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幸田露伴の随筆「蝸牛庵聯話・弁才天女①」

弁才天女

 弁才天女はどのような者であろうか。およそ仏教の諸経の中で、その経の護持流通を誓い、その経の信奉者に福徳円満(欠けるところの無い福徳)と正覚成就(正しい悟りの成就)を得させようとする諸天神鬼等は、皆仏教の成立以前から既にバラモン教や古神話や古伝説などの中に存在して居たのであって、或いは畏怖すべき威力を持ち、或いは愛すべき好い性質を持つ、尊敬でき信じられる超人的霊的存在として認められていた者であって、仏教が世に起こってから初めて生じた者ではない。これ等の古い信仰の対象が仏教に取り入れられたことで、或いは進展拡張し、或いは修正展開して、仏道で云ういわゆる正法に帰する者(正しい法に順う者)とされたのである。この意味を理解しないと、仏教の中に現われる諸天神鬼は、仏舎利であっても芥子粒ほどの価値も無いとする大乗仏教に在っては実に奇異な存在となって、人に奇怪な思いをさせる者になる。大弁才天女は金光明経の法会において仏に申し上げる、「若しこの金光明経を説く者が在れば、私は将(まさ)にその者の知恵を増し、その言説を立派にさせ、若しこの経中の文字や句義に忘れるところが有っても、皆がこの経を頭に入れて、善く悟ることができるように、この経を聞く情(こころ)有る全ての者に、極めて勝れた弁舌の才と無尽の智慧を得させ、多くの理論と諸々の技術を得させ、これ以上ない正しい悟りを得て、現世の中においては寿命を延ばし、財産や身体を完全なものに致させます」と云う。これは弁才天女の本来が智慧広博で自在な弁才と勝れた健康を持つ、記憶と解悟の力の甚だ偉大な神であることを語るものではないか。そして又、この経を信じる者等のために、その薄命・疾病・闘争・戦陣・鬼祟・呪詛などの諸悪を除く手段としての洗浴の方法と、壇場で唱える呪文を教えて、その方法に従ってこの経を信じる者には、どのような所に居ても、その人のために弁才天女は一族を率いて天部の妓楽を演じて慰安と清福を与え、苦海を抜け出て大道を成すことをさせると云うのである。これは天女の本来が仁愛豊かで清浄なことを好み、技芸優れた長閑で穏やかなことを尚ぶ優美な神であることを語るものであろう。このような天女が未だ金光明経を護持する以前に在っても、人は天女を敬愛し之を讃嘆する。まして大乗を信解し帰依する神となってからは、そもそも何処にどのような神として在られたのであろうか。
 弁才天女と云うのは、その主な徳から取って名付けられたものであろう。この経の弁才天女品の次に出て来る吉祥天女は、ラクスミー又はシリーとある二ツの語の意味である功徳吉祥のことなので、新訳では吉祥天女と云い旧訳では功徳天と云うのであるが、弁才は意味を訳した名ではない、多くの徳目の中の一徳を選んで弁才としたのである。玄奘法師が立てた五種不翻の議によって、陀羅尼(経の呪文)は原語(サンスクリット語)そのままであるために、今、憍陳如の要請によって天女自らが説く呪文を調べると、義浄が訳した本には薩羅酸(蘇活)点丁(焰切)とあり、また同呪の終りの方には、莫訶提鼻薩囉酸底とある。それがやがて天女の本名となるのであろう。闍那崛多が訳した本の、同じ呪文の同じところに出ている娑羅娑跋帝と摩訶題毗娑羅娑波帝は、音を写して字が異なるだけで同じことである。莫訶提鼻も摩訶題毗も大天女の意味である。娑羅娑跋帝と娑羅娑波帝はどちらもサラサバチーである。義浄は酸の音をサンと読ませないでサッと読ませるために蘇活と注記したので、薩羅酸点はサラサッテンである。薩囉酸底はサラサッチーである。義浄が伝えたものは、闍那崛多が伝えたものに比べると娑の一字が無いが、これは不思議ではない。呪文の末尾に用いる事が多い娑婆訶を義浄は常に莎訶と記して、婆の一字を記さないのを通例とする。であれば義浄のものに婆の一字を挿入して読み、闍那崛多のものから跋の一字を除去して読めば、二者は全く同じことになる。サラスッチーは弁才天女の本(もと)の名である。サラスに弁才の意味はない、本(もと)はこれ川の名である。
弁才天女はどのような所にどのようにして居るか。憍陳如バラモンが大衆の前で天女を讃えて懇請する偈を闍那崛多は訳本で云う、「常に山中に在り、天龍鬼神の一切が悉く敬う、常に草衣を着て片足で立つ」と。義浄の訳本は云う、「高山の頂きの勝れた所に住み、茅を葺いて部屋とし、その中に居る。常に軟草を結んで衣とし、在所に常に片足でつま立つ」と。このようであれば、この天女は福徳も智芸も完全で、端麗優美な身を持って、城園や宮殿の中に在るのではなく、塵も稀な里遠い清らかな山中の尾花を逆葺きにして造った庵に居て、草かずらの衣を纏い、おおらかに悠然と居られるのである。その寒巌仙華の美しい尊さに、思慕の心を寄せない者がどこにあろうか。同じ天女であるが、ともすれば世間がこの天女と混同する吉祥天女は、北方の毘沙門天王の阿尼曼陀城の傍に在る、妙華福光と云う美しい園の中の、金幢宮と云う七宝で作られた勝れた所に居られる。それもまたまことにふさわしくて宜しいが、吉祥天は財物を増やす神であり、こちら弁才天は学芸を加護する神なので、おのずと吉祥天には富のすがたが備わり、弁才天には勝れて清い相が備わる。草の衣は懺摩衣(せんまい)や菆摩衣(しゅうまい)や蒭摩衣(すまい)などと云うものと同じであろう。有部毗奈耶第十八に挙げた七種類の衣の第二蒭摩迦(すまか)とあるのがそれであろう。玄応の音義には「菆摩(しゅうま)はここに訳して麻衣と云う、古くは草衣と云う、推測するにその麻の形は荊芥(けいがい)に似ていて、葉は青紫色である」とある。真の麻とは異なっていて我が国の山野草の野真麻(のまお・カラムシ)や三宅島の「ものし」の類が織物にするものだろう。天女の衣はこのスマカだけではなく、憍陳如の第二の頌には、「常著青色野蚕衣(常に青色の野蚕衣を着る)」とある。そうであれば「任運に衣装を着く(自然に任せて衣装を着る)」と云う禅語のように、ある時季には野蚕の衣を着たのであろうが、これも野蚕とあるのに佳趣(品の好さ)を感じる。野蚕衣とは憍世耶衣・憍著耶衣・高世耶衣などと云うものがこれである。高世耶衣などの語は倶舎論の倶舎と同じで、その意味は蔵である。虫が繭の中に蔵(かく)れて在ることを云うと玄応は訳している。「飾家記」を引用して高世耶を訳したものに、「この虫は養わなくとも自然に山や沢に生じる、西国には桑が無い、酢果樹上に於いてその葉を食う、その形は白く照り、大きさは親指ぐらい、長さ二三寸、一ト月余りで成熟し、葉で用いて自らを包み、その繭を外につくる、大きさは足の指ほどあり極めて堅固、係りの者がこれを採り、煮て絹にする、その絹は極めて堅く、体細く滑らかでない」とある。酢果樹は何だか分からないが、その形は白く照り、大きさは親指ぐらい、と云うことから判断すると、その虫は我が国で云う「白髪大夫(しらがだゆう)」に似ている。白髪大夫からはテグスが得られるため、今は全く行われないが明治の頃まで越後の国から稀にテグス織が出されていた。普通の野蚕の絹は繭紬と呼ばれるもので、その色は淡黄であって青くない。ここに青色野蚕衣とある青色の一語に注意すると、支那の繭紬とは異なった、白髪大夫の類から作った水青色のものがあったことを想像させる。草衣にしても野蚕衣にしても、これは皆天女が後代のような金殿玉楼の中に居る神でなく、山輝き沢美しい原始的な世界に居たことを語るもので、スフではなく蒭摩、レーヨンでなく高世耶を着ていて、我々を甚だ懐かしい慕わしい思いにさせる。もし弁才天が、インド西北の高地に在ったサラスッチー河の神格化したものだと理解するときは、草の庵も草の衣も生い茂る草木の間にある野蚕の繭も皆ふさわしくて面白い。清流が淙々(そうそう)と長い茅や芳しい草の間を見えつ隠れつ流れ下る景色が想像できるからである。
 憍陳如が弁才天女を讃嘆する偈頌はおよそ三章、その第二章に、「今我は彼の尊者を讃嘆する、皆往昔(おうせき)の仙人が説けるが如し」とある。この時憍陳如が弁才天女について云ったのは、すべて昔の仙人等の伝説に本(もと)づいたもので、憍陳如の私説ではなく、早くから世に伝わっていたものと見るべきである。第二章の中で天女の居所を説いて云う、「或いは山巌深険の所に在り、或いは坎窟及び河辺に居り、或いは大樹諸叢林に在り、天女多くこの中に依りて住む」と。天女が城郭などに居ないで、自然の境地に居たことを知り、我が国の江の島の洞窟や利根川のほとりの布施に天女を勧進した理由も理解できるのである。天女が微妙な音楽の徳を持つというのも、サラサ川を神格したものが天女であるすれば、流水の音は実に微妙な自然の音楽なので、琵琶の弾音が随所に聴かれるとすべきなのである。(②につづく)
 
