見出し画像

幸田露伴の「努力論➉ 静光動光」

静光動光

 光には静かな光と動く光がある。静かな光とは密室の中の灯(ともしび)の光のようなものである。動く光とは風吹く野辺の焚火の光のようなものである。
 光は同じ力であると仮定する。しかし静かな光と動く光とはその力は同じでもその働き具合は同じではない。室中の灯の光は細字の書をも読ませてくれる。風の中の火の光はかなり大きな字の書でも読み難いではないか。アーク灯の光は強いけれどそれでは新聞は読み難い。室内電灯の光は弱くても却って読み良い。静かな光と動く光とではその働き具合に大きな差がある。
 同じ心の力だと仮定する。しかし静かに定まった心の働きと、動いた乱れた心の働きとでは、大分違うのが事実である。丁度同じ力の光でも、静かなのと動いているのとではその働きに大分違いがあるように。
 散る心、即ち散乱心は、その働きの面白くない心である。動き乱れた心は、例えば風の中の灯のようなもので、これを明るくしても物を照らす働きの面白くないことは、『大論』にも説いてある通りである。
 散乱心とはどういう心であろう。言ってみれば、散乱とは定まらない心で、詳しく言えば二種ある。その一は有時性で、その二は無時性のそれである。有時性の散乱心とは、今日法律を学んでいるかと思えば明日は医学を学ぶ、今月文学を修めているかと思えば明月(あくるつき)は兵学を修めている、というようなことである。無時性の散乱心とは、一時に二念も三念もあって散乱するのである。しかし尚(なお)一層正確に言うと、本来一時は一念なものであるから、長期的散乱心と短期的散乱心と、ただ、いささか時間の長短の差があるだけで、有時無時という事もないのである。何れにしても丁度風の中の灯火がチラチラするように、心が凝然(じっ)と静かに定まっていられないことを云うのである。
 たとえば今数学の問題を考えていて、aだのbだの、mだのnだの、xだのyだのというものを捏(こ)ね返しているかと思うと、眼の方向は、そのa、b、m、nなどの文字を書いた紙上に対していながら、また手にはそれ等の文字を書く為の鉛筆を執(と)っていながら、心は何時か昨日見た映画の有様を思うようになって仕舞って、そしてその映し出された美人の艶めかしく美しい状(さま)などを思うと同時に、それからそれへとその一段の映画の移り行くシーンを辿って、終にはその美人を尾行し付け廻わしていた一痴漢が、小川の橋を渡り損(そこ)ねて水に落ちる滑稽な場面になった時分に、オヤ、自分は今そんな事を想っている筈では無かった。数学を学んでいたのだったと気づいて、そして急に再びaプラスb括弧(かっこ)の三乗はなどと、当面の問題に心を向ける。で、少し又xだのyだのを捏ねている。どうも具合好く解決が出来ない。その中(うち)に外で犬の吠える声を聞くと、アア彼(あ)の犬は非常に上手に鴫狩りをする。彼犬(あれ)を連れて伯父の猟銃を持ち出して、今度の日曜は柏から手賀沼付近を渉猟してみたい。猟銃はどうもグリーナーが使い心地が好いなどと紳士のような事を門前の小僧の身分でありながら思う。犬が尾を振って此方(こちら)を振り向く、引き金に指をかける、犬は一躍する、鴫はパットと立つ、ドーンと撃ち放つ、モウモウとした白煙が消える時には、ハヤ犬がその手柄の獲物を咥えて駆けて来る、という調子にいったら実に愉快だナアなどと考える。イヤ、こんな事を思っていてはいけない。ルートのPマイナスのQはなどと再び数学をやり出す。全てこういうように、心が向うべきところに向うことが出来なくて、チラチラ、チラチラと余事に走って行くのを、気が散ると俗に言うが、この気が散って心の静定の出来ないのを、散乱心と云うのである。
 誰でもある事である。そこで、どうも気が散って思うように仕事が出来ないという事は、ともすれば人の云う事である。つまりは多くの人が体験するころの事例なので、そのような言葉もあれば、また古くからそれではならないなどという教(おしえ)もあるのである。実に『大論』に言ってある通り、このチラチラ、チラチラする心は、あたかも風の中の灯のようで、たとえ聡明な資質を抱いている人でもそういう心では、何に対(む)かっても十二分にうまく仕事は出来ない、物を照らして明らかにすることが出来ない喜べない心の状態である。イヤ、むしろ願ってもそう有りたくない心の状態なのである。今もし剣を執(と)って人と相闘(あいたたか)っているとすれば、一念の逸れると同時に斬り殺されて仕舞う状態ではないか。今もしこのチラチラ、チラチラする心で碁を囲むとするときは、深い読みの手は考え出せないのではあるまいか。イヤ、思わず知らずウツケ千万なヌカリ切って拙(へ)た石を下しそうな事ではあるまいか。数学の問題が解決出来ないどころではない。算数の最も易しい寄せ算をするにしても散る気でもって計算していたら、桁違いを仕たりしそうな事である。とても難解で高遠な道理を説いた書物などは、読んでも散乱心では解る筈がない。三十一音の和歌、二十八字の詩でも散る気で作って良いものが出来る道理がない。まして偉大な事業や複雑な計画や優れた芸術が、気の散るような浅薄な人の手で成し遂げられるだろうか。どうであろう。自然と明らかな事である。
