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間で寝ればいいじゃない-子どもたちに干渉したがる親の話-

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むむです。

今回は、母が無理やり我々双子の寝床に割って入って寝ることになった時の話です。
これは実家を出ることになる半年ほど前の話で、すでに自分は母に対して違和感やいら立ちを多く感じている頃でした。

母がそれまで我々双子とは別に寝ていたのに、この年の夏になって急に無理やり一緒に寝ようとし始めたのは、エアコンを新調したことが大きな要因です。
漫画内では「あんなやつの隣で寝るのは嫌」と言っていますが(実際にそう言っていましたが)、それはこの年まで…と言うかこの春までずっとそうだったので、エアコンを新調したことがきっかけになったのだろうと思います。

新調する前は、それはもう何十年も前の古いエアコンを使っていたため燃費が悪く、電気代を気にした母は、エアコンをつけるのは寝つきの1、2時間だけ、と決まっていました。
(今考えると、熱中症で余裕で死ねますね…よく耐えた…)

新しくしたことによって、(比較対象が何十年も前のエアコンなので当たり前なのですが)電気代が大幅に下がり、つけていい時間が「寝つきの1時間だけ」から「朝、母が起きるまで」に拡大しました。
(「母が起きるまで」なのは、言わずもがな、自分はこれから家事と言う労働をするのに、子どもが涼しい部屋で寝続けることを母がこころよく思わなかったためです)

そんなわけで、母は唐突に「わたしもここで寝る」と言い出しました。
こうして書くと、「ああ、まあいいんじゃない?」という感じがしてくるかも知れませんが、当時の自分としては、ものすごく嫌な感じがしていました。

嫌な感じ①夫婦の不仲

それはまず、夫婦の関係について、子どもである我々双子を巻き込んでいることです。
確かに、一緒にいたくないと思う相手と隣同士で寝るのは気持ちのいいことではないでしょう。
でも、それは当事者同士の話で、子どもは関係ありません。
ここで「そんなの我々には関係ない」と突っぱねれば、それだけで母は「お前はあんなやつの肩を持つのか?お前はあんなやつの味方なのか?わたしの敵なんだな?」と聞いてくるでしょう。

子どもにとって、両親が不仲であることだけでも苦しいですが、不仲の両親からどちらかを、ことあるごとに選択させられ続け、またその不仲の両親のパイプ役を長年させられ続けるのは、本当に本当に苦しいことです。

この話の頃は、すでに長年、両親からそれぞれ愚痴を聞かされ、パイプ役をやらされて、母からは母の味方になることをこのエピソードのようにいちいちそれとなく選択させられ続けて、もううんざりしていました。ただただ面倒くさくてたまらなかったです。

もちろん、この時は我々子どももみんな大人と言える年齢になっていましたから、両親の事情に配慮することはできます。
けれども、それを配慮するのが当然でしょと言わんばかりの姿勢で来るのは図々しいです。
夫婦の不仲を当たり前の情景のように扱って接してこないで欲しいです。

嫌な感じ②母からの絶え間ない監視

それまで、母と我々双子の寝床は離れていました。
それは実家にいる時、母の監視を離れられる、数少ない時間でした。
また、以前も記事で書きましたが、わが家にはパーソナルスペースというものはありません。
だからこそ、寝る間際の時間は母の監視を遠ざけて、自分だけの秘密を持つことのできる個人的な空間でした。

そのため、母から「今日からここで寝る」と言われた時に、自分のテリトリーが侵されるような、不快な距離まで詰めてこられるような、明らかな嫌悪感があったのです。

嫌な感じ③選択肢のなさ

これはもはや毎度のことになりますが、母がこうして来て「今日からここで寝る」と言った時には、すでに決まっています。
拒否権はありません。漫画の中でもありますし、実際にもありましたが、拒否すれば拳や、片方の手で作った拳をもう片方の手のひらで受け止めるような仕草を見せつけてきて、脅迫をしてきます。
「断るなら殴られてもいいってことやな?」という意味です。

