幸田露伴・支那(中国)の話「支那戯曲(羊に因める喜劇)」
支那の戯曲(羊に因める喜劇)
今年は羊年だと云うので、羊に因んだ話が大分新聞や雑誌などに沢山出ているが、日本には羊と云う言葉はあるが羊と云う動物は余り実際には居なかったから、従って日本の小説などにはあまり出て来ないが、支那には羊に従う字さえある程だから、従って又そのことも沢山にある。それで、歴史上では蘇武の話などを始めとしてかなり多くの話が伝わっている。しかしながら物語には余り出て来ない。「柳毅伝書」の話の中に出て来る美人が、萎(しお)れた姿をして、うら淋しい川のほとりで羊を飼っているなどは面白い景色ではあるが、だからと云ってそれが主題となっている訳では無く、ただホンの話のついでに記されているだけである。しかし羊の話が無いかと云うと決してそうでは無くて、ここに羊が喜劇に登場する話がある。
これはたいして好い作品と云う訳ではないが、しかしその名は通っているもので、支那の芝居の中で多くの男女に愛されるものを集めた「綴白裘新集」などの中にも一二作は記載されているものである。その中で外題を「獅吼記」と云うものは、一人の焼餅焼きの女が居て恐ろしく焼き立てる、それを蘇東坡居士が河東の獅子吼だと云った事に因んだ名で、主人公は即ちその婦人とその夫なのである。この「獅吼記」が出来たのはそんなに新しいことではなく、話は宋の時代の名は陳慥、字(あざな)は李常と云う人夫婦の話で、この人は御承知の通り実在の人で蘇東坡の友達である。この陳李常は柳氏と云う妻を持っていたが、この柳氏が好い女で文才もあるのだが大変な焼餅焼きで、日頃から亭主をギュウと抑えつけて遊びにもロクには出さない。支那の風俗として豊かな人は妾などを置くのであるが、それもさせない。厳格な一夫一婦主義の張本人で、それで夫婦仲が悪いと云うのではないが、その余りにも厳しい夫に対する愛の為に陳李常も大いに閉口していると云う訳である。
この陳李常は詩人で、また豪爽なことが好きな性格であったから、少しは浮かれて面白い日を送りたいと云う心もあったが、何しろ恐ろしく厳格な妻の愛の為に束縛されてどうする事も出来ないでいる。すると、幸いな事に叔父の呂公が都で枢密と云う役職になった。そこで叔父さんを訪ねて都に行き、自分の立身出世の頼りになればと、こう云う口実の下に厳格な保護者のもとを離れて都へ行こうと考え、上手(うま)くその事を云い出すと、それは駄目だとも云えないので、「それでは行ってらっしゃるのも好いが、用が済んだら早く帰っておいでなさい、ブラブラして居てはいけません、」と細君の柳氏が云う。「イヤもう、そんな心配には及ばない、用が済んだらサッサと帰って来る、」と云う約束でわが家を出発する。サア今まで細君の羽根の下でギュッと抑えつけられていたが、外へ出られたのだから嬉しくて堪らない、勢いよく都を指して上って行った。すると丁度また叔父の呂公は朝命を受けて、公用で遠くの国へ旅立ってしまった後で、都へ行ったが用が無くなってしまった。そこへ子供の時からの友達で、今は都の役人になっている蘇東坡と云う洒落者に出会う。サア、遠く離れた都の地で飲み友達に会うし、喧しい監督者は傍に居ないしするから大いに喜んで、一緒になって遊んで居る。蘇東坡の傍には琴操と云う伎女が居て、これが商売柄上手に陳李常を取り持って呉れる。友達は気心の知った者、美人が居て、殊に旅先のこと、李常は大喜びである日、東坡と琴操とを客にして郊外へ遊びに行く約束をする。李常は思いのままに金を使って、選り抜きの美人や気の利いた若い者を従えて郊外へ遊びに出る。いわゆる駿馬戎装で、花のような美人を大勢馬に乗せ、いろいろな道具のきらびやかなのを持たせて、春の郊外の景色の好い所で宴を開く、花のような、錦のような美人を馬に乗せて駆けらせ、或いは舞いや歌をさせて東坡に御馳走する。マズ伊達の限りを尽くして遊んで居る訳である。
