記憶のすり替え
「なむどくにっき」にお立ち寄りくださり、ありがとうございます。
ななです。
今回のお話はわたし、ななが母に面と向かって言ったことを「むむ」が言ったことにされてしまうお話です。
以前からお話していますが、母は日常的に突然怒り出してわたしやむむに怒鳴り散らしたり、暴力をふるったりしていました。
母は自分の子どもたちの中でもわたしとむむにひどく当たっていましたが、特にわたしよりもむむに対して暴力的であったと思います。
母は暴言や暴力だけでなく、父への愚痴を毎日のようにわたしとむむに垂れ流していました。
わたしもむむも聞きたくはないけれど母の機嫌を損ねることになりかねませんから、仕方なく聞いてあげていました。
母にとってわたしとむむは愚痴も暴言も暴力もすべて受け止めてくれる存在…何をしてもかまわない存在だったのです。
わたしが中学生の頃になっても、母の暴言や暴力、愚痴は止まりませんでした。
ある日、わたしは何かの話の流れで母に面と向かって「わたしたちに当たるのやめてよね」「いつもいつもすぐ八つ当たりするんだから」と怒りと呆れの気持ちを込めて言いました。
当時よく言えたなと思います。当時の自分えらい。
わたしは母のイライラやストレスのはけ口にされていることを当時から感じていました。母は理由も言わず怒り出すのですから、わたしが八つ当たりされていると感じるのは自然な流れかと思います。
いつも暴言や暴力に耐えているこちらとしてはいい加減やめて欲しいという気持ちがありました。
それを母に向かって真正面からぶつけたわけですが、母は何か言いたそうにしていましたが何も言いません。
わたしはこのままここにいたら母がまた怒り出して殴ってくると思ったので、すぐにその場を立ち去りました。
言った時は少しスッキリしましたが、しばらくすると「言い過ぎただろうか…でも本当のことだしな…」「おかーさん怒ってるだろうな…」と罪悪感と不安でいっぱいになりました。
そもそもわたしが母に言ったことは「八つ当たりで暴力をふるうのをやめろ」という至極まともなことを言ったはずです。
それに言い過ぎも何もないのですが、母の暴言や暴力でコントロールされてきたわたしが初めて母に対して真正面から反抗したので、これが本当に正しいことだったのか、母を悲しませることになったのではないかと不安になりました。
1時間くらいたった頃、わたしは母のいる部屋に用事があり、怒られるかもしれないと思いつつ部屋へ行きました。
すると案の定、母は機嫌が悪そうです。
わたしが来たことに気が付くと、母はわたしに話しかけてきました。わたしは怒られる、殴られると思い、身構えました。
「さっきの腹立つわー」「聞いた?わたしがすぐやつあたりするって」
母はわたしがさっき言ったことをまるでわたしが言ってないかのようにわたしに共感を求めてきました。
わたしは母が何を言っているのかわかりません。腹立つ相手に対してこんな話し方をするだろうか…?
