こどもはいらない‐親を見て結婚と子育ては不幸と思い込む話‐
むむです。
今回は自分むむが「自分は子どもをつくらないぞ」と決める話を描きました。
子どもをつくらないと決める話は、以前ななの記事にもありました。
今回は、その自分むむ版です。
子どもを絡めたパートナーに対する愚痴
ななの場合と比べて、自分むむの場合は「子どもをつくらない」と思うのに、決定的なできごとがあったわけではありません。
長い時間をかけて、ゆっくりとその考えに至りました。
幼少のころから毎日のように殴られ、またその度に「どうしてお前はわたしを苦しめるんだ」「役立たずめ」「金食い虫が」「だからお前はダメなんだ」などと1時間以上叱責され、一日中無視される。
また、毎日のように父や近所の人、我々双子の知らない人についての愚痴を聞かされ、こちらの思考は無視で無条件に母に同意しなければ、また嫌味を言われたり無視が始まったり。
父は明らかに家の中の空気が母の威圧に満ちているのを知っていながら、我関さず。
母が子どもに日常的に暴力を振るっていることも知りながら見て見ぬふり。
また、母についての愚痴をしばしばこちらに聞かせ、精神的に安定しない母の対応を子どもに丸投げしていました。
この、両親の負の感情の吐き出し先…もはやゴミ箱となっていた自分むむは、長い長い時間をかけて疲弊し、また日常的なそれを「普通」と思い込んでいました。
母も父も、お互いを信頼しておらず、自分自身はどれだけ苦労しているか、家庭に貢献しているか、犠牲になっているかを主張するばかり。
それだけでも二人の問題に巻き込まれて、こちらは二人をそれぞれなだめるために精神をすり減らしますが、さらにおぞましいことに、二人ともそこに子どもの存在を絡めて愚痴を吐き出すこともしばしばあったのです。
「子どもはこれだけ金がかかるとわかっているのだから、もっと節約してくれればいいのに」
「お前たち(我々双子)が生まれてからはお金が倍かかるから、何にもできない。なのにあいつ(パートナー)は好き勝手しやがって…」
「子どもが四人もいるから、やらなければいけないことだらけ。あいつ(パートナー)が手伝ってくれないから全然自分の時間がない、何にも楽しくない」
「もっと先は明るいと思っていたのに。余計に子どもが生まれて、お金もなくて、稼ぎも増えなくて、何もいいことがない」
「あんなのと結婚するんじゃなかった。人生失敗した」
あえて母と父、どちらが言ったことかは書きませんでしたが、こんなことを目の前で言われては、自分むむが(も)生まれたせいで家族に…主に両親の間に亀裂が入ったと思わざるを得ません。
家族を貧乏にしたのは自分むむが(も)生まれたせいで、自分むむが(も)生まれなければもっと幸せだったのにと言われているような気になりました。
両親二人からのこういった愚痴、そして母からの日常的な暴力、その際の叱責から、「両親にとって自分は邪魔なのだ」というメッセージを自分むむは受け取りました。
おそらく、母も父も、こういった愚痴によって吐き出し先の子どもが気に病んでいることに気づいていません。
気に病むかも知れない言い回しをしていることにすら無自覚で、そもそもとして、彼らは吐き出している相手が子どもであることすら、意識から切り離しているように見えます。
家庭内の事情を詳しく知っている大人に愚痴を吐いているようでした。
我々双子は彼らにとってストレスの吐き出し先だったので、そんなことに気を遣うという考え自体がなかったと思います。
「不幸になるのにどうして?」
両親二人そろって「昔は良かったのに…」と嘆いている様子を見続けて、愚痴の受け皿になり続けた自分むむは、そのうち「結婚というのは信頼をどんどんなくしていくものなんだな」と理解しました。
母から聞く知らない誰かの家庭の話や噂話を聞いていても、みんな「うちの夫はダメで…」みたいな話ばかり(母が母と同じ、夫に不満をもつ人のそういう話を選り好みして持ち帰っているのです)。
なんとなく母が見ているワイドショーでもどうでもいいはずの他人の家庭について
「破局」「離婚」「スピード離婚」「不倫」「調停」「慰謝料」といったワードばかりが踊り、「あの芸能人、何か月で離婚すると思う?」という話題を母からも振られたり。(これも、母がうまくいっていない家庭の話題を選り好みして見ているということです)