このように陳李常が人も羨むような豪奢を尽して、大得意に何日かを過ごしている一方では、妻の柳氏は亭主が都へ行った切り何時まで経っても帰って来ないから、「これはどうも怪しい」と云うことになって、老僕を呼び出して探索させる。最近都から帰って来た者がいるから、その所へ行かせて訊かせると、「イヤお宅の御主人は都でコウコウだ、まことにお盛んなことだ」と云う。老人は帰って来て、その通りに云ったらどんな目に会うか分からないとビクビクしている。デモ問い詰められるので仕方なしに、「実はコレコレだそうでございます」と聞いてきたことを話して、「大層派手やかに暮らしていらっしゃって、御病気でも何でもないそうでございます」と云うと、柳氏は忽ち怒りを発して、「どうも怪しからん、これから直ぐに都へ出掛けて、耳を引っ張ってでも連れて来る」と云う大変な勢いだから、老僕が「マアマアお待ち下さい、都にお出になさると云っても、御婦人のあなた様が旅をなさるのは中々容易ではございません、それよりも御書面をお認(したた)めなさいまし、私がそれを持って参って旦那様をお連れ申しましょう、」と云う。「デハそう頼む」と柳氏が云うと、「また申し上げますが、このような事を申して失礼でありますが、余り貴方が日頃旦那様を御窮屈になさるので、このように野放しで何時までもお帰りのないような事にもなります、これはどちらの御家にもある事で、御家の為ですから、美しい気の利いた御腰元でもお置きになっては如何でございましょう。そうして旦那様を取り止めることをなすっては、」と云うと、しばらく思案して、「それもそうだがマアその事は後で考えるから、」と云うから、「イヤそれではお使いに参れません。」「デハ仕方ないからそうする、何でも好いから早く連れ帰って来て貰いたい。」「しかし後で変わると旦那様に対して申し訳ない事になりますから、奥様、それは確かですか」と念を押されてよんどころ無く、「確かだ」と返事をする。「サテそれならば早く御書面をお認め下さい、」と云うので、紙を展げて筆を執るが、一ツ十分に罪を責めてやろうとは思うが、離れている所では喧嘩にもならないから、そこは空人情で、「毎日涙の眼で都の空を眺めては貴方のお帰りを待っている」と云うような事を書き終って、「早速、行ってくれ」と云う。老人はそれを持って都へ出て、主人に手紙を渡して、「イヤもう奥様は大変にお待ち兼ねですから即刻お帰りになるが宜しい、」と云う。李常は予てから焼餅の事は知っているから、これはどうも帰らなくてはならないと慌てて支度をして帰途に就く。その途中でいろいろ老僕の話を聞くと、「奥様はこの頃では大分開けておいでになって、腰元を置いて呉れました。」と云う事だが、「それは少し怪しくないか」と訊くと、「イヤ本当です」と老僕が答える。李常が怖(おっか)なびっくり家へ入って行くと「よくお帰り」と細君がやさしく迎えて呉れる。又、「美人を家に置いたからもう外へ出たり何かしないように」と云うから、「それは一体本当か」と訊く、「本当でございますとも。」「何人置いたのか。」「ハイ三人置きました。」「ハハア、何と云う名だ。」「一人は満頭花」と細君が云うから、「どうも妙な名だナ、それから。」「それから眼前花、もう一人は折枝花」などと云う訳で細君の機嫌が好いから、李常も大いに喜んで、奥の間に入って酒の段になって、いよいよその美人達を呼び出して見ると、満頭花と云うのは何のことはない禿頭で、花の字に無しの意味がある。眼前花と云うのは眼のおかしな奴で、折枝花は足が悪いと云う訳だ。細君の柳氏が、「折角揃えたことだから今日はこれで止め、明日はアレ等を飾り立てて駿馬に跨らせ、郊外へ出て一日御愉快を・・」と云う調子だから、「イヤそんなものはとても敵わないから早速追い出して呉れ」と云って李常が閉口する。こんな風に焼き立てられては堪らないが、とても細君の方が腕前が一枚上なのでどうする事も出来ない。