毎度毎度、こうして危害を加えることを簡単に持ち出してくることに本当に辟易します。
母は、暴力を使えば言うことを聞かせられると学習しているのです。
これで「暴力反対」「あらそいは良くない」「わたしは不幸な星の下に生まれた」などと同じ脳と同じ身体で言うのですから、人間とは本当に調子のいいものです。

とは言え、
矛盾を抱えるのはよくあることです。暴力に頼る母や暴力を見て見ぬふりする父にもありますし、自分にもあります。誰でも自分に都合よく、調子よく生きたいものです。
でも、その矛盾で他人の自由を奪ったり危害を加えたり、けがをさせたりというのは一線を越えています。

自分むむはこの、毎度毎度押し付けられて拒否権のない提案や相談をされるのが茶番のように感じて、いら立ち、うんざりしていました。

母の干渉‐調べものの場合

さて、そうして強制的に川の字で寝ることになりましたが、それによって、母は子どもたちの空間に割り込んで来ることになりました。

最初、もう母は大はしゃぎ。
修学旅行にでも来たのかと言わんばかりにお気に入りのファッション雑誌を何冊も寝床に持ち込み、「このコーディネートはないわーw」「これ素敵じゃない?」「こんな服はどう?」と逐一ななに見せてコメントを求めたり、
ねねのところへ行っては「今聴いてる曲は何?」「このアーティスト好きなの?」「他におすすめのアーティストは?」と絡み、
ににがネットでゲームをしているところへ、横から「これ何のゲーム?」「おもしろいの?」「わたしにもゲーム買って」とねだったりしていました。
あげく「キャッ、若い子の流行を知っちゃった!」みたいなことを言って(主に我々双子に見せつけて)喜んでいました。

それだけでもまあまあうざいのですが、面倒なことに、母は子どもたちがそれぞれパソコンで調べものをしていると、後ろへそっと寄ってはその内容をチェックするようになりました。
そして気になるものがあると、「それは何?」「今のもう一回見たい」などと声をかけ、その度に手を止めさせるのです。
さすがにこれにはきょうだい全員がうんざり。
ねねもににも、「うるさいなー」「見なくていいよ」と母を追い返します。
母はふてくされますが、ねねとににには暴力や暴言は使わないので、寝床の関係もあって我々双子のところに落ち着き、それ以降我々にしつこく干渉し始めます。

我々双子(と言うか主に自分)がねねやににと同じように母を追い返そうとすると、今度は母は怒り始めます。
我々双子は母にとって格下の存在なので、母を無下に扱うことを許されていません。
毎度おなじみの脅迫が始まります。

面倒くさいので放っておくのですが、母の干渉はどんどんエスカレートしていきます。
こちらが調べものをしているのを「何見てんの?」と言ってのぞきこむのは当たり前。(ねねやににの時にはそっと寄って行っていたのは何だったのか)
「はあ?そんなもん見てんの?」「つまんねー」「わたしこれ嫌い」「あっちの方が好き」「何がおもしろいの?」
と聞いてもいない母の感想をやいやい言われ、しれっとこちらの好みも否定され、調べものをしていると言っているのに「そんなのより、あれ見てよ!あれ調べてよ!」と指示を出し始めます。

ついには、個人的なメールまでチェックされるようになり、「常に母に見られている」と感じるようになった自分は、指示やこき下ろされること、自分の人間関係にまで首を突っ込んで来られることを憂鬱に感じて、自由に調べものやメールのチェックができなくなりました。