わたしが困惑しているのに母はまったく気が付かないようでした。
「ほんま む む はかわいくない」
わたしはやっと母が何を言っているのか理解したのと同時に大変ショックを受けました。
母はわたしが言ったことを「むむが言った」と記憶をすり替えていたのでした。
わたしは母を見て言っていたし、母もわたしを見ていました。それなのに母の中では「わたしを批判したのはななではなく、むむ」だと記憶をすり替えていたのです。
そもそもわたしは母自身ではなく母の行動を批判したのですが、母は何か言われると全て母自身のことだととらえるきらいがありました。この時も母自身を批判されたと思ったのだと思います。
「それ、わたしが言ったんだけど」と言おうとしましたが、言えませんでした。
わたしは母の目を見て言っていたのに、母はわたしを「なな」と認識してくれていなかった?10年以上一緒に暮らしているのにわたしとむむを見間違えた?わたしの話をちゃんと聞いてくれていなかった?そんなにわたしに興味がないの?とショックだったのです。
わたしがショックを受けているのに母は気が付かないようで、むむへの愚痴をつらつらと口にしている様子を見て、わたしが言ったとなったら今度こそ間違いなく殴られると思い、こわくなって言い出せなかったのもあります(情けない…むむ、ごめん)。
母がむむとわたしを間違えている事実は間違いないのに、母は「むむが言った」ということに一切迷いがない様子でした。その後わたしは何か話し続ける母に対して適当に相槌を打ち、用事を済ませてその場を早々に立ち去りました。
わたしは母がつい1時間ほど前のことをまともに受け止められていないことが大変なショックでした。「この人はヤバい」と思いました。
わたしはこの時母の記憶のすり替えを初めて目の当たりにしたのでした。
わたしは当時、家族の中で母の愚痴を一番よく聞いていました。そしてもともと感受性が強かったのもあり、母の気持ちを想像して共感してあげることも多かったです。
対してむむは自分の意思がしっかりとしていて、共感を求められてもわからないことには「わからない」「それは自分には関係ないことだから知らない」とハッキリと言う人でした。
母は「話を聞いてくれる、共感してくれる、ケアをしてくれるのはなな」「わたしの味方になってくれない、冷たいヤツはむむ」と思い込んでいるところがあったように思います。
ですから『母の思う「なな」』は「母にとってひどいことを言ったりしない」「都合の悪いことを言ったりしたりするのはむむ」と決めつけていたのでしょう。
今回母は「自分たちに当たるな」「八つ当たりするのをやめろ」とわたしが言ったのを「自分の味方であるはずのななが言うわけがない」と現実を受け止めきれなかったのかもしれません。
「味方であるはずのななにまで否定された」となると、母にとって精神的に寄りかかれるところがなくなってしまう、そのため、母の記憶は「言ったのはむむだ」と都合よく改変された…そんな推測ができます。
「八つ当たりで暴力をふるうのをやめろ」と言われること、もしくは「暴力をふるうのをやめること」は母にとって「都合が悪いこと」だったのだと思います。
わたしとむむが生まれて10年以上が経過していて、その中で母はわたしとむむを暴言や暴力でずっとコントロールしてきました。
母は「暴力はだめだ」と言う人でしたから、暴力は良くないことだという認識はあったようです。
けれど母にとって子どもに対しての暴言や暴力は当時母が生きて行く上できわめて大事な行動だったのです。以前の記事でも書きましたが、母は「暴力はあかん」と言いながらわたしやむむに暴力をふるっていました。
ですから子どもたちに対しての暴言や暴力をふるい続けることが良くないことだと認めるわけにはいかないのです。
「八つ当たりすると言われた」ということに対して腹を立て、その内容には目を向けません。自分がどうしてわたしやむむに暴力をふるわずにいられないのかを考えないようにしていたのです。
母は「自分は悪くない」「絶対に自分は被害者」という立ち位置を手放せなかったのです。
ちなみに、これ以後母の暴力や暴言が減ったかと言えばそんなことは一切ありませんでした。
それともまた記憶をすり替えてこの日のことは母にとってなかったことになっていたのかもしれませんね…
「いつもわたしたちに八つ当たりで暴言や暴力をふるうのをやめろ」というメッセージに自分の非を省みずに腹を立て逆切れ、話の本質を見ようとしない…呆れを通り越して母は本当に残念な人だとしか言いようがありません。
今回のお話は以上になります。
母は「かわいくない」とまで言ってけなしてきました。
この言葉でわかりますが、やはりわたしやむむは母にとって格下、ペットのように見られていたのでしょう。
わたしもむむも母のために生まれてきたわけではありません。
わたしは自分がなりたい自分を選び、理想を求めて成長していくのです。
そこに母の感性は一切関係ありませんし、必要ありません。
母の「かわいいかどうか」のジャッジは「余計なお世話」の一言に尽きます。
こんなことを言うわたしは母にとって「かわいくない」と言われるかもしれませんね。やったね。
みなさんどうぞこの後はチョコレートの香りと甘さ、ザクザク食感が楽しいチョコクランチでも食べて、楽しくお過ごしください!
最後までご覧くださりありがとうございました。
ではみなさん、良い日を!
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