ここに東坡居士の知り合いの仏印と云う坊主が居る。この地へ来て定恵禅寺に錫杖を留めている。東坡はまた郡の方から左遷され黄州の役人にされてコチラへ来ている。旅先のことで淋しいが、知り合いの仏印も居れば陳李常も居るので、話し相手があるからマズ楽しい日を送っている。伎女の琴操も付いて来ている。李常もこれらの人に会うことで互いに楽しく暮らしている。ある日、李常が東坡を訪ねようと思って外へ出ようとすると、例の柳氏が「貴方、どこへ行きますか」と咎めるから、「イヤ蘇学士(東坡)を訪ねるのだ」と云う。夫が道楽仲間を訪ねて行こうと思うからもう細君は甚だご機嫌斜めで、李常も焼餅焼きの女だからもう優しく扱うより外に仕方ないと思い、鏡を取って呉れと云えば取ってやる。柳氏が顔を照らすのを見て、お世辞を云う積りで、「お前は大変美しい、張員外の嫁に似ている」と云えば、「私を他人の家の者に比べる」と云って、怒って鏡を抛り出す。また亭主が奇麗な扇を持っていると、「それは何処から持って来たのだ」と詰問する。「イヤ友達が呉れたのだ」と弁明すると、「こんなものを持っているようではロクな奴でない」と、何事にも一々焼き立てる。そこへ東坡の家から使いが来て、「今日は天気も好いから琴操と一緒に郊外の花でも賞そうと思う、お出で下さるように」と口上を述べる。柳氏はこれを聞くと大いに叫んで、「許さない、許さない」と云う。李常も琴操の二字が聞こえては大変だと思ったから、「イヤ何、蘇学士の所から呼びにきたのだ」と云うと、「イエ、あの道楽者の東坡の所からの迎えなのに、まして琴操と云うものを携えて郊外の花を賞そうなどとは許せない、どうも捨てては置けない」と罵るから、「イヤお前、琴操ではない陳慥だ、即ち私の事だ」とごまかしたが、中々聞かない。「客を招くのに呼びつけにするなどと云うことがありますか、琴操とはおおかた伎女でしょう、何でも好いから隣の李大嫂(奥さん)が昨夜李太伯(旦那さん)を打った竹ベラを借りて来なさい」と云う。「そんなものをどうするんだ、そんなことは出来ない」と云うと、「デハ、書斎の中に青い藜(あかざ)の枝がある、あれは頗る丈夫だからあれを持って来て、もし貴方が私を騙すようなら、これでもって打つ」と云う訳だ。「それはどうも堪らない」と李常は閉口したが、デモいい加減に誤魔化して東坡の所へ遊びに行って仕舞う。
陳李常が妻をごまかして東坡と遊びに行って折角面白く遊んで居る所へ、家の者がやって来たから、「何事があってやって来た」と云うと、「イヤお知らせ致しますが、世の中で家の奥様ほど気の廻る方は無く、また世間で気を引くこと旦那に越した方はありません、あなたがこうして伎女などと一緒に遊んで居らっしゃると云うので、奥様は一ツの剣、一ツの縄、一ツの杖を用意して待ってらっしゃいますから、貴方は甘んじて杖を受ける積りでお帰りなさいまし」と告げる。「イヤ驚かすな、お前は何しに来た。」「実は奥様の云い付けで旦那の様子を窺わせられに私が参ったので」と答える。「どうか好い加減な事を云って、そこを巧く云って置いて呉れなければ俺が困る。」と頻りに頼んでいるのを、東坡と琴操が見て、これは何とも可笑しい、家から老僕が使いに来たからと云って、何であのように膝を曲げているのだろう、「一体何を頼んでいるのか」と声を掛けられて、李常もバツが悪いから、「イヤ遠方から弟が帰って来た、今家から無事に着いたと知らせに来たから、此処から天に感謝したのだ。」