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探し物は激怒の後-怒り出すと1時間は怒鳴り続ける親の話-

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むむです。
幼い頃から整理整頓が苦手で、本当に頻繁に物をよくなくす人間でした。(残念ながら、これは今でも変わりません…)
どこに置いたのか、はたまた捨てたのか、まったく記憶になく、幼い頃はその度にいつも母に怒鳴られながら(時に暴力を受けながら)家の中をひっくり返すことになります。

今回はその一例を漫画にしました。

恐れていたこと

何よりも恐れていたのは、まず母からの叱責です。
単純に殴られることもとても恐ろしいですが、それだけではありません。

毎日のように「お前はダメなやつだ」「無能」「金食い虫」といった人格否定をすりこまれ、すっかり自信をなくしている自分は、「もうこれ以上否定されたくない」と思っていました。
次に否定されたら、捨てられるかもしれない。
次に母の機嫌を損ねたら、今度こそ「お前なんていらない」と言われるかも知れない。
それはもう恐怖でした。
幼い頃の自分にとって、それは「死」を意味していました。
この親に捨てられてしまっては、自分が生きていける場所はどこにもないと信じて疑わなかったのです。

そのため、物(今回の漫画で言うと提出するプリント)をなくして授業にさしつかえが出ることよりも、母に物をなくしたことがバレて人格否定をされることの方が、よほど恐ろしかったのです。

また、漫画には描いていませんが、提出できなかった時の教師による叱責も恐れの一つでした。
これもまた、否定されることへの強い恐怖によるところです。
が、それだけではありません。
そういった物忘れの多さなどは、成績表に表れます。また、面談などでも親に伝わることになります。
そうなると、まわりまわって親からの叱責、人格否定は免れられません。
この時の自分は、ただただ「見捨てられたくない・否定されたくない」という一心で、探し物をしていました。

パーソナルスペースのない家

家は6人家族にはあまりにも狭く、こっそり探す、ということは不可能でした。
足の踏み場は、必ず誰かの寝床だからです。
寝られないのが自分だけ、ということだったなら問題はないのですが、自分の寝床と自分の物が置かれている場所が同じ、ということはありませんでした。(これは他の家族も同じです)
つまり、自分が何か探し物をずっとしていると、誰かがいつまでも寝られないという状況になるのです。

それだけではありません。
物を探すには当然物音がします。
わが家には「部屋」という区切られた空間の感覚はほぼありません。全員が同じ部屋で寝ていました。
当然プライバシーなどはなく、音も明かりも全員に影響が及びます。
最終的に「音がうるさい」と怒鳴られる結末は変わりません。

肝心の話に触れずに激怒

探し物が見つからないことを報告すると、母は途端に激怒。二、三発殴るのは常です。
(いつも母が我々双子を殴る時は、一発で終わることはほとんどありません。)

「なんでこんな時間に探すんだ」という、母でなくても世の中の多くの親御さんが言いたくなる(言う経験をするであろう)言葉に始まり、そこから母の暴力と暴言、人格否定を交えた叱責がスタートします。
この件に限らず、母は一度怒り出すと最低でも一時間は怒鳴り続けます。
そうしていかに母が自分むむによって不利益を被ったか、いかに自分むむが無能で役立たずか、これでもかと思い知らせようとします。
幼い頃の自分は、その言葉をせっせと受け取り、怒鳴られ殴られながら、
「自分だって好きでなくしてるんじゃない。でも母の言う通りだ。自分は迷惑ばかりかけている。どうして生きているんだろう?今すぐ死にたい。消えたい。生まれたくなかった。どうして生まれてしまったんだ?」
と自己嫌悪と希死念慮にさいなまれていました。

けれども、今思い出せば、母は怒る時に肝心の話題(今回なら探し物について)にはほとんど触れません。
いつも、いかに母自身がかわいそうか、不利益を被ったか、自分むむ(時にはなな含む我々双子)が無能で役立たずか、ということばかりを訴えるのです。

