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不幸な星

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「なむどくにっき」にお立ち寄りくださり、ありがとうございます。

ななです。

今回のお話は母がよく口にしていた言葉のお話です。
以前から母は父や母の知り合い、いろいろな物事について愚痴ばかり口にしていました。
その中でも特に重く、また親から子どもに対して口にするにはちょっとひどい言葉の1つです。

初めてこの愚痴を聞いたのはわたしが12歳頃だったと思います。
母は「わたしはなんて不幸な星に生まれてしまったんだろう」と言いました。
何年も昔の母と父の結婚式の写真を見て「この時が一番良かった」と子どもの目の前で平気で言えるほど、母は無神経でした。(この件については以前の記事「この時が一番良かった」をご覧ください。)
今回の母から子どもに対して吐いた「不幸な星に生まれてしまった」という言葉も無神経そのものだと思います。
今現在不幸である、生まれたことを後悔しているといったことを含んだ言葉です。
当時はそんな言葉を直接聞かされてショックを受けていました。

「わたしやむむ、他の家族も母の側にいるのに、おかーさんは不幸なんだ…」
母が不幸であることは以前からそうなんだろうと思っていましたが、母から直接「不幸だ」と言われてわたしは悲しくなったと同時に、罪悪感と無力感に襲われました。
当時のわたしは日頃から暴力や暴言などで母のストレスのはけ口にされていることも薄々気が付いていて、さらに家事や母の愚痴に毎日付き合わされていました。
それでもわたしは「おかーさんがかわいそう」「わたしはおかーさんを幸せにしてあげられていない」「わたしがおかーさんを支えなくてはいけないんだ」
わたしはそんな風に思っていたのです。我ながらなんて健気なんでしょうか…

母が不幸かどうかは母にしかわかりません。母が不幸だと感じる原因もまた母にしかわかりません。
そしてそれは母の問題であり、わたしの問題ではありません。
しかしわたしは幼いころからずっと母の機嫌や母の暴言や暴力に振り回されていたこともあり、それらから身を守るためにわたしは自分自身を見つめる暇などありませんでした。
当時の様々な社会的圧力もあり、わたしの生きる全てにおいての軸は常にわたしでない誰かが基準になっていました。「わたし」と「他人」の境界がわからない、知らないのです。
ですからこの時母がわたしに「不幸だ」と言ったことで、わたしは「母を幸せにしないといけない」と思い込み、母の問題をわたしが抱えてしまうことになったのです。

母は昔から「言わなくてもわかれ」「察しろ」というスタンスがあったため、わたしはこの時も「これは母がわたしに何かしろと言っているんだ」「母が嫌なことをわたしがしなくちゃいけないんだ」と受け取ります。
そしてわたしは母の嫌な物は何かと考えます。おかーさんが不幸なのは嫌な物事があるからだ…
そこでわたしが最初に思いついたのは父でした。毎日のように愚痴を垂れ流されていましたから、思いつくのは容易でした。
わたしは母を幸せにするために、わたしが母と父の間に入らなくてはならないんだと思いました。

本当は母と父には仲良くして欲しい。
でももう無理なら、2人の仲が悪いなら、わたしが間に入ってお互いを関わらせないようにしないといけない!
そうすれば、少しは母を幸せにしてあげられるかもしれない。母が喜んでくれるかもしれない。
そうしてわたしは自ら母と父のコミュニケーションを取る機会を奪っていくことになり、母はそれに甘えてますます父への愚痴ばかり口にするようになっていき、父もまた母と同じようにコミュニケーションの橋渡しをするわたしやむむに甘えて母とのコミュニケーションを怠るようになっていきました…
母はその後もたびたび「わたしはなんて不幸なんだ」「不幸な星に生まれてしまった」と口にするので、わたしはそのたびに「おかーさんがかわいそうだ、わたしが色々してあげないと」と思い、どんどん母と父を甘やかす方向に進んでいくのでした。
わたしの行動は家族のことを思っての行動なのに、皮肉にも家族を崩壊させる一助となっていきます。

今回のお話は以上になります。
不穏な気配のするお話でしたね!
みなさんどうぞこの後はパターの香りで穏やかな気持ちになる…外はサクッ、中はふんわりクロワッサンでも食べて、楽しくお過ごしください!
最後までご覧くださりありがとうございました。
ではみなさん、良い1日を!

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