と誤魔化す。使いの男が帰った後でまた酒になり遊んで居る。遊んで居るけれども李常は恐ろしくて堪らない。片方の東坡の方は幾らかこれに対してカラカイ気味のところがある。李常が帰ると東坡は笑いながら、「琴操、お前は陳李常の家から男が来た訳を知っているかい」「私は知りません」「多分女房が恐ろしく気をまわして、様子を見に寄越したのだろう。明日行って柳氏に会って、余り酷いようなら一ツ諫めてやろう」と云う。
サテ、李常は恐々(こわごわ)妻の前に出ると、柳氏は怒気憤々としていて、「昨日の郊外の遊びには伎女が居たか居なかったか」と訊く、「イヤそんな者は居なかった」と云うと、妻は青藜の杖を執って、「東坡の右手にいてコレコレの着物を着ていたのは誰だ」と詰(なじ)る。誤魔化そうと思っても見て来た奴がいるから仕方がない。「夫婦でありながら妻を騙すという法は無い、実にどうも怪しからん話だから約束通り打つ」と云う。李常も驚いて「イヤ打たれるのは困る」と云うと、「デハ跪いて池の傍の所に居ろ」と云う。「そうするが、それには門を閉めて呉れなくては人に見られて困るから」と云うが、「そんなことを云うなら打つ」と云うので、仕方がないので妻の云う通りに池の傍に跪いて謝っている。東坡の方では李常が慌てて帰って行ったが、「どんな様子か行って見てやれ」と云う訳で、やって来て見ると門が少し開いているから覗き見ると、李常が池の傍に跪いている。東坡はこれを見て、「コレハコレハ」と云う訳で入って来る。李常はそんな事とは知らないから、「バカバカしい、東坡居士のお陰で飛んだ目に会ったものだ、これは神事か何か無ければとても助からない」と独り言を云っている。そこへ、「貴様を救う神は俺だ」と云いながら東坡が入って来た。それを見ると李常は且つ恥じ且つ怒って、「出し抜けに人の家に入って来るとは酷い、乱暴じゃあないか」と云う。「昔、陶元亮は斗米の為に腰を折らないと云ったが、貴様は細君の為に身を屈しているのか」と云う東坡の口を押えて、「静かにしろ、静かにしろ、何もお前に関係したことではない、私の事だから好いじゃあないか」と云う。「何をゴトゴト云っているんです」とそこへ柳氏が例の青藜の杖を持って現れる。東坡を見ると、「イヤ蘇大人でありましたか」と挨拶をする。東坡も細君の取り扱いが余りに酷いと思うから、「女の道と云うものは従順を以て主となすものであるのに、夫を永く池頭に跪かせるとは怪しからん」と云うが、柳氏はもとよりそれに屈するような女ではない。経史を引っ張り出して来て、「それは男の我儘と云うものだ」と少しも負けていない。却って反対に東坡に食って掛かる。東坡も困って仕舞って、「イヤ琴操は私の知っている者で、御主人はただ同席したに過ぎない、何の支障もある筈がない」と弁解してやると、細君は大いに怒って、マズ悪友を打ち殺すと云う勢いで杖を持って迫って来るから、「これはとても敵わない」と東坡は驚いて逃げ出して仕舞う。これを見た李常は驚いて、「蘇学士に失礼を働いてはいけない、むしろ私を打ちなさい」とヘコタレて仕舞う。
流石の東坡居士も陳李常の細君の焼餅には恐れをなして寄り付かないようになったが、考えて見れば李常には子供と云うものが無い。そしてああ云う恐ろしい細君を持っていてはとても堪るまいと察して、予てから侍兒を李常に送ってその妾にしようと云う心が東坡にはあった。ここを詳しく云うと中々可笑しいが搔い摘んでお話をする。侍兒を送るにしても中々それを家へ持って行く訳にはいかない。そんな事をしようものなら細君が黙っては居ない。必ず打ったり叩いたりするに相違ないからと云うので、幾らか家から離れた所に適当な家があるから、そこへ入れて置いて李常が時々行くという事にした。ここから羊の話が始まるのである。
