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幸田露伴の論語「一貫章義①」

一貫章義

 昔、中国の詩人陶淵明は、書物を読むにあたっては甚解を求めないと云った。むずかしく細かな点まで穿鑿した煩わしい解釈が甚解というものだ。読書人の読書はその大意が解れば良いので、淵明のような読書人が甚解を求めなかったのは当然のことだ。しかし書物を読んで自分勝手に解釈したり、誤解したり、咀嚼もしないで生半可な解釈をしたり、解らないところが有っても強いて読み過ごして、いわゆる丸呑込みをして、それで済ませるなどというのは良くない。まして聖賢の書(聖人賢者の書、ここでは『論語』)は、言葉は簡単だがその意味するところは遠いものなので、自分勝手な了見で、疎(おろそ)かに読み下し、そして読了するようなことは、実に宜しくない事である。力の及ぶ限りは、正しく理解し、精しく理解し、深く理解し、全体を理解し、それによって博大な内容、微妙な意味を受け取るべきなのである。そもそも聖賢の書は、書の言語文字が解り、趣旨内容を理解することだけを求めるものでは無く、人がその教(おしえ)を会得して実行するためのものなので、読む者が能く理解し能く覚った後に、その心をその中に浸し味わい、その身をその境地に当て嵌めて聖賢の意(おもい)を考え求めれば、次第にその真実の景象に接することが出来るのである。即ち少しの曇りもない真の理解に至り着くのである。今、未だ真の理解に至らないのであれば、人も我も共に、真の理解を、真の理解をと願い求めなければならない。

 子曰、参乎、吾道一以貫之。曽子曰、唯。
 子曰(ししいわ)く、参乎(しんや)、吾道(わがみち)は一(いつ)以って之を貫(つらぬ)く。曽子(そうし)曰く、唯(い)。

