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体当たり、ライブにて-衝動的に暴力を振るわずにいられなかった親の話-

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むむです。
今回は公衆の面前でもはばからずに暴力を振るわれた話をします。

今でこそライブには何度か参加したことがありますが、この漫画の時の自分は、まだライブというものに参加したことがありませんでした。
つまり、この漫画の時が人生初ライブでした。
それが故意による体当たりを受けたという記憶になってしまうというのは、なんとも腹立たしいものがあります。

行くことになった経緯

チケットを手に入れた母は、会話のない父を除いた家族、つまり子どもたちに誰か一緒にいかないかと誘っていました。
もともと、兄のににが聞いていたのを母が気に入り、チケットを取ってもらった…という経緯があるため、兄のにには自分の友人と行きます。
姉のねねも、ななも、特に興味はありません。
となると自分むむにお鉢が回って来るわけです。
自分むむも、そのアーティストにそこまでの興味はありませんでした。

本来なら、母は自分の友人を誘えばいいのですが、母には友人がほとんどいません。少なくとも、子どもである自分むむから見て友人がいるようには見えませんでした。
子どもであるこちらが「この人は母の友人なのかな?」と思っていても、そのうち会わなくなったり、その人についての愚痴を言い始めたりと、友人関係があまり長く続かないようでした。

そんなわけで、「興味ないしなあ」と断っても、母はしつこく何度も何度も誘ってきていました。
母がしつこく自分むむを誘ってきていたのは、自分むむがアーティストにはそこまでの興味はないものの、「ライブ」というものについての興味があったからです。
アーティストも、別に好きではないですが嫌いでもないので、「まあこれも経験かな」と思い、行くことにしたのです。

母の思考予想

ライブ中で薄暗いとは言え、たくさんの人の目がある公衆の面前で体当たりをしてくるとは夢にも思いませんでした。
(母に殴りかかられたり殺されかける夢はしばしば見ますが、体当たりはさすがにありません(笑)。)
ここで、なぜ母が体当たりしてきたのか、理由を考えてみたいと思います。

それまでも、母は人の目があるところで暴力を振るうことは極力避けていました。
他人の大人の前で子どもに暴力を振るうのはまずい(母自身への印象や評価が悪くなる)、とわかっているからです。
それなのに、この時人目を気にしなかったのは、おそらくこの体当たりが「瞬間的な衝動でやったこと」だからだと思います。
瞬間的な衝動に駆られて、理性が働かないまま暴力に及んだのだと思います。
それほど理性を失わせることを自分むむがしたか、ライブと言う非日常の空気が理性を失わせたか、そのどちらも、かも知れません。

①声をかけられた=邪魔された「怒り」

やはり、自分が楽しみにしていたこと、楽しんでいることを邪魔されてうれしい人はそうそういないと思います。
むむに声をかけられて、「邪魔された」と感じた母は、瞬間的に怒り狂い、薄暗いライブ会場で「誰にも気づかれないだろう」と思ったのか、その非日常性から「これくらいいいだろう」と思ったのか、はたまたそれすら考えられず本能のままに、むむに思い切りぶつかっていった。
という、シンプルな(?)予想です。

とても短絡的ですが、過去の記事からして母は衝動的に怒り狂ったり言うことを変えることがよくあるので、十分にありうることです。

②「喜び」の表現

「え?どういうこと?」と思われるかも知れません。が、自分はこちらの方が可能性が高い…むしろ、「たぶんこれだろう」と思っています。

母は「はしゃいだ」のです。
全身でその喜びや高揚感を表現するために、力いっぱいむむに体当たりしたのです。

そしてそれを抑えきれず、またもっとアピールするために、急に前方の盛り上がっている観客に混ざろうとした。
「最初から前の方に行けばいいのに」と思うかもしれません。自分もそう思います。
ですが、母にとって最重要なのは、その姿をむむに「見てもらう」ことにあります。

過去の記事からずっと述べているように、母は我々双子に「母を無条件で受け入れる『親』」を求めていました。
今回もその表れでしょう。
母はライブに来れてうれしかったこと、喜びでいっぱいであることを『親』であるむむに見せるために、暴力に及んだのです。
母自身は「暴力」とは思っていないでしょう。むしろ「体当たりした」ということすら気づいていないと思います。
おそらくは「ハイタッチした」ぐらいの感覚でいると思います。だから、人目をはばからなかったのです。
「邪魔」の言葉はすごく楽しんでいることをアピールするための、言ってしまうと「体当たりするための口実」だったのだと思います。そう言うことで、はしゃいで体当たりすることを正当化するとともに、より注目して欲しかったのだと思います。

そして、さらに前方の盛り上がりに駆け寄っていく姿を見せることで、『親』であるむむに喜んでいる姿を見せたかったのです。

楽しい姿を見せてあてつけたい、とかではなく、母にとっては「見て見て!」と子どもが親にはしゃいで言うように、母自身の楽しい、うれしい気持ちをただただ表現したかった、そしてそれを『親』に「そうなんだね、よかったね」と、受け止めて言って欲しかったのだと、自分は今はそう受け取れます。

本当にそのアーティストが好きだったのかすら疑わしい

けれども、それをされた側がすべて母の思ったように受け入れるとは限りません。
母と自分むむは別の人間だからです。
当然ですが、自分むむは、母の『親』でもありません。

たとえ家族であったとしても、母との間にはこの体当たりを笑って流すような信頼関係はありません。
あの体当たりは母はスキンシップ程度のつもりかも知れませんが、自分むむにとっては立派な暴力でした。

実際にはどういうつもりで体当たりしてきたのかはわかりませんが、どういうつもりにせよ、一貫しているのは「むむにはこれぐらいやってもいいだろう」という意識です。

体当たりされた自分むむが近くにいた人にぶつかっていたらどうなっていたことか。
最悪、ライブ自体が止まっていたかも知れません。
自分の好きなアーティストのライブでよくもそんな軽率な行動ができるなとあきれます。
もっとも、好きなアーティストのライブ中ですら子どもに承認欲求を丸出しにする親ですから、本当にそのアーティストのことを好きだったのかどうかすら疑います。

自分が母に対してこの時抱いたのは、困惑と不信感、怒りと憎しみしかありません。

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