柳氏は自分の亭主がしばらく約束に従って家を出ないで居たところが、今日は人を訪ねると云うことで、「直ぐ帰る」と云って出て行った。「この水の滴りが尽きない中に帰る」と云っていた滴水も既に乾いている。「ここまで燃え尽きない中に帰る」と刻み付けて置いた香も、ハヤ燃え尽くして仕舞ったが、それでも尚、夫は帰って来ない。柳氏が頻りにヤキモキしているところへ、「イヤどうも遅くなった。遅くなった。」と云いながら亭主の李常が帰って来る。細君が怒って、「この香をご覧なさい、既に燃え尽きました。水をご覧なさい、とうに乾いています」と云う。李常が触ってみて、「イヤ未だ少し湿っている」などと云うものだから、大喝一声して杖を取り上げてブン撲る。「マアマア少し勘弁してくれ」と云っても中々承知しない。「ソレでは打つのを許す代わりに、アンタの髪を解いて輪を作れ、」と云う。「何をするのだ」と訊くと、「灯明台を置く、動かないで居ろ、もし動いて火を消したなら更に二十の亡を与える」と云う。「イヤそれならば、明日また載せて貰おう」とまるで寺子屋の子供がひどい目に会わされているような形である。柳氏が猶も腹を立てて、「罪を知ったか」と云うから、「イヤもう十分悪かった、以後気を付ける、二度と再びこんな事はしないから」と李常が詫びたが、「今日の所は許して置くが、その代わり寝室に入ることは許さない、書斎で寝ろ」と云われて、コチラは歎息している。
ガッカリして眠りに就くと、翌日は飯だの何だのを持って来てくれる。そして門を出ることを許されない。「書斎の中へ食べ物や何かを持って来てやるから、前のように勝手に行動してはならない、書斎から一歩も出てはならない」と言い渡される。仕方ないからフンフン聞いているが、その中に細君はアッチへ行って仕舞う。「ヨシこの隙に出なければどう仕様もない、実際堪ったものでは無い」とコッソリ書斎を抜け出して、ソッと門から出て行って仕舞う。その後へ細君がどうしたろうと思ってやって来て見ると、影も形も見えないから、「怪しからん、何時の間に抜け出したか」と、人を呼びつけていろいろ訊きただすと、ここに居ない訳で、蘇学士が侍兒を送ったと云うことだ。「シテそれは何処に居る」と訊くと、離れてはいるが近所で、それのために別に家を一軒構えたと云う。「イヤそれは大変だ」といよいよ怒って大騒ぎをやっている所へ、李常が帰って来る。細君は夫を取っ捉まえると長い縄を取り出して、「足を伸ばせ」と云う。李常がおとなしく足を伸ばすと縄で縛って仕舞う。「この書斎の中に居て私が縄を引っ張るまで決して出て来てはいけない、引っ張ったら出て来い、引っ張らなければ本でも何でも読んでいろ」と云い捨てて書斎を出て行く。李常も「こいつあ堪らない」と大いに閉口している。
暫くするとギュウギュウと引っ張るから、「何か用か」と思って出て行くと、「イヤ何、偶然寝返りをしたら枕を落とした、取って呉れ」と云う。そこでそれを取って与えると、「もう宜しいからアッチへ行っても好い」と云う。書斎へ帰って来ると、又引っ張る。「何か」と訊くと、「茶が欲しいから持って来てくれ」と云う。李常も降参して仕舞って、書斎へ戻ると、「ホントに厄介だ、赤縄とはこの事だ」と縄をいじくりながら、「情ねえことになったものだ」と歎息して外を見ている。そこへ一人の年寄りの巫女が、背中に変な風呂敷を背負ってやって来る。それを呼び止めて、「巫師、巫師、どうか私を助けて呉れないか」と云う。「何事でありますか」と訊くので、「実は私が妾を一人娶って近所に置いて朝夕通っていたところ、妻に知れてこの通り縄で足を縛られて仕舞った。