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幸田露伴・考証「梅と菊と菅公と」

梅と菊と菅公と

 世の菅公(菅原道真公)を画くものの多くは梅花を添える。思うに菅公は梅花を酷愛するので、菅公を画くには梅花を欠くことが出来ないとする。天満宮の多くは梅をその境内に植える。その素影寒香は、公の遺徳とその雅(みやび)を共にする。思うに人々の菅公を仰慕する心が、公が梅花を愛する故に、これを献じて崇敬の意を示そうとすることから出る。公は実に梅花を愛する、東風(こち)の歌がこれを立証する。画中に一枝を添えて、境内に数株を植える。
 皆、根拠のある事で結構な事である。しかしながら、公が菊を愛することの甚だ深いことを世の人が語ることは稀で、画像や祠廟に依籬傲(いりごう)霜(そう)の菊花を見ることは無い。公は実に梅を愛す、しかしまた実に菊を愛す。世人ただ公の梅を愛することを云って、公が菊を愛することを云わない。ここにおいて公と梅花を併称すること千余年にして、公と菊花の併称されないこともまた千余年にならうとする。公の情が菊において酬われず、菊の神の公において恨み有りと云える。私は公のために菊花を失うことを憾み、また菊花のために公と疎なることを悲しんで、いささか公の詩に拠って、公の菊花を愛することの甚だ深いことを立証しよう思う。
 公の詩で現存するものは、それほど多くは無いが、そのうち菊花を詠ずるものは二十首を数える。時に天皇の命による章もあるが、公が菊花を甚だ深く愛することなくして、どうしてこのようなことが成り得よう。これに比べると梅花を賦する詩は却って少ない。詞章の多寡が即ち愛賞の深浅とは云えないが、公の特に梅花に厚く無く、菊花を悦ぶことをまた知るべきである。公の菊を賞する詩がある。思うに、貞観二年作の残菊十韻から始まる。公は時に年令十六、その末の四句に云う、

  巳謝陶家酒。(巳(すで)に謝す陶家の酒)
  将随酈水流。(将(まさ)に酈水(てきすい)の流れに随う)
  愛着寒晷急。(愛着するも寒晷(かんき)急)
  秉燭豈春遊。(燭を秉(と)る豈(なんぞ)ぞ春遊のみ)
(昔、王弘が陶淵明の家に酒を贈ったと云う九月九日の重陽の日も過ぎ、今はただ時の経過に任せて過ごしている。菊花を愛着しているが冬の日足は早く暮れやすく暗くなったので灯を点す。灯を点して楽しむのは春の遊びだけになに限ろう。)

 秉燭豈春遊の一句、既に菊の好さが、梅に譲らないことを云う、愛すると云える。題白菊花七律一篇は思うに公の四十歳の頃の作であることは、霜鬚秋暮初老驚(初老の秋暮の霜鬚に驚く・四十才の秋の暮れに鬚の真っ白なことに驚く)の句のあることで分かる。その一聯に云う、本是天台山上種、今為吏部侍郎花(本(もと)是れ天台山上の種(しゅ)、今吏部侍郎(りぶじろう)の花と為る・もとは比叡山上に咲いていた菊の種だが、今は私の花になっている)と。題下の注を読むと前年に天台(比叡山)の明上人から種苗を得て、公自らこれをその園に育てる。二句は即ちその事を指す。人から種苗を得てみずからこれを培養する。愛もまた深い。そしてまた、公の愛は特に白菊の花に注がれる、これまた知るべし。同諸才子九月三十日白菊叢辺命飲(諸才子と同(とも)に九月三十日、白菊の叢辺(そうへん)に飲を命ずる)の七絶一首に小序を付している。推測するにまた前詩のいわゆる白菊を賞して、諸才子と花前に詩酒の清興を取ったのである。晩秋二詠は急遽の題詠である。しかもその残菊を詠ずる中に、唯須偸眼見、不許任心攀(唯須(すべか)らく偸眼(とうがん)で見よ、心に任せて攀(おりと)るを許さず・ただこっそりと密かに見なさい心に任せて折り取ってはいけない)」の句があり、後の路辺の残菊を詠ずる、菊過重陽似失時、相憐好是馬行遅、金精国滅薫香在、欲把還羞路拾(菊、重陽(ちょうよう)を過ぎて時を失うに似たり、相憐れむも好し是れ馬の行く遅きも、金精(こんせい)国(くに)滅びるも薫香(くんこう)在り、把(と)らんと欲して還(ま)た羞ず、路に遺(のこ)れるを拾うかと・菊は重陽を過ぎて盛りを過ぎ、共に疲れて馬の歩みも遅い、菊の花畑も終わりだが薫香がする、把ろうとしてまた羞じる、路に遺る菊を拾うのを)」の一首と、詩情はやや異にして愛する意(おもい)は共に同じ。残菊下自詠七律末二句に云う、為恐藂辺腸易断、徘徊未得早南帰(藂辺(そうへん)に腸の断たれ易きを恐れるが為、未だ徘徊して未だ早く南に帰るを得ず・菊畑の辺りは断腸の思いに駆られ易くそれを恐れて、未だこの地を徘徊し、早く南に帰ることができない)と。これは公が讃岐の守であった時の日に、暇(いとま)を願いに京に滞在した時の作で、眷恋の情おのずから明らかではないか。寄白菊四十韻は思うに仁和四年の、讃岐に在任している時の作である。一草花を思って四十韻の長詩を賦す。愛もまた極まると云える。劈頭まず云う、