何を調べているのか?聞くのはもちろん変なことではありません。
けれども、のぞきこんだり監視したりチェックするという行為はいきすぎです。
子どもも当然ですが大人になります。親や他人に知られたくないことも出てきます。
その成長を無視して、パソコンをのぞきこんだり、見てしまったとしてもそれを見なかったことにするどころか、それについて品評したり、好みを押し付けたり…
あまりにもデリカシーがなさすぎです。
果てに個人的なメールまで監視するのは、明らかなプライバシーの侵害です。
ましてや、すでに成人している子どもの個人的なメールです。「親だから」は言い訳になりません。
もしかしたら、監視している母本人はそれが普通だと思っているのかも知れませんが、あんたと一緒にしないでくれという感じです。

母の干渉‐制作の場合

調べものだけではありません。イラストを制作していても、母の監視と干渉はついてまわります。
例えば、キャラクターを描いていても、
「CMYKって何?」「なんでその子は手袋してるの?」「髪の毛の量多すぎない?」「身体のバランスおかしすぎw」「あんまりかわいくないね」「そこ緑の方が良くない?」「ふーん?よくわからないわ」
などなど、プロデューサーのつもりか何か知りませんが、好き勝手に言っては手を止めさせ、ハッキリ言って邪魔してきます。

しかも、その目的が「知りたい」ではないので、
数日経つと聞いたことをすっかり忘れて、二度も三度も「CMYKって何?」と聞いてくるのです。
もうその度に手を止めて説明し直すのが本当に時間の無駄。
さすがにいら立って「また自分で調べて」「この前言ったから」などと適当に返すと、「は?なんやお前誰に向かって言ってんねん」という言葉とともに、後ろから拳が飛んでくることになります。
(書いていてしみじみと鬼畜…)

干渉してくる理由‐母の思考予想

母が寝床を一緒に使うことによって、急に我々への干渉が強くなったのは、いろいろ理由がありそうです。少し考察してみます。

全能感

それまで、好きでもない(?)夫の隣で寝ていました。
母は夫である父に対して、経済面で養ってもらっているという負い目があるため、父に強く出ることができませんでした。(だからこそその分、我々双子の前では父のことを「あんなやつ」「帰ってこなくていいのに」などと言って強く出ていたのです)

それが、若い子ども、しかも自分の支配下の子どもしかいない場所。もはや自分の天下です。
自分より強く出られる者はいない。
全能感・万能感に満たされた母は、何をしても許されると思ったのでしょう。
新しい世界に飛び出した子どものように、それ何?これ何?どうして?他には?つまんなくない?と思ったままの言葉を吐いて行動をとり、興味本位に子どもたちへの干渉を一気に強めたのだと思います。

子どもに自立させないため

子どもたちの寝る前の時間は、いわば母にとっては未知の領域でした。
先ほども書いたように、母の監視から逃れる数少ない時間です。
寝る前の時間も、母のテリトリーとなった以上、
母は未知の領域をなくすために、急に干渉を強めたのかも知れません。
子どもたちが何をしているか?何を見ているか?どんなものが好きか?
子どもの自立を阻止したい母は、子どもを完全に支配しなければなりません。
そのために、普段どんなことに興味を持っているのかも、知らなければなりません。
うっかり自立なんてされては、母は精神的な依存先(サンドバッグ)を失うことになってしまいます。それは避けたい。
自立させないためにも、子どもを管理しなくてはなりません。
だから子どもが調べているものをいちいちチェックし、自分の好みと違えば、なんでそんなものが好きなんだ、センスがない、くだらないとこき下ろし、母自身の好みを押し付けて「わたしの好みの方が『正しい』んだ」と刷り込み、
また、よからぬことを吹き込まれていないか、母にとって好きではない、脅威となりうる人物と関係を持っていないか、メールもチェックして、うっかり親への反骨精神など持たないようにして(持ったとしてもその希望をにぎりつぶして)、子どもをより母と同一化するように仕向けていたのかも知れません。

ただ加害したい、動物的衝動

もっと純粋に、ただただ加害欲がわいて、子どもがすることなすことすべて母にとってうっとおしい、破壊したくなるものだから、その時の衝動にすべて任せて
あれはダメ、これがいい、そんなものくだらない、今のメール見せろ、とデリカシーもプライバシーもなく行動しているのかも知れません。動物的。

