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夜食は食べていい-空腹を放置しなくてよくなった話-

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むむです。
今回は、実家を出て楽になったことの一つを漫画にしました。

実家では、食後の甘いものを食べたら、その後は水などの水分補給としての飲み物を除いて、基本的に何かを飲み食いことは許されていませんでした。
特に、居間や台所以外での飲食は母を不機嫌にする要因の一つでした。

「基本的」と言うのは、病気の発作が起こっている時にあたたかいものを飲んだり、両親がどうしてもこれを食べたい、というときに付き合ったり、という例外があるからです。

また、「許されていない」と書きましたが、明確に禁止されていたわけではありません。いつものことですが、禁止は明確にしないけれど、実際に行動に移すと「許さん」という態度をとられる、というもので、いわゆる「忖度(そんたく)」を求められていました。

「わたしを馬鹿にしやがって」と報告してくる母

「食べかすが落ちるから」という理由で怒っていた母。
すでに、掃除は自分でやるようになっていましたが、それでも母は許しませんでした。
ごみ箱に食べたものの残った包装や容器が入っているのを見つけると途端に不機嫌。
「あいつは知らん間にこんなものを食べていた。ふざけやがって。わたしを馬鹿にしている」などと怒り出します。

そして、それを逐一我々双子に報告してくるのです。
不機嫌になるのは母の勝手なので好きにすればいいのですが、それを共有し同調させようとしてくるのが困ります。
自分は「別にどうでもいい、掃除するのは自分だし」と思っているので賛同しづらいのです。
けれど、それを言えば母はより不機嫌になり、最悪殴られる可能性があるため、とてもできません。
「ににが食べてたんだね」と状況への理解を示すので精いっぱいでした。

空腹の放置の常態化

そこから、食べた本人が兄のににや姉のねねであったならこれですみますが、我々双子だったら、それこそ殴られるかも知れないと悟った自分は、徹夜の作業や勉強中にどれだけ空腹でも、それを放置することが常になりました。
空腹によって腹がぐうぐうと鳴っていても、「放っておけばそのうち止まるだろう」としか思わず、自分の身体なのに無視するようにしました。
当然パフォーマンスは下がります。腹痛、吐き気、寒気、睡魔、意識朦朧など、身体に不調が出てくることもしばしばでした。

それでも、殴られることがもっとも嫌なことだったのです。
そして、母の叱責がもっとも面倒で苦しく、怖いことだったのです。
母からの叱責を逃れるために、自分はセルフネグレクトしていました。
もともと、食についてあまりいい思い出がないことから、食事をおろそかにしがちな自分は、「お腹が空いた」=「何か食べよう」という人間として当たり前の行動パターンすら身についておらず、空腹でパフォーマンスが下がり、不調があらわれても、その深刻さを一切自覚せず、大したことないと切り捨て、「何かを食べる」という選択肢すら思考から排除していました。

そうした深夜の空腹の放置が当たり前になり、実家を出てもそれが普通とばかりに、深夜に腹が鳴っても腹痛が起こっても放置していました。

なぜ禁止?‐母の思考予想

母がなぜ母自身が掃除するわけでもないのに怒り出すか、ということについては、いくつか考えられます。

①ここは「母の」家
母の中で、実家は母の城…所有物のようなものだったのかも知れません。(実際には借家ですが…)
だから、食べかすが落ちることについて、「自分のものが汚される」と思って怒っていたのかも知れません。
掃除をするかしないかにかかわらず、「汚された」ということに注目して腹を立てていた可能性があります。

②母の一部たる動きをせよ
母の中で、子どもは母の「所有物」です。
もともと、子どもには母の一部として母自身と同じ思考をするように求め、仕向けている人なので、その子ども…所有物が母の考えと違う行動に出ることを、母は許せなかったのかも知れません。
だから誰が食べかすの掃除をするかといったことに関係なく怒った可能性があります。
残った包装を見つけて「わたしを馬鹿にしている」と怒ることからも、母の考え通りに動かないことを許せないのかも知れません。

③ずるい
子どもたちに強いているのと同じように、どうしても…ということがない限り、母もまた、深夜の飲食を自ら制限していました。

もしかして、母は深夜に自由に飲食をするのがうらやましいのではないかと思いました。
そこから、
「自分(母)は夜中にお腹が空いても我慢して寝ているのに、子どもたちが自由に飲食するなんてずるい。許せない!」
という思考になった可能性もあります。
これだと、誰が食べかすの掃除をするのかは関係ありません。
とにかく深夜に飲食をさせないために、食べかすの話を持ち出したことになります。
「わたしを馬鹿にしている」という言葉も、母にはできないことをされて、それをわかるように見せつけられて(実際にはただごみ箱に捨ててあっただけですが…)、勝手に「挑発だ、馬鹿にされた」と感じたのかも知れません。

生物的欲求をルールで縛ること

本来、空腹と言う人間の生きていく上で欠かせない生理現象を「家のルール」というもので縛るのは、果たしていいことなのか?という疑問があります。
(もちろん、これが病気に関わることであったりすれば、話は別でしょう。)

消化の速度、空腹のタイミング、空腹による身体の不調は、人によって違います。当然です。人間は工業製品ではないからです。(工業製品でも個体ごとに若干の性能の違いはありますが。)
それをルールで縛り、空腹でひどい腹痛や吐き気に見舞われても食べかすが落ちるから飲食はけしからん、ふざけている、馬鹿にしている、と言うのはあまりにも無責任と言うか無神経と言うか、何も見えていないし何なら加害欲の表れでは?とすら思います。

母にとっては、子どもが身体を壊すことよりも、食べかすが落ちることの方が嫌だったのかも知れません。

母からの暴力と暴言を軸に決めなくてよくなった

そうして、深夜の空腹を放置するのが常になっていましたが、パートナーはパフォーマンスが下がり、身体を壊してまで空腹を放置すべきでない、という考えの持ち主でした。
実は、空腹を放置した時の身体の不調はパートナーの方が深刻だったのです。
それは、身体が動かなくなるほどのものでした。
そのため、パートナーは自らの空腹度合いをいつも気にかけ、動けなくならないように常に手軽に食べられるものを近くに用意して、著しい空腹を「危険」と捉えています。

自分は空腹の重要性、危険性をまったく考慮せず、「意識があるなら動けるはず」という極端な考えで限界まで耐えて動こうとしていました。
実家ではそれこそが母の暴力から身を守る手段でしたから、意味がないとは言えません。
が、実家を出てもなお思考停止で習慣化していた空腹の放置は、意味のない忍耐でした。

夜食をとることによってありうるデメリットについては気を配らねばなりません。
けれども、夜食をとらないことによってありうるデメリットも考えなければなりません。

そういったことも含めて、すべて自分で考えて決めることができるのは、実家を出て楽になったことのひとつと言えるでしょう。
実家を出た今、「今日は夜食をとらない」と決めた時、それは母からの暴言や暴力を恐れての判断ではないのですから。

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