幸田露伴の随筆「蝸牛庵聯話・苜蓿②」
ベルトールド・ラウファーは支那の事に能く通じている。その著わすところの「玉」の書は甚だその研究考証が詳細で、却って支那の著述も及ばないほどで、人を感心させる。それとは別に「シノ・イラニカ」一巻を著わして支那とペルシャの諸物の関係を論じて、大いに両国文明の交渉の跡を明らかにする。説くところは緻密で根拠があり、これまた人を充分に感心させる。苜蓿や葡萄・波稜菜(ほうれんそう)・柘榴(ざくろ)・胡麻や、その他イランから支那に入るものを論じ、又、東方から西方に渡るものを論考する。何れの章も良くて人を啓発することが多い。苜蓿を論じる章では、苜蓿の原産地がイランであることを説き、ギリシャにはメジヤから入り、アッシリアには紀元前七世紀にミソポタミヤにイランから入り、イタリア・アフガン・アラビヤ・パミールなどの諸地方にもイランからこれが伝わったことを云う。そして支那には張騫の手でフェルガナから入ったと詳細に説く。ただ明の李時珍の「本草綱目」に「金光明経に之を塞鼻力迦と謂う」と云う一句が在るのを見て、甚だこれを疑い、論じて云う、「これには少々驚く、私は苜蓿に相当するサンスクリット語のあることを知らない。且つ苜蓿がイランからインドに入ったのは比較的近時のことである。考えて見ても古いインド語に苜蓿に相当する語は無い。どうしてスワルナプラバーサ(金光明経)のような仏典に之の在ることがあろうか。李時珍は誤解している」と。ラウファーの言の通りであれば、李時珍は無益な衒学的一句を記したために批判されたのである。しかしながらこれはラウファーが苜蓿のイランから出たことを主張する余りに、それがインドから出たとする誤解を無くそうとして云ったことで、未だ必ずしも時珍が批判をうけるべきことではない。時珍はたまたま「金光明経」に苜蓿はインド語では塞鼻力迦(サイビリカ)と云うとあるのを見て、これを示しただけである。別に苜蓿の原産地はインドであると云う意味で、塞鼻力迦が即ちこれであると云ったのではない。ラウファーがどうして時珍の誤解であると云うことができよう。しかも時珍がこの一句を記したのは、「金光明経」の大弁才天女品に、弁才天女が三十二種類の香薬を示した中に、苜蓿もその一種類として提示されているのを見て、「釈名」の末尾に之を記筆しただけである。「集解」の中で時珍は云う、雑記によると苜蓿はもと大宛より出る、漢使の張騫が携帯して中国に帰る。と記されていて、明らかにラウファーの云うところと同じである。ラウファーがなんでその文を読まないことがあろうか。いらだつように言を発して時珍を攻めるとは過酷と云うべきである。ラウファーは苜蓿が昔のインドには存在しなかったことに固執し、かつアルフォンス・ドゥ・カンドールの「origin of cultivated plants」に苜蓿はアナトリヤ諸州やペルシャ・アフガニスタン・バルチスタン・カシミヤなどに存在するとあるのに基づいて、ペルシャ北方から拡がってアジャミノル並びにインドから西に移入したとする説を取らないで、インドに苜蓿が耕種されたのは近年であるとする(「シノ・イラニカ」二百九ページ)。時珍の記すところがたまたま自説に反することから、これを斥けたものか。時珍が塞鼻力迦は即ち苜蓿であると知ったのは、実に義浄三蔵が訳出した「金光明最勝王経」巻七に拠る。義浄は弁才天女が教える三十二種類の香薬を記すに際して、訳名の下に一々原語を注記する。思うに薬物の詳細は知り難く、人の誤解を懼れて記したものか。そのため「麝香 莫訶婆伽」、「白及 因達羅喝悉多」、というように記す。その親切を感じるべきである。義浄は年もやや老いて、学もやや進んだ後にインドに入る。そして学ぶこと二十五年して帰る。