肝心の話題については、母がひとしきり気の済むまで怒鳴り終わって、ようやく「で?」という感じで聞いてきます。
聞いてくるのは、怒鳴って気が済んだから、次は肝心の話題で責めようと考えているのかも知れません。
はたまた、母もまた、我々子どもからの「見捨てられ不安」に駆られるからかも知れません。
散々怒鳴りつけて、我々子どもから嫌われてしまったら、精神的依存先を失うことになるからです。

どうあっても、母が我々双子にはまったく興味がないのは間違いありません…

殴らずにいられない‐母の思考予想

どういう理由であっても、怒鳴ったり殴ったりするのをやめることは母にはできません。
加害欲…憎しみが収まらないからです。

「自分の一部が無能」というのは、それだけで被害者の顔をすることができます。
「お前が無能だから、親であるわたしまで無能だと思われる。わたしの評価が下がる」という考え方です。
母はこの時、「子どもが理想通りに動いてくれないわたしはかわいそう」と思って憎しみすら抱いていたでしょう。

そして、その被害者意識を免罪符に、「暴力を振るうのは仕方ない。これは自分を守るため。わたしに殴らせるこの子が悪い」と加害するのです。
理想通りにいかないいら立ちを解消するために殴り、
言うことを聞かせるため、恐怖を与えるために殴り、
自分の人生を狂わせる子どもへの憎しみをぶつけるために殴る。

子どもは自分の一部ではないことを信じられない、認められないからこそ、殴れば、傷つければ思い通りになると思っているのです。
だから、加害せずにいられないのです。

…書いていて思いましたが、まるで「動きの悪いテレビを殴って無理やり直す」みたいですね。(例えの昭和感がすごい)

ことの終わりには抜け殻

今回のような探し物が原因で激怒の場合、だいたい探すのは夜になるのですが、母の激怒を1時間みっちり受けてから探し始めて、「おまえのせいで寝るのが遅くなった」などと言われるのが常です。
1時間怒鳴ってたのあんたやん…

そこから、母の指示に従って探し物を始めないといけなくなります。
これが本当に非効率で、すでに自力で何度も探した場所もまるで今から探し始めたかのように、また一から探し直さなくてはなりません。
母が関与すると、「母のために探す」ことになってしまうのです。
「そこは何度も探した」と言ってもまるで信用されません。それどころか「口ごたえするな!お前の「探した」なんか、何の信用もないんじゃ!今すぐ見ろ!誰のせいでこうなってると思ってる!」と本当に無能扱い。
こちらは「ひどい」と思っても、先述の見捨てられ不安や、実際にこうして探しても自分では見つけられない無能であること、「母に迷惑をかけている」という負い目から、何も言い返すことができません。

そうして結局見つからなかったり、やっと見つけた暁には、特大のため息と「人を振り回しやがって」「迷惑ばかりかけやがって」「本当に何もできないやつ」といった捨て台詞と、時にダメ押しの一発を顔にお見舞いされて一件落着となります。

だいたいその頃には疲労と母の激怒による緊張からくる震え、泣きじゃくった酸欠で頭が回らなくなっていて、殴られることについても「やっと終わった…」としか思わなくなっています。
抜け殻のように横になり、母が翌日も怒っていないことだけを祈りながら、泣きながら眠ることになります。

母は優しい?

今回は物をなくした時のパターンについてお話しました。
なんだかんだ言って、最後まで探すのに付き合ってくれるあたり、優しいのでは?
と一瞬思ったりもしましたが、これは母にとっては自分の評価につながることでもあるし、母自身の睡眠の妨げにもなるし、絶好の加害チャンスだし…と考えると、母が付き合ってくれるのはすべて母自身のためであって、まるで優しくないなと思い直しました。

だいたい、そこで優しさを発揮するなら、殴らない方向に発揮して欲しいし、言葉を選ぶ方向に発揮して欲しいです。
「最後まで付き合ってくれた優しさ」を信じられるほどの信頼関係は母との間にはありません。


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