 気の散るのは実に好ましくない事である。多くの学生の学業成績の宜しくない者を観れば、その人の多くは聡明でないためではなくて、散り乱れる気の習癖が有るためなのである。世間の凡人失敗者という者を観察すると、他の原因のために凡人失敗者と成っている者も元より少なくないが、心気散乱の悪癖があるがために、一事も成ることなく寸功も挙がることなく、年を過ごしている者が決して少なくない。気の散る癖などは実に好ましくない事である。
 気の散る反対に気の凝るという事がある。気の凝るというのもまた宜しくないことである。しかし場合により事態によっては、気の凝る方はまだ気の散るのに比べて宜しい事がある。玉突き(ビリヤード)というゲームに凝って気の凝りを致した人などは、往来を歩いていながらもやはり玉突きの事を思って、道路の上を盤と見立てて、道行く人の頭を球と看做(みな)して、此(こ)の男の頭の左の端(はし)を突いて彼(か)の男の頭の右の端に触れさせると、向う側の理髪店の扉に当たってグルッと一転して来て、そしてあそこを行く女性の頭と学生の頭に一時に衝突(ぶつか)って、確かに五点はきっと取れるなどと考える。その考えが高じて、終にはステッキで前の男の耳の後ろを撞突(つつ)くような奇態な事を演じ出す人も時にはある。それ等は皆気の凝りが致した結果で、これも随分困ったものである。しかし凝った方は、悪いと云っても散る方より始末が良くて、芸術などのようなものに凝ったのなぞは、決して最上とは行かないのであるが、それでも何がしかの結果を遺すから、散る気に比べてまだしも良い方である。その代り賭博だの何だのという悪いものに気の凝るという段になると、散乱心でいる人よりも悪い。何れにしても気の凝るというのも、やはり気の散る同様に好ましくない事なのである。
 さてこの散ると凝るとは正反対であるが、あたかも昼と夜とは正反対であるが相呼応し、黒と白とは正反対であるが、白は日々に黒に移行し、黒は日々に白に移行するように、また乾(けん)と坤(こん)とは正反対であるが、乾は坤の分子である陰を招き、坤は乾の当体である陽を招くように、散る気は凝る気となり、凝る気は散る気となるものである。凝る気も宜しくない、散る気も宜しくない。しかし気が凝ったり気が散ったりして、そして碌(ろく)に何事も成し得ないで人生を終って仕舞うのがいわゆる凡人である。恨むべき事である。
 少年の時は誰しも純気である。赤子の時は尚更(なおさら)純気である。歳月が経って欲が生じるにつれて、これも自然の推移だから仕方ないが、純気はその正反対の駁気(ばっき)を呼んで、自然々々と雑駁な気になって来る。少年の時は球が有れば球投げ、羽子(はね)が有れば羽子突き、駆競(かけっこ)や飛競(とびっこ)のような単純な事をしても、心がその事イッパイその事が心イッパイで、そして嬉々洋々として遊びもすれば勉強もしたのが誰しもの実際である。であるが、次第に成長するにつれ誰しも何かに凝り出す。で、欲が心に生じると真気は日々に衰えて気はまた純でなくなるのである。内慾が日々に壮(さか)んになって、外物外境を追随するようになるのである。物が目の前を去っても心がそれを追っている。境が背後になって仕舞っても心がそれに付き随っているようになる。たとえば目の前に球がなくて手の中には羽子を持っていても、球が好きだと心が球を追っており、球の影が心の中に消えずに残っているので羽子を持ちながら球を思っている。これを外物に追随するというのだ。又たとえば学校の一室にいながら、昨日面白く遊んだ公園を思っている。これを外境に追随するというのだ。