「結婚すると仲悪くなるのが普通なんだな」と間違った認識をしました。
当然ながら、自分むむは「じゃあなぜわざわざ結婚なんかするんだろう?」という考えに至りました。
結婚すると仲が悪くなるなら、結婚をする意味がないように感じられました。
小学生の自分むむには、まるで理解ができませんでした。
そして幼い自分むむは、子どもができると、わが家のようにどこの家でも子どもは毎日のように殴られて、毎日うんざりするような愚痴を聞かされるんだ…と、歪んだわが家を基準にして考えていました。
結婚するだけでも仲が悪くなるのに、子どもが生まれることでお金が無くなって、わが家のように二人はもっと仲が悪くなってしまう。
またこれも、「じゃあなぜわざわざ子どもなんてつくるんだろう?」という考えに至りました。
小学生の自分むむは、自分より年下の子どもや赤ちゃんを見ても、かわいいと思ったことはなく、むしろどう接すればいいかわからない、怖いものだと思っていました(この感覚については今も同じです)。
そのため、「子どもはかわいいから」という単純な理由も理解できず、それに加えて十人十色である、「子どもをつくる理由」を想像できずにいました。
自分は結婚もしなくていいし子どもなんていらない
自分むむは思いました。
結婚するだけでも仲が悪くなって、子どもができたらお金が無くなって、いっそう仲が悪くなる。
子どもは生まれてしまったことを申し訳なく思いながら、毎日殴られて、親にさらに殴られないように、見つからないように泣かなければならない。
そんなわが家は確かに普通なのかも知れない。どの家でもみんな殴られてるんだろう。
でも、自分は殴られるたびにつらかった。理不尽に決めつけられたりするのも苦しかった。
親への殺意を自覚することもあった。
例えこれが世の中の普通であったとしても、自分はもし子どもをいつか持ったとしても、子どもにこんな思いはさせたくない…
それに、
自分が生まれたせいで、うちはものすごく貧乏になってしまった。
自分が生きているせいで、両親の仲が悪くなってしまった。
自分が生まれなければ、うちはもっと幸せに暮らせていたんだ。
そんな苦しみを生んだ自分が、いつか子どもを持ったとしても、子どもを苦しめるに違いない。もっと貧乏にさせるに違いない。
結婚も子どもをつくることも、大人は仲が悪くなってお金がなくて苦しいし、子どもは殴られて苦しい。
大人も子供も幸せにならない。不幸にしかならない。
じゃあ、自分は結婚もしなくていいし子どもなんていらない…
長い時間をかけて、自分むむはこの結論にたどり着きました。
今では、この考えはちょっと極端だなと思っています。
そもそも前提として、結婚したら必ずしも仲が悪くなるわけではありませんし、どの家でも子どもが殴られるわけではありません。
子どもを産み育てることにたくさんのお金が必要なのは間違いありませんが、それが夫婦仲の悪化の直接的原因ではないでしょう。
それに、たとえ貧乏になっても、それが不幸かどうかはその人次第です。
(もちろん、裕福である方が、人生において選択肢が増えることは言うまでもありませんが…)
自分が生まれたせいで…
こうして、自分むむは小学生にして結婚も子どもを持つことも「不幸」だと決めつけ、それを選択しないことを決めてしまいました。
書きながら、夫婦仲が悪くなるのは普通と認識しながら、自分むむのせいで夫婦仲が悪くなったのだと自分自身を責めたりと、少し矛盾があるようにも我ながら感じられました。
けれども、その二つ考えは当時の自分むむの中に間違いなくあったものです。
さて、その「自分むむが生まれたせいで両親は不仲になり、生活が苦しくなった」という、視野の狭くいささか自意識過剰な考えは、この頃かなり自分むむの中に根付きつつありました。
(先述のような、やんわりとした「お前が生まれたせいでお金がかかるのに~」というような愚痴を頻繁にされていては、そういう考えになってしまうのも無理もない気はします。)
この考えによって、自分むむはここから、どんどん自分自身を追い詰めて行くことになります。
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