 これは『論語(里仁十五)』の一章の前半である。昔から諸先輩の解説も多いので、今更これを解説する必要はないのであるが、今の人の多くは先賢の書を読むこと少なく、従って先賢が経書(儒教の古典)を理解するのに、どんなに注意深く思考したかも理解せず、ただ紙上の文字を一読するような浅い読書で済ませてしまうので、読まない前も空虚、読んだ後も空虚、読んでも読まないと同様に終る傾向がある。それではどんなに聡明な人でも何の得るところも無く、識得煥発(知識を得て啓発される)ということが少しも無く終ってしまう。識得煥発ということが無ければ読書は何の意味も無い。
 昔の人が経書などを読む場合は、その概要を理解した後で、真剣に思考すること誠に注意深いものがあって、各自の器量・性質・学問・認識に差が有るのは仕方無いが、自分は自分で出来る限りの力を尽くしたものである。また未だその概要が理解できないときには、いわゆる句読訓詁、即ち字句の解釈を人にも受け、自分も考え調べ、現在の学問上からも誤りの無いように学び、大体の意味を得る準備をしたものである。このような準備と研究とを積んだ上で、なおその事柄について広く詳しく知り、過去の事例から類推したり、その事柄を敷衍して考えたり、結論はどうか、支障は無いかと検討したり、と努力を重ねて始めて会得できるのである。
 句読訓詁を受け、字を識り文を解釈することは、いわゆる「小学(しょうがく)」である。勿論この小学は大切である。小学も解らないで一足飛びに主旨や深意が分る訳は無いのである。であるのに、今の人は英雄豪傑の敵陣突破のように、勇猛果敢にどんな書でも読過して了(おわり)として、句読訓詁などは立派な男がする事ではないという了見で、粗雑な態度を自省することなく、自己の意のままに解釈し、批評し、論難したりして、大きな間違いに陥り常軌を外す。何とも悲しいことである。
 例を挙げれば、『論語(泰伯九)』の「子曰く、民は之に由(よ)らしむ可し、之を知らしむ可からず」の章がそれである。今の人はこの章の趣旨を、政治はただ民に為政者を信頼させるだけで宜しい、知らせるには及ばない。と云うように解釈しているのが多いようである。そしてこの章を非難している者さえ有ると聞く。アア何ということであろう、これらは皆常軌を逸した狂論で、取るにも足らないことであるが、その初めは小学に通じずに、由の一字を誤解したところから生じた過失である。由も頼も拠も邦語では「よる」と読むが、由は頼でも拠でも無い。由は、『論語(雍也十五)』の「子曰く、誰か能く出(い)ずること戸に由(よ)らざらん、何ぞ斯の道に由ること莫(な)き」の由であって、決して依頼の頼や拠有の拠では無い。「誰か能く出ずること戸に由らざらん」というのは、内から外へ出るのに開き戸の有るところから出ない者は無いと云うのである。由の字の意味はそれで覚(さと)ることができる。また由は自である。『詩経』の「自東(ひがしより)自西(にしより)、自南(みなみより)自北(きたより)」の自と同じで、東より西よりの「より」である。由の字のこのような意味を知れば、「民は之に由ら使(し)む可し」を朱子(中国南宋の儒学者)が解釈して、「民はこの道理の当然に由らしむべし」と言うのが、実に明白な解釈だと感じさせる。この字によってこの字を解釈するのが最もよい解字の方法だが、もし他の字によってこの字を解釈するならば、「由は用也」という古註(唐以前の注釈書)の説もまた甚だ良い。経書やその解説書には用によって由を解釈した例は甚だ多い。用いしむべくして知らしむべからずとは、「民は能くそれを日々に使用して、しかしながらそれを知ること能わざればなり」という古註もまた簡明ではないか、「之を知らしめる可からず」と云う句は、朱子も、「民の一人一人に、この道理を理解させることは能わざる也」と、「可」の字に替えて「能」の字を使用している。即ちここでの可は可能の可で、可・不可は出来る・出来ないということである。このように、由字・可字を小学的に理解すれば、この章の趣旨は自然と明白であり、聖人が民を導き教化するのに礼楽政教を用いた理由が、例えば歩きやすい平坦な道路を敷設して、人に自(みず)からその道路を歩かせるようなことなのだと分る。程子(中国北宋の儒学者、兄が程顥(ていこう)・弟が程頤(ていい))がこの章を語って、「聖人が教(おしえ)を設けたのは、人々の家ごと戸ごとに喩し覚らせることを欲しないのではないが、その教(おしえ)の趣旨を覚らせることが難しいので、手本を示して由らせるのである。もし聖人は民に知らせないと言えば、即ちこれは後世の朝四暮三の術である、どうして聖人の心であろう」と親切丁寧に説明している。朝四暮三の術とは民を愚民扱いにする統治の術であるが、聖人が民に臨んで民を愚とするようなことを何ですることがあろう。であるのに、小学を足蹴りするように、粗雑・大胆・軽率傾向の人は、自分の浅い了見で由字を解釈して頼字とし、可からずを解釈して宜しからずとし、「意のままに政治を行うことを可とする」とこの章を解釈し、そして之を大いに非難するような、無益な議論をしばしば耳にする。厭わしいことである。
 サテ小学的なことが解れば、その章の大意は自然と理解できるのであるが、ただ大意が理解できた事で終了したのでは甚だ足りないのである。大意が理解できたなら、それから初めて真の理解に解き至り、そして味得・体得に努め、十二分に注意深く思惟すべきなのである。そこでの熟考熟慮こそが学者の本務とすべきところであって、そこに於いて自分の学問の足りないところを知って之を補い、自分の認識の及ばなかったところを省みて之の向上に勉め、自分の性質の偏りから等閑(なおざり)にしていた部分のあったところを悟って、今まで気付かずにいたところに心が届いて、次第に欠点の無いものとなり、自分の器量が弱小なために博大精深になれず、大きな働きが出来なかったことを反省して、自己の器量を少しでも大きくしようと心掛けるのが本筋なのである。このようにしている間に、次第に粗より精になり、偏より円に至り、礙(がい)より通(つう)に進み、小より大に進化して、何時(いつ)となく純熟して、終(つい)には識得煥発・欣喜雀躍の境地に至る。そこで始めて少し分ったという段階に入ったのである。
 紙上の字や机上の書を眼にして、それを読むだけの間は、解得に向っているには違い無いが、それは修学の道の途上であって、修学がそれに尽きるのでは無い。若し字を解釈し書を読んで、ああであろう、こうであろう、これゆえにこうで、そうだからこうである、と理屈らしいことを捻(ひね)りまわして、算数の計算をするようなことを云って止まるならば、それは虻学問(あぶがくもん)と云うものであって、真の学問には遠いものである。虻という虫が部屋に入って、出ようとして明り障子のところで羽搏いて、頭を打付けてブンブンと努力しているが、結局何の役にも立たないで終る。九年読書しても、ただ文字ある故紙に対(むか)って賢顔(かしこがお)の羽搏きをしているだけでは、古人が之を憐んで言った通り、「百年故紙にいたる、何れの日か出頭の時ぞ(長年読書をしているが、何時になったら修得できるのか)」である。
 そうかと云って聖学は禅宗などのように、或る朝に「突然に悟る」というようなことを狙うものでは無い。学問思弁の道に切磋琢磨の努力を重ねるのが聖学の建前である。字を理解してその文を読み、文を読んでその趣意を了解し、趣意を了解した後、それで果して本意真意を得たか否かと、思考すること精厳を尽し、それで果して誤りは無いか、不足は無いか、偏(かたよ)りは無いか、拘(こだわ)りは無いか、空虚に馳せて実際から遠ざかることは無いか、小知で大事を測ることは無いか、他と食違いは無いか、関係するところを忘れてはいないか等を、周到に理解するときには、学問は次第に紙上の字や机上の書から、心の象(かたち)・物事の道理となり、なおも勉学の心が真剣で已まなければ、そこに幾分かの識得感発するところが有って、それからいよいよ真を知り得てそれを実行する知行同一の境地にも至るのである。
 それなので、古人の学問は今の人に比べると甚だ異なっている。今の人の学問はただこれ記述の学か、または生飲み込み、拾い読みの学であって小学にさえ骨を折っていない。学問についても今の人は今の人の主張が有って、古人のように鄭重な態度を取ってはいないで、学芸も結局は衣食を得る道である。と云うように取っていられてはどうしようも無いが、このような世にあって、古人の読書の仕方、経書の解釈の扱い方などがどのようなものであったかを示すのも、甚だ現実的ではないが又全く無益でも無いだろうと、しばらくは古風な態度を取って解釈をするのである。経書を説くこのような古風な扱い方を、これによっていささか、このような事を知らない今の人に示そうとするのである。(一貫章義②につづく)


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