  遠隔蒼波路。(遠く隔つ蒼波(そうは)の路)
  遥思白菊園。(遥かに思う白菊の園)
(ここ讃岐と京都は蒼波の海で遠く隔てられている。遥かに京都にある我が家の白菊の園をここ讃岐から思う。)

と、讃岐と京都は海を隔てているので蒼波の一句があり、愛するところが白菊にかかるので遥思の一句がある。次いで云う、

  東京蝸舎宅。(東の京なる蝸舎(かしゃ)の宅(いえ)・京に在るカタツムリのような小さな家)
  西向雀羅門。(西に向く雀羅(じゃら)の門・西に向く訪れる人も無い門)
  小簣斜当戸。(小簣(こぎ)斜めに戸に当たり・小さなモッコは斜めに戸に掛かり)
  疎欄正逼軒。(疎欄(そらん)正に軒に逼(せま)る。疎(あら)い欄干は軒に迫る)
  無池蓮本欠。(池無く蓮(はちす)本より欠く・池無く無論蓮も無い)
  有畝竹逾繁。(畝有り竹逾(いよいよ)繁し・畝が有って竹がびっしり生えている)
  擬擅孤藂美。(擅(もっぱら)孤藂(こそう)を美しく擬(せん)んと・一ツの菊畑を美しくしようとして)
  先芸庶草蕃。(先ず庶草の蕃(しげ)きを芸(かぎ)る・先ず夥しい雑草を刈り取る)
  苗従台嶺得。(苗は台嶺従(よ)り得・苗は比叡山より得)
  種在伝郎存。(種は伝郎に在りて存す・種は私のところに在る)
  下手分移遍。(手を下して分ち移すこと遍(あまね)く・自ら万遍なく植え付ける)
  中心愛護敦。(中心に愛護すること敦(あつ)し・懇ろに篤く世話する)
  早春新膩葉。(早春には新(あらた)な膩葉(じよう)・早春には新な葉が生え)
  初夏細牙根。(初夏には細(こまか)な牙根(がこん)・初夏には細かな根の芽)

と。即ち公自ら菊花の園を作ろうと欲して、前の詩で詠じた天台の明上人より得た花種を植えて、培養懇到、扶育精細なことを知る。また云う、

  芬芳応佩服。(芬芳(ふんぽう)を応(まさ)に佩(はい)服(ふく)し・菊花の良い香りを身に帯び)
  貞潔欲攀援。(貞潔は攀援(はんえん)を欲す・その貞潔なすがたは折り取りたく思う)
  四序環無賜。(四序(しじょ)環(めぐ)るも賜う無く・季節が環るも賜うこと無く)
  千秋矢不諼。(千秋矢(ちか)わくは不諼(わすれず)・千秋誓って忘れない)

と。公が菊を愛すること、ただしその麗姿美色を賞するだけでなく、芬芳の徳、貞潔の性(さが)を悦び、これをもって切磋の良友とする。千秋矢わくは諼(わす)れずの一句、情は切にして意は誠なりと云える。末に云う、