 鏡で云えば対(む)かうところの物の影がよく映っていないで、何かの汚れが鏡面に粘りついているような状態になる。即ちこの鏡の上に物のコビリ付いているところが気の凝りなのである。また鏡の全部が明らかでないところが駁気なのである。このようにいよいよ歳月が経(た)っていよいよ純気の徳を失い、明処(めいしょ)もあれば暗処(あんしょ)もある雑駁不純のものとなってゆくのが凡人の常なのである。その有様は、あたかも鏡の上に墨でもって、種々の落書を仕たようになっているのが普通人の心の状態で、その落書はみな得意や失意や憤怒や迷いや悶えや悔恨や妄想や執着などの記念なのである。そして年齢が次第に老いるにつれて、鏡の上は隙間もなく落書で満たされ、その物に応じて象(かたち)を宿す本来のものを明らかに映し出す働きの明処は次第に少なくなり、新(あらた)に学問識見を吸収する作用が出来なくなるのが凡人の常なのである。この鏡面が暗くなって仕舞って、対(む)かうところのもの一切を鏡中に収めることが出来なくなり、即ち鏡イッパイに当面のものを映し取ることが出来なくなるところが、即ち散乱心の有樣なのである。当面の物の影の他に何かがチラチラ映っているところが即ち散乱心の有樣なのである。実に憐れな事なのである。
 人が仕事をする若(も)しくは思索をする時は、自分の心の動きに注意してみて、少なくとも気が散ると知ったならば直さなければならない。散る気の習癖が付いていては何事をしてもよく出来ない筈であるからである。よしんばその人が天祐を受けることが多く、能力が高い為によく事が出来たとしても、散る気の習癖が付いていれば、きっとその人は少なからず苦しみ苦しんで、やっとのことに僅かにその事を成したに疑いない。もし気が散りさえしなければその人は尚それ以上の事が出来たに違いないのである。呉々も散る気は宜しくない気である。
 散る気の習癖の付いている人は、どのような現象を現わすかというと、先ずは第一に瞳がその舍(いえ)を守らない。眼の功徳は三百六十や三千六百とはいかない。三百六十や三千六百ならば完璧な数であるが、眼の功徳は百二十や千二百かである。二百四十若(も)しくは二千四百欠けていて三分の二は見えないものである。この数の譬えは仏教に見えている。そこで眼には動くという事があって、どうやら四方八方が見えるのである。ところでこの動きは即ち心の指す方に動く訳になる。で、心の指向う方向がチラチラ、チラチラとして定まらなければ、自然と瞳はその舍(いえ)、即ち居処(いどころ)を守ることが出来なくて、やはりチラチラ、チラチラと動きたくなる訳である。そこで散る気の習癖のある人は眼がチラチラと動く。さもなければ沈んで動きが鈍くなり、眼は気に置き去りにされて、気だけが忙しく動いている。
 次に散る気の習癖のある人は耳がその完璧を保たないのである。耳の功徳は完璧なもので、四方八方どちらから話しかけられても、必ず之を聴くことの出来るものである。であるのに、散る気の習癖のある人になると、人と対話していてもときどき人の話を聴き外す事があって、その完璧な功徳のある耳が、その完璧な功徳を保ちきらなくなるものである。これは暫く耳が麻痺する訳でもなんでもない。耳に在って声を聞く根本のものがちょっと不在になっているからなのである。眼に在って物を見る根本のものも、耳に在って声を聞く根本のものも、意に在って情理を思う根本のものも、元来種子はただ一ツなのである。その一ツしかない種子が、例の散る気の習慣によって一寸(ちょっと)どこやら変な処に入り込んでいるので、聴く根本のものが居ないのだから聞える訳がない。サアそこで耳がその完璧を保たないようになるのである。人が話を仕終った時分に、へ、何でございます、と聞返すようになるのである。で、その話を聞き外していた間は、何をしていたかとじっくり調べてみると、或いは自分の商売の駆け引きを考えたり、或いは明日の米代の才覚をしていたり、或いは昨日の酒宴に侍した芸妓の振りまいた空世辞(からせじ)を、愚にもつかず悦んだりしていたのである、という事が調べ出せるだろう。「心ここになければ、聞いて聞こえず」なのであるから、いつしか人の話を聞く気になっていられないで気が外へ散る、その為に耳の働きが不在になって仕舞うのである。で、聞いている話も虫が物を食ったようにところどころウロ抜けしたものになるのであるから、首尾貫通前後相応したものとして、明瞭に我が心頭に受取る事が出来ないのである。このようでは、釈迦に面会してその教えを聞き、孔子に手を取って貰って道を学んだところで、何が満足に会得されるだろう。真(まこと)に嘆くべく憾むべきことである。