帰る時はすでに年六十を超え、則天武后が自ら上東門に迎える。高徳の碩学であることが分かる。この義浄が「苜蓿 塞鼻力迦」と記す。私は義浄を信じたいと思う。義浄の前に闍那崛多が在る。原語を記してはいないが同経の訳本の大弁才天女品で苜蓿を挙げている。苜蓿が古代のインドに存在し、「金光明経」に挙げられたことをいよいよ知ることができる。かつまた、塞卑力迦即ちephalikaは同経に一見するだけでなく、唐の天竺三蔵菩提流志が訳した「広大宝楼閣経」の巻中に在る結壇場法品第七にも、所謂安悉、薫陸、悉必利迦 香苜蓿也、栴檀、沈香、多伽羅、蘇合薩羅云々の文がある。悉必利迦と塞卑力迦は字は異なるが同じ語である。また訳者の名は失われているが、「梁録」に付された「牟梨曼陀羅呪経」にも、復次常焼薫陸香、供養諸仏、及焼塞北哩香 苜蓿香、栴檀香云々の文がある。塞北哩香も字は異なるが音は同じなので、塞卑力迦を分かりやすくしたものか。経蔵は博大なので能く探して見れば猶多くの塞卑力迦即ち苜蓿を見つけ出すことができよう。ただし仏教の中に出て来るセパリカは香薬として出ていて、馬の飼料としては出ていない。同類ではあるが或いは異なったものか。この苜蓿はおよそ三種類あるが皆香とするには不足である。セパリカが香とされることを考えると、思うに仏教中のものは馬の飼料にするものとは大いに異なるものであろう。それなのでセパリカが苜蓿であるとしても、強引にラウファーに対抗するのは却って良くないだろう。「大日経」や「楞厳経」や「法華経」等に出て来る兜路婆香を苜蓿香と訳すものがある。兜路婆即ちuruskaとセパリカが同じように苜蓿と訳される時は、セパリカ即ち苜蓿と訳しては危ういものがある。要するに古代インドに苜蓿は無いとするのも強引に過ぎ、同じものが必ず有ったとするのも強引すぎる。猶も後の賢者の実証と詳考を待つべきである。そして「漢書」巻九十六に、罽賓国に目宿有ると記されているのを見れば、フェルガナを南に離れること甚だ遠い罽賓の地に苜蓿が多く繁っていて、漢の知るところとなったことが知れるのである。罽賓は今のカシミヤ(カシミール)である。カシミヤから南はインドの地である。何で当時おいて苜蓿の無いことがあろうか。かつまた香は処理の仕方で生じるものである。蘭草即ちフジバカマなどは、その始めは香りが無い、これを刈り取って陰干しをすると佳い香りが大いに顕われる。苜蓿もまた処理の仕方では香草にならないこともないことを、何で知らないことが有ろうか。(③につづく)
注解
・ベルトールド・ラウファー:ベルトルト・ラウファー。ドイツ生まれのアメリカ合衆国の人類学者、東洋学者、博物学者。「シノ・イラニカ」の著者。
・李時珍:中国・明の医師で本草学者。「本草綱目」の著者。
・金光明経:四世紀頃に成立したとみられる仏教仏典のひとつ。
・釈名:「本草綱目」の中の「釈名」の項目。
・集解:「本草綱目」の中の「集解」の項目。
・アルフォンス・ドゥ・カンドール:フランス系スイスの植物学者で。
・義浄三蔵:中国・唐代の僧。「金光明最勝王経」を訳出。
・則天武后:中国・唐の高宗の皇后であったが、高宗の死後実権を握り国号を周に改めて、中国史上唯一の女性の皇帝となる。
・上東門:宮城の遥か東の方にある城門で洛陽城(洛陽の街)の東北の門
・闍那崛多:北インドのガンダーラ出身の訳経僧。北周から隋の時代に中国で仏典を漢訳した。
・天竺三蔵菩提流志:北インド出身の訳経僧。不空羂索神変真言経を訳す。
・梁録:?
・大日経:唐の善無畏 と一行 の共訳した真言密教の根本経典で、大日如来の説法を編纂したもの。
・楞厳経:唐の般刺密帝が訳出した仏書。禅法の要義を説いた経。
・法華経:大乗仏教の初期に成立した大乗仏教の代表的な経典。