距離感を見誤った

母は子どもの寝床に割り込むことで、「子どもとの精神的距離が近づいた」と勘違いしたのかも知れません。
そして、子どもともっと仲良くなろうとして、「何の曲を聞いているのか」「何のゲームをしているのか」と寄って行ったのかも知れません。
つまり、母にとってはパソコンで何を見ているのか後ろからチェックすることも、人が好きで調べていることを「なんでそんなもん」とこき下ろすのも、メールを後ろからチェックして「今のメールもう一回見せろ」と言うことも、すべて「仲良くなるためにしたこと」であるという仮説です。

…書いていて違和感しかありません。
ねねとにににはそうかも知れないと思いますが、我々双子に対しては仲良くなろうとして、という気配はなかったです。
ねねとににには「何してるの」とねねとににのことを聞いているのに、ななには「この服どう」、自分むむには「これきらい、あれ調べてよ」と母の好みについての話を聞いてもらおうとしているあたりに、母にとっての子どもそれぞれの存在理由や重要度が透けて見えます。

どうあれ、母は子どもたちの空間に入ってきたのに、子どもたちがどうやって過ごしているかを知ろうともせずに、母の都合だけで干渉してきています。
「親」という権力であればそれが許されると無意識にわかっているからこそできることです。
子どもとは言え他人です。プライバシーもあれば距離感もある。仲良くなろうとしての行動だったとしても、それは人付き合いではちょっと敬遠されてしまいかねないものでしょう。

年齢差もあるし、そもそもどうしたって親子です。そして、親子であることによる権力差を常日頃から見せつけ、押し付けてきていたわが家です。
取っ払うことのできない溝、どうしても縮まらない距離はあると思います。
取っ払ったら取っ払ったで「生意気だ」と散々暴言を吐かれることは想像に難くありません…

孤立したくない

子どもたちの寝床において、突然割り込んできた母は言わば「よそ者」です。
子どもたちから嫌われてしまったら、それこそまた好きでもない(?)夫の隣で寝なくてはなりません。
母は孤立しないために、子どもたちに急に干渉した可能性があります。

そのために、まずねねやににには、パソコンで何をしているかをチェックし、「何が好きなの」「それおもしろいの」と聞いて寄って行きました。
ねねやににのことを聞いて、好感を持ってもらおうとしたんだと思います。雑に言うと「こびを売りに行った」。

そして我々双子には、先ほども書いたように、母自身の好みを押し付けました。
孤立しないために、格下の我々双子には好感を持ってもらう必要はなく、より縛りを厳しくして言うことを聞かせようという考えだったのかも知れません。

実際には、子どもたちはそれぞれが干渉せず好きなことをして過ごしていましたが、母はそれを知らないまま、「むむはこんなの好きなんやって!しょうもないと思わへん?」と急にねねに振ったりなど、干渉に干渉を重ねてかなり引っ掻き回してくれました。
(この場合、ねねは「別に…好きにしたら」と返し、同意を得られなかった母が我々双子に八つ当たりする…という構図になります…)

結局、母は一人になりたくない、孤立したくない、という思いから、子どもたちになかば強引に話を振り、そしてまた聞いてもらおうとし、とにかく話の中心にいようとしていた気がします。

おわりに

今回は、むむとななの間に割って入って寝ることを皮切りに、子どもたちのプライバシーをどんどん侵害していく母の話をしました。

いろんな理由を考えました。もちろんこれは想像です。が、「親だから許されると思っている」は、あると思います。
母にとっては、子どものことはすべて自分のテリトリー。
だからこそ、デリカシーもなければ子どものプライバシーも考えない。考える必要なんてない。
母にとっては、暴力や暴言をぶつけないねねやににに至っても、その程度にしか考えていないのかも知れません。

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