注解
・弁才天女:仏教の守護神である天部の神の一つ。女神と云われている。
・正法に帰する者:正法(仏法)に従う者。
・智慧広博:智慧が広博。
・弁才無碍:弁才が自在。
・健康福裕:裕(ゆたか)にめぐまれた健康。
・経を持する者:経を信じる者
・洗浴の法:不思議な力をもつ薬草によって身を洗い清める洗浴の方法。
・壇場の呪:壇場で唱える呪文。
・天部:天界に住む者の総称。梵天・帝釈天、四天王や吉祥天・弁才天など。
・吉祥天女:仏教守護神の一つ。女神。吉祥功徳天,功徳天とも云う。
・五種不翻の議:中国・唐の玄奘三蔵がサンスクリット語の仏教経典を漢訳する際に翻訳不能とした五種のサンスクリット語。
・毘沙門天:仏教を守護する天部の神。四天王の一に数えられ北の方角を守護する。
・荊芥:シソ科の一年草
・玄応の音義:「一切経音義」。七世紀なかばに玄応が著した、仏典の難解な語や梵語などの解釈と読みを記した音義書。
・三宅島の「ものし」:三宅島の物師(裁縫で仕える女の奉公人)。
・白髪太夫:クスサンと云う山繭蛾の幼虫。

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