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幸田露伴の随筆「蝸牛庵聯話・茶」

 餅(へい)の名と実は、およそ前に述べた通りであるが、言語や文字は展開変化して窮まり無く、宋以後になると餅は茶のことを云うようにもなる。我が国には俗に「茶に餅菓子」という諺があるが、餅は茶であるといえば、人を笑わせるには充分だ。蘇東坡の「潘谷に贈る詩」の句の、「琅玕翠餅敲玄笏」は茶のことを云っていないと強いて解釈することも出来るが、同人の「寄茶詩」の「建渓新餅載雲腴」の句となっては、新餅の二字は明らかに新しい茶を云うのであって、建渓は我が国の宇治のように茶の名産地である。鳳餅(ほうへい)もまた茶のことを云う、「茶論」に、「本朝(宋)になってから、毎年建渓から茶を貢納させる、そのため龍団鳳餅の名が天下にとどろく。」とあることからも、鳳餅が茶であることを明らかに示してい。宋の張舜民の「画壜録」は記す、「唐は易羨の茶を献上品とする、建渓の北苑の茶は未だ現れていないのである。晩唐の貞元年間に常袞が建州の刺史(長官)になり、初めて茶葉を蒸焙し之を研(す)りつぶし、これを研膏茶と謂(い)う。その後しばしば餅状に造る。それで之を一串(いっせん)と謂う。陸羽が煮たものはただの草茗(葉茶)だけである。本朝(宋)になってからは建渓の茶だけが独り盛んとなり、その栽培製法は今まで無かったものである。上流人士の珍尚すること格別で、これもまた今まで無かったことである。丁晋公が福建の転運使(財務官)となり、初めて鳳団を造る。後にまた龍団を造る。貢納すること四十餅に過ぎず、全て皇帝への献上とされ、近臣の者といえども徒(いたずら)にこれを聞くだけで、未だかつて見ることは無かった。天聖年間に(蔡君謨が)小団(小片龍団・小龍団)を造る。その品は遥かに大団(鳳団・龍団)に優る。両府(中書省と枢密院)に下賜され、しかも一斤に止まる。ただ上大齋宿の八人に両府宛て各一餅を賜る。之を縷(る)するに金を以てする(龍鳳紋を施すに金色以てする?)。両府の八人はこれを分け合って持ち帰り、これを特別な下賜であるとして家宝にして誇る。親しい知人達はその貴重なことを称えて唱和するに詩を以てする。それゆえ欧陽脩に龍茶小録が有る。(下略)」と。また欧陽脩は「帰田録」に記す、「茶の品は龍鳳団より貴いものはない。およそ八餅で一斤。丁晋公は龍鳳団を献上する。龍鳳団は円餅に造られ、その上に龍鳳紋を印す。供物を扱う者は金(金色?)で龍鳳を装う。慶暦年間に蔡君謨が福建の運使となり、初めて小片龍団をつくる、その品は絶精で之を小龍団という。およそ二十餅で重さは一斤、その価値は金二両に相当する。南郊の祭祀のたびに両府に各一餅が下賜される。宮人誰々金をその上に縷む(宮人達は金色を龍鳳紋の上に施す?)。その貴重なことはこのようである。」とある。であれば、常袞が初めて餅即ちビスケット状の茶を造ったことが、後世において茶のことを餅と云う起源となって、丁晋公や蔡君謨が精品を造り出して龍団鳳餅の名が生まれ、その量を数えるのに幾餅と云う風習が生まれたのである。丁晋公は歴史上では悪人のように見られているが、才能もあり学問もあって、官にあっては政治を司るに至り、死に臨んで乱れず、風流を楽しみ、香を愛し、詩を能くし、魏泰には特異な人であると感歎される。蔡君謨もまた一代の佳士であり、温雅で清高、書においては宋の第一人者である。世の茶を語る者は陸羽や盧同を称えるが、実際は常袞や丁晋公や蔡君謨の手によって、支那(中国)の茶は次第に精良になったというべきで、そしてまた今の磚茶(たんちゃ)は、遠く「唐史」巻百五十二にその伝記を遺す数奇な運命の所有者である常袞に、その源を発するというべきである。茶のことを餅と云う、アアこれもまた奇妙である、しかしながら実際の言語や文字は、皆これ幻(まぼろし)であり、この語やこの字は必ずこの意味であり、必ずこの物に相当すると拘執するようなことは、視野の狭い研究家のする空論である。人まさに法華を転じるべし、法華に転じられるを要せず(人まさに実を用いるべし、名にとらわれる必要はない)。

注解
・蘇東坡:中国・北宋の詩人。宋代随一の文豪として多分野で業績を残した。
・建渓:烏龍茶の故郷である建甌がある福建省武夷山一帯の古称。
・茶論:宋の徽宗皇帝の著とされる大観茶論のことか。
・龍団鳳餅:建渓の皇帝の茶園である北苑御茶園でつくられた献上団茶。龍鳳の図柄が捺(お)されていたので龍鳳団茶とも云う。
・張舜民:中国・北宋の人、画壜録の著者。
・易羨:茶の産地か?。
・研膏茶:蒸した茶葉を絞り機のかけて水分を取り除いたものを膏と云う。この茶膏をすり鉢に入れて研(す)り潰し、それを型に入れて餅状に成形した固形茶のこと。唐の茶は餅状に造られたところから餅茶という。
・陸羽:中国・唐の文筆家。「茶経」の著者。
・草茗:茗は茶の別名、ここでの草茗は葉茶のことか。
・丁晋公:丁謂のこと。中国・北宋の政治家で文人。
・鳳団・龍団:丁謂が造った献上団茶。大後に蔡君謨が造った献上団茶より大きいので大団ともいう。
・団茶:円い形の固形茶なので団茶といったが、その後さまざまの形の団茶が生まれた。
・小団:蔡君謨がつくった献上団茶。小片龍団・小龍団ともいう。
・唯上大齋宿八人:正月と夏至と冬至には祭祀が執り行われ、正月は皇帝親祭、夏至と冬至は関係官が行なう有司摂祭である。唯上大齋宿八人とは有司摂祭の関係官八人のことか。
・欧陽脩:中国・北宋の政治家・詩人・文学者・歴史学者。字(あざな)は永叔。唐宋八大家の一人。
・蔡君謨:中国・北宋の政治家・書家。
・南郊の祭祀:冬至の時に都城の南の郊外の祭壇で行われた天地を祀る祭祀。
・魏泰:?
・盧同:中国・唐の詩人。「七碗茶歌」で有名。
・磚茶:レンガ状に成型した固形茶。


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