  行程過緑浦。(行程は緑浦を過ぎ・行路は緑の浦を過ぎ)
  逆旅臥青蘋。(逆旅は青き蘋(はますげ)に臥(ふ)す・泊りは青き蘋に臥す)
  水国親賓絶。(水国(すいこく)に親賓(しんひん)絶え・海辺の国に親しい人は無く)
  漁津商賈喧。(漁津(ぎょしん)に商賈(しょうか)喧(やかま)し・漁港は商人でやかましい)
  一來疲涕泗。(一たび來て涕泗(ていし)に疲(や)せて・一年は涙に痩せて)
  三度変寒喧。(三度(みたび)寒喧(かんけん)は変わる・三度寒暑が変わる)
  想像霜華発。(想(おも)い像(や)る霜華(そうか)の発(ひら)くを・京都の我が家の白菊の開花を思い遣り)
  悲傷晩節昏。(悲しみ傷(いた)む晩節の昏(くら)きを・晩節の不幸を悲しむ)
  含情排客館。(情を含みて客館(かくかん)を排(ひら)き・思い屈して官舎を出て)
  抱影立荒村。(影を抱いて荒村(こうそん)に立てり・影を曳いて寒村に立つ)
  悵望将穿眼。(悵望すれば将に眼を穿つ・京の都を悵望すれば正に眼は穿たれ)
  追尋且送魂。(追尋すれば魂を送るに且・京の園を想うと魂は早くも走る)
  意驚由過雁。(意(こころ)驚くは過ぎゆく雁に由る・思い募れば早くも魂は京に飛ぶ)
  断腸豈聞猨。(断腸豈(あに)猨(えん)に聞く・断腸するに三峡の猿声は要しない)
  有処堆沙挿。(有処に沙を堆(たか)くして挿す・随所に沙を積んで菊を挿す)
  何人折柳樊。(何人(なにびと)の柳を折り樊(ひ)く・誰が我が家の菊の便りを呉れることか)
  自開還自落。(自(おの)ずから開き還(また)自ずから落つ・自ら開花し自ら落花しているだろうか)
  誰見也誰言。(誰が見る也(また)誰が言う・誰が見て誰が伝えて呉れるだろうか)
  暮景愁難散。(暮景愁(うれい)散じ難く・暮景にも愁は晴れず)
  涼風恨易呑。(涼風恨み呑み易し・涼風にも恨みは募る)
  寄詩花盛否。(詩を寄す花の盛りなりや否やを・我が家の菊に資を寄せる、花は盛りや否やと)
  珍重可知恩。(珍重する恩を知る可し・大切に世話をした我が恩を知れ)

と。公の菊花を思う情(こころ)は、悃切至篤、また加えるべきもの無し。含情抱影の態、穿眼送魂の心、花に声あればまさに泣かんとする。「詩を寄す 花は盛りなりや否や、珍重する恩を知る可し」の句、梅花に寄せる公の和歌と、語は異にして情は同じ。およそこの一篇、公の白菊を愛することの深いことが、詞中に見えるだけでなく言外に溢れる。公の詩を読んでこの篇に及ぶ者で、誰が公の菊を愛することの甚だ深いことを感じない者があろう。また一律の、「客館前に菊の苗を播ける」の章に云う、

  少年愛菊老逾加。(少(わか)き年菊を愛し老いて逾(いよいよ)加わる)
  公館堂前数畝斜。(公館堂前に数畝(すうほ)斜なり)
  去歳占黄移野種。(去歳占(もっぱ)ら黄の野種を移す)
  此春問白乞僧家。(此の春は白きを問いて僧家に乞う)
  乾枯便蔭庭中樹。(乾枯(かんも)便(すなわ)ち蔭(おお)う庭中の樹)
  令潤争堆雨後沙。(令潤(れいじゅん)争いて堆(うずたか)くす雨後の沙)
  珍重秋風無欠損。(珍重すれば秋風にも欠損無く)
  如何酈水岸頭花。(酈水(てきすい)岸頭の花に如何)
(若い時から菊が好きで、老いて愈々好きになった。公館の前に数畝の花壇を斜めに作った。去年は野に自生する黄菊を移植したが、今春は白菊が欲しくて寺の僧に苗を分けて貰った。乾燥を防ぐために庭樹の蔭に植え、雨の後には砂を搔き上げて水につからないようにし、大切に世話をしたので、秋風にも損傷することなく美しく咲いた。有名な中国の酈水の花にも負けないと思うが、どうであろうか)

と。久住の地に花園を開いて花を植えることは人皆為すところである。客居する公館の前に黄白を移植し、庭中の樹、雨後の砂、乾湿の甚だ過ぎることの無いようにするに至っては、その愛は尋常でないと云える。そして公が菊を愛すること、その少時より老年に及ぶ。起句がこれを立証する。また一律、対残菊所懐寄物忠両才子(残菊に対し所懐を詠じて物忠両才子に寄せる)の詩に云う、

