幸田露伴・釣りの話「夜釣りの思い出」
夜釣りの思い出(利根川をひらいた話)
釣りは相代らず好きなんだけれどもね、こう暑くなって来ると、大利根のスズキ釣りの面白さを忘れかねて時折思い出すんだけれどもね、年という奴が私に釣りを許して呉れなくなったんだよ、何しろスズキ釣りは急流の中の只中に船を泊めて、そこで一夜を明かさなければ出来ない芸当だから、年寄りには夜風に当ることや水の上に寝て腹を冷やすことなどは、どうしても苦手で、それに流れの真ん中に船を泊めるためにやるあの力仕事も、老人には骨が折れるようになって仕舞った。
思い出すと私が吾妻橋の尾張屋という雑貨屋の主人をお師匠役にして、利根川を開いたのはもう二タ昔も前になる。その当時は何しろ私達が元祖なんだから、船も自分の物、船頭も東京から連れて行くという騒ぎで、大きいスズキを何十貫と獲ってそれを銚子籠に入れて貨車に積んで東京に運び、今度は女中や書生を八方に飛ばして知人の許へ獲物を配ったりする。
デモこの頃では利根川へも盛んに太公望連が出掛けるようだし、あの時の渡しの船などももう半ば朽ちているだろうと思う、そう考えるとちょっと淋しくなる。私は未だ大利根の他に、三州の豊川とそれから西へ木曽川・淀川とこの三ツを征服して、そこに釣り場を設けたいという野心を持っているのだが、サテそれは何時になったら開けることやら、腕を擦って残念がっているよ。
一体スズキ釣りはネ、二ツの流れが落ち合うところが好いので、利根に注ぐ支流の出口を尋ねて、そこへ巧く船を浮かせて、釣糸を垂れさえすれば、大漁は請け合いだ。利根川の渡しの近くに押付新田というところがあり、そこに水神が祀ってある、この水神は甚だしく釣りが嫌いだと云われ、その昔に隣村の大平権現が釣りをするのを怒って、水神は濳牛(かわうし)に乗って出て戦い、権現様は藤蔓を投げて応戦し、水神の牛の右の方の角を折ったという伝説があるほどだから、その水神の祠の前の流れで釣糸を操ることなど思いも寄らず、又そこは往来の船頭衆でさえ鉢巻を取ってお辞儀をするほどの難所でもあるから、太公望をきめこむことも中々の大仕事なのである。
しかしながら釣りの方から云わせると、そこはまことに絶好の場所で、糸さえ垂れれば、瞬く間に二尺以上のスズキが続々とあがって来そうである。それにまた殺生禁断の地といわれるようなところで、密かに獲物を引き上げて来る楽しさは格別な味のあるもので、私は勇敢にその水神の前に船を浮かべて大いに釣ったよ。
ところが夜更けのことではあったけれど、ばくち帰りの伝法肌らしい奴が折々通りかかっては、「馬鹿野郎」と叫びざまに岸から私の船をめがけて、石を投げ投げしたものだ、そういう危険な場所だけに、釣れることもよく釣れたネ、でも幸いにして水神の神罰もあたらず、充分に獲物をせしめて、その味が忘れられず、その後も私は度々押付新田の難所を荒らした、水神様もその無法に呆れ給うたか、牛に乗って現れることもなかったばかりか、最近では私を真似る者も出来て、そこは利根川筋の好い漁場の一ツにされて仕舞ったようである。
(昭和二年七月)