どうも行く事が出来なくてまことに弱っている。好い謀(はかりごと)は無いか、方便を廻らせてくれたらお礼をするが」と頼むと、「デハ家に帰ってその謀を持って来る」と帰ったが、中々やって来ない。「アア、あの婆も家の女房のようなのに会っちゃあ方策が無いと見えてやって来ない」と云っていると、その巫女が一匹の羊を引っ張て來る。「どうしたのだ」と云うと、「これが救いの神だ」と云う訳で、李常の縄を解いて、その代わりに羊の脚へ縛り付ける。李常が慌てて、「そんな事をして見られたらどうする」と云うと、「イヤこうして上げるから、もうご心配なく貴方の行きたい所へ行くが宜しい」と云われたから、李常は喜んで行って仕舞う。
片方では久しぶりに、居るか居ないかどうだろうと思って引っ張って見ると、ハイともオウとも返事がない。返事がないから強く引っ張ると羊が鳴いた。猶も引っ張ると、羊が引っ張られて出て来た。柳氏はこれを見ると仰天して、「誰か来て」と呼びたてる。そこで巫女が出て行って、「何か」と訊くから、「イヤ私は自分の亭主が行儀が悪いので縛って置いた、そして顔の見たい時には縄を引っ張っていたが、今縄を引っ張ったら羊が出て来た」と答える。巫女はその羊をジッと見て、大いに驚いて云うには、「これは大変、私が思うに貴方が余り勝手な事をなさるので、御先祖様が罰して旦那を羊にした」と云う。「イヤ何が何でも、羊になられては困るから、どうか再び人間にすることは出来ないか」と頼むと、「それは難しくない、貴方が斎(ものいみ)をして後悔し、これから旦那を大切にするとさえ言われれば好い」と云う。「デハどうか祈って下さい、私も一生懸命後悔するから」「宜しい、三日の間室内に籠っていらっしゃい、私が代って祈って上げます、神々に祈りを捧げて上げますから」と巫女が請け合う。
陳李常は羊を身代わりにして逃げ出すことが出来たから、大いに喜んで好きな女の所へ行ってイチャイチャしているような訳である。好い加減なところで帰って来て、今度は又、羊の縄を解いて李常の脚に縛りつけると、巫女の婆さんが楊氏のところへ行って、「とうとう元の通りになりました」と云うから、来て見ると成程、自分の亭主の元の姿だったから、「貴方が羊になって仕舞ったので、私はどんなに心配したか知れません、一体羊にお成りになっていかがでしたか」と訊くと、「イヤ草何ぞを食ったものだから、まだ腹が痛くていけない」などと云う、「これからもお前、杖を使うかい」と訊くと、「イエ、使いません」「デハ蘇学士の送った女のことも許すか」と訊くと、「許す、と云いたいけれどもドッコイそれはまた考えた上で」と答えると、李常がブッ倒れて羊の鳴き声をするから、柳氏は取り縋って「マアマア羊になるのは待って下さい、許しますから」と云う。巫女の婆さんが、「伺いますれば、コチラには新婦がお有りだそうですが、それと同居なさるが宜しいでしょう」と云うと、しかし折角家に入れても女房に責められるような事になっては仕方がないと李常は考える。柳氏は泣きながら、「羊になられちゃ困るから、家に入れます」と承諾する。承諾はしたものの、それがやって来て奥さんに三礼すると、「これは誰だ」と血相変えて睨みつける。と、忽ち李常が羊の啼き声をする。「そんなに早く羊になられては困ります。」と細君が云うから陳李常も、「イヤお前が約束を変えなければ俺も身体を変えない」と云って、とうとう新婦を家に入れることになる。
