたくないけれど、選ばなければ怒られる。
どの道選択肢はなかったのです。「選びたくない」と言っても、もしここで父を選んでいても、母は怒っていたでしょう。

「おかーさん」わたしは母を選びました。
もちろん気を遣ったのはあります。ここでこの質問をしてきた母を選ばなければならないような気がしたことも、「母」と答えなければ母がかわいそうだと思ったことも事実です。
それにプラスして、当時父は仕事で帰ってくるのは夜遅く、休日はゴロゴロして過ごしていることがほとんどでした。
その上わたしやむむが母から怒鳴られたり暴力を振るわれていても我関せずで見ないフリをするので、当時のわたしは父に対しても不信感を募らせていました。
わたしに向き合ってくれない父より、暴力や暴言を浴びせてくる母の方がわたしに構ってくれているように感じていたのです。
それでも、わたしは家族がバラバラになることを望むほど父を嫌っていたというわけではありませんでした。
本心では仲良くしてほしい、愛情、安心、穏やかさに満ちた家庭を望んでいました。
けれどもこの時すでにわたしは母と父が永遠に仲良くすることはありえないことを理解していましたから、それを望むことはできないこともわかっていました。
だからこそ、この母の「離婚するならどっちについて行くか」という質問はわたしにとってはとても辛いものでした。

母は自分が選ばれたので、満面の笑みを浮かべました。
きっとここで母は「ななは味方だ」と思ったのだと思います。母はとてもご機嫌になりました。
けれどわたしは自分で家族をバラバラにしてしまったような気がして、胸中罪悪感と後悔の気持ちが渦巻いていました。
翌日、わたしは母の「離婚はしない」という言葉に不信感を持ちつつ、ためらいながら教科書に苗字を書きこみました。
書きながらわたしは昨日のことを思い出し、自分の正直な気持ちを言えなかった情けなさと、家族を分断してしまったという罪悪感、「自分はなんてダメなやつなんだ」という自分を責める気持ちでいっぱいでした。


今回のお話は以上です。
「おかーさんがかわいそう」「暴力暴言を浴びせる母の方が構ってくれている」なんて、ガッツリ共依存状態にはまっていますね!
みなさんどうぞこの後は、もう秋!さつまいもの季節なのでほっくり甘いさつまいもとサクサクボトムがおいしい!さつまいもタルトでも食べて楽しくお過ごしください!
最後までご覧くださり、ありがとうございました。
ではみなさん、良い1日を!

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