  思家一事乱無端。(家を思えば一事も乱れて無端(あじきな)く。)
  半畝華園寸歩難。(半畝の華園も寸歩し難(がた)し。)
  偏愛夢中禾失尽。(偏(ひとえ)に愛す夢中に禾の失い尽きるを。)
  不知籬下菊開残。(知らず籬下(りか)の菊の開き残れるを。)
  風情用筆臨時泣。(風情に筆を用(もち)いて時に臨んで泣く。)
  霜気和刀毎夜寒。(霜気は刀に和(か)して夜毎に寒く。)
  莫使金精多詠取。(金精をして多く詠み取る莫れ。)
  明年分附後人看。(明年は分附の後人に看せん。)
(京都の留守宅のことを想うと、取り止めも無く乱れて味気ない思いです。専ら夜は秩(任期)を終えて喜んでいる夢を見ています。留守宅の籬の下の菊が咲いたかどうかは分かりませんが、その風情を筆にしようとしては時に泣いております。最近は寒さが増して夜ごとに寒さが増して来ました。この地の菊花を詠むのも今年限りです。明年は私の後任の国守が見ることでしょう)

と。これまた私の言の偽りでないことを知るに足る。霜菊詩の一篇、暮秋賦秋尽翫菊応令詩(暮秋に賦す菊を翫んで秋を尽くす応令の詩)一篇、九日侍宴、同賦菊花催晩酔応製詩(九日の宴に侍して、同じく賦す菊花に晩酔を催す応製の詩)一篇、重陽侍宴、同賦菊有五美、各分一字応製詩(重陽の宴に侍して、同じく賦す菊に五つの美有るを各々一字を分ける応製の詩)一篇、対残菊侍寒月(残菊に対して寒月に侍す)一絶句、九日侍宴、同賦菊菆一叢金、応製一絶句(九日の宴に侍して、同じく賦す一叢金から菊を菆る応製の一絶句)、九月尽日、題残菊、応太上皇製一律(九月末日、残菊の題で太上皇に応えて作る一律)、これらの詩の応製に係るものは、詩文の体裁は正に自ずから菊花を賞するので姑らくは措いて言わないが、そうでないものも同様に皆菅公が菊を愛することを立証するものである。菅公が菊を愛することこのようである。しかしながら後人は、たまたま『大鏡』に公が梅花を詠じて和歌を載せたのを読んで凄愴悲切の感に堪えなくて、公はただ梅花を愛するだけだと云う。すなわち菅公の像を画く者は必ず梅花を添え、公を祀る所の多くに梅樹を植えることとなる。公が梅花を愛さないことは無いが、しかしまた公は実に菊花を酷愛した。しかし世は挙って、公の像前に一枝の白菊も献ずる者も無く、そして一千余年に及ぶ。小生は梅花のために喜ぶが、しかし菊花のために悲しむ。すなわち非情の草木にも自(おの)ずから遇不遇のあることを思い、悵(ちょう)然(ぜん)としてこれを記す。秋風に花開く時、我まさに一枝の白菊を公の霊前に供しようとする。公がお悦び玉わるか否かは分からない。辛亥の春、梅花まさに終ろうとする時。露伴学人記
(明治四十四年四月)

注解
・菅公菅原道真:平安時代の貴族・学者、朝廷において式部少輔・文章博士を拝命していたが、それを辞して讃岐の国の国守になって下向する。四年後、宇多天皇に重用されて帰京、寛平の治を支え右大臣にまで上り詰めたが、藤原時平の讒言により大宰府へ左遷され現地で没する。死後怨霊と化し天満天神として信仰の対象となる。現在は学問の神、受験の神として親しまれている。
・東風の歌:「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな」。
・酈水の流れ:南陽の酈県の谷川には源頭の山上に咲く大菊の滋液が流れていて此の水を飲むと長寿を得ると云う。
・将に随う酈水の流れ:酈水の流れに任せて年月を過ごす。
・吏部侍郎:式部の輔の唐名。道真はこの時式部少輔であった。
・金精国:金精とは菊の花のことのようなので菊の花園と訳したがどうだろう。
・三峡の猿の声: 李白の詩「早に白帝城を発す」参照。
・何人折柳樊:楽府「折楊柳」参照。
・禾の失い尽きる:禾+失で秩の字になる。秩は任期のこと。

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