柳氏はそう云う目に会っていたものだから、遂に妙な病気のようになる。怒気が胸中に鬱勃して病気となり、杖を取って打とうとしたが倒れて仕舞う。倒れて仕舞うと今度は魂が飄々として地獄へ行く。そこで嫉妬の罪を責められるが、仏印と云う坊主が出て来て助けてやる。それから地獄を見物して廻ると、そこには昔から嫉妬の強い女や何かが大勢いる。歴史上に有名な女が責め立てられているところをいろいろ見せられる。それでマズ大いに報(むく)いを知って、蘇(よみがえ)ってからは嫉妬をしないようになったと云う訳である。以上ザッとしかお話をしなかったが、支那の婦人と云うものは随分と嫉妬深い。元来、支那の婦人は「従順であれ」と押さえつけられているが、中々どうして、日本の婦人のように穏やかでなく、東坡居士を驚かして「河東の獅子吼」といわせたのも実際のことである。地獄めぐりの中に出て来る嫉妬深い女も、歴史上の実在の人物なのである。
唐の太宗は支那の天子の中では有数の、えらい聡明な天子であったが、年若く天下を取ったその太宗を驚かせた女がいる。太宗の功臣の一人に子のない者がいた。名家の後の堪えることを心配して、妾を与えて子孫を残せと云う訳だが、その女房が聞いて腹を立て、「大きなお世話だ」と云った。そこで太宗が、「名家の後がないのを天子が憐れに思って計ってやるのに、とやかく云うのは怪しからん女だ」と云うので、女房を召して、「夫の為を思って妾を入れればよし、サモ無くば汝に鴆毒(ちんどく)を賜るがどうだ」と云う訳で、毒を持って来させた。マズ普通の女ならば、天子の前であるし、恐れ入って仕舞って一言もないところだが、その女房は凄まじい剣幕で、「むしろ鴆を賜らん」と云ったので、流石の太宗も「朕もまた恐る」と云ったと云う、恐ろしい女が実際にある。漢の高祖もあれほど偉い天子だったが、自分の可愛い戚氏を呂后の嫉妬のために惨たらしく殺されて仕舞う。頼朝の妻の政子どころではなく、その恐ろしい嫉妬と云うものは到底日本の婦人の比ではない。支那は一夫一婦を喧しく云わない国であるから、それでこのような恐ろしく嫉妬深い婦人が出たものか、或いは支那婦人の通性で、他所の国の婦人よりも猛悪なのか、ともすれば小説や戯曲の滑稽な題材として「怕内漢(恐妻家)」と云うものが出て来るが、なるほど妻を怖がる者は可笑しいに違いない。この「獅吼記」のように、恐ろしい妻を中心にしたものは少ないが、怕内漢と云うような者が嘲笑の目的となって出て来ることは、決して少なくないのである。ならして支那の婦人をむき出しにして論じると、中々猛烈な性格を持っているので、日本の婦人のような鷹揚な様子を持ってはいないようである。
支那人は偽書を作ることが多く、仏教の中のも偽経は幾らもあるが、こう云う婦人の性格である為なのか、その実物があるのかどうか知らないが、偽経目録の中に「療妬経」などと云うものも出ている。察するところ、それも陳李常のように苛められた男が、苦し紛れに作り出したものかも知れない。そういう訳で「獅吼記」の中の柳氏に地獄めぐりをさせたなどは、随分夫人を侮辱した話で、一夫一婦の論が仏のこととなっている今日から見れば、余りに酷いことのようであるが、このように柳氏のような婦人に同情しないで、そして地獄めぐりをさせて、地獄の苦しみを見せつけるような作者の方に、却って一般の人が同情したのだと思える。これは支那の婦人の嫉妬の恐るべきものであることを、事実として認めたものでなければ頷けないことで、でなければこの「獅吼記」などは余りにも甚だしく夫人に辛く当っているとしか思えないが、実際の支那の婦人がどう云うものであろかと云うと、歴史の上や何かから観察した者は、やはり自然と「獅吼記」の作意に同情する傾向を免れないのである。今日の普通の考えから云えば、一篇の作意が余り極端に男子の我儘の方に加勢しているように見えるが、しかしこれはそう云う作品が出て来る理由について一応も二応も考えて見なければならない事である。
(大正八年二月)