 次に陰性の人は蝉や蛇の抜け殻のような有様になり、陽性の人は葉が騒(ざわ)めくような、魚が驚いたような状態になり、中性の人は前の二相を共に交えて現わす。陰性の人とは俗にいう内気の人であるが、その人に散る気の習癖が付く時は、身体四肢を少しも動かさなくなって、あたかも蝉の抜け殻か、蛇の脱ぎ殻のように、机なら机の前に座ったきり、火鉢なら火鉢に取り付いたきりになって、手も余り動かさず、足も余り動かさず、活動が殆んど絶えたような状態になって、そして心中では取り止めなくチラチラと種々に物を思っているようになる。
 陽性の人とは俗にいうマメな人、または活発な人であるが、これ等の人に気の散る習癖が付くと、あたかも空中に飜える木の葉かなんぞのように、フラフラと右へ行ったり左へ行ったり、書籍を開いたり閉じたり、急に筆を取ったり鉛筆を取ったり、手の爪を剪りかけたと思うと、途中で戸外へ出たりなんぞする。そうかと思うとまた物に驚いた魚のように、一寸した物音に甚だしく驚いて度を失ったり、或いはそれほど可笑しくもないことに甚だしく笑い出したり、一寸した人の雑言に突然怒ったり、挨拶なしに人の家を退居したりする。それ等は陽性の人がともすれば演ずることで、一口に云えば落ち着きのないソワソワした態度になるのである。
 中性の人は前に挙げた二性の中間の人で、或いは甚だしく座りっきりになったり、或いはまたソワソワするようになったり、時によって定まらないが、要するに陰性陽性の人の現わすところの現象を交え現わすのである。もちろん陰性、陽性、中性の人に限らず、容儀や行動にまで気の散る習癖が付いてしまうと「病(やまい)すでに膏肓(こうこう)に入っている(病が全身に廻っている)」傾向があって、その人に取っては喜べない事である、だからと言ってその悪い習慣から脱することが出来ないかというと、けしてそうは定(き)まってはいない。
 様子が正常でない現象の次に現われる現象は、血の運行が行き渡らないことである。血の運行というものは気と連携しているものである。血は気を率いもすれば、血は気に従いもする。気と血とが相離れない状態が生で、気と血とが相別れるのが死であるくらいだから、気と血とは実に相近接密着しているのである。気力が旺盛という事は即ち血行が雄健ということで、血行の萎靡(いび)は即ち気力の消衰ということである。試みに推察してみれば解る事である。君の気力を盛んにしようとするなら、君の血行を盛んにしてみよ。君は直ちに自分の気力が盛んになったことを自覚するだろう。手近い例を挙げれば、試みに直立して胸を張って拳を固めて頭を擡(もた)げて視線を正しくして、横綱が土俵入りをして雄視するような姿勢を取りそして両手を動かすこと数分、或いは上下し或いは屈伸し或いは打ち或いは引くようにして思うままに力を用いれば、忽ち身は暖かくなり筋が張るのを覚えるだろう。その時は即ち血行盛んな時である。そしてその時の気力はどうであるかと運動を取らなかった前に比較してみれば、必ずや人の言(げん)を待たなくとも悟るところが有るであろう。一つ例を示せば、温浴や冷浴等をした場合もそうである。浴後の精神が爽快になる原因は種々あるが、その主な原因は血行が増進する為に、気が伸び伸びとするのである。血が動けば気が動く、気が動けば血が動く、血と気とは生ある間は相離れないものである。イヤ、一歩を進めて云えば、血が動いている間が即ち気が有って、気の尽きない間が即ち生きているのである。で、血が動けば気が動くから、血行が常時より速くなり血が上がり昂(たか)ぶり成長し強まる。血行が遅くなれば気が下がり沈み萎(かじか)み弱る。気が動けば血が動くから、怒れば血行は速くなる。憂えれば血圧は低くなる。楽しめば血行は水が路面を流れるように整う。驚き怖れれば血行は流水に土塊(つちくれ)を投じたように乱れる。
 このような理屈で気の散る習癖の付いている人は血行が宜しくない。どう宜しくないかというと、多くは血の下降する癖が有りがちで頭部の血が不足し腹部などに集まる。従って顔面は青白か青黒く又は赤黄色く,たまに肺病の徴候のように両頬が美淡紅色をしているのもあるが、先ず大抵は眼の結膜などの紅色も薄く、脳の血量が乏しいことを現わしている。時には之に全く反対に、結膜も殷紅色で脳も充血して、血液が亢(たか)ぶる習慣を持つ者も有るが、これは散る気の正反対の凝る気の働きが現われているので、前にも言ったとおりに反対に引き合うものであるから、散る気の習癖の強い人は、また凝る気の働きを持つ人であるから、たまたま人によってその凝る気の働きの方の現象が現われているのである。
 元来心は気を率い、気は血を率い、血は身を率いるものである。たとえば今自分は脚力が弱くてならないから、健脚の人になろうと希望する時は、一念の心が脚に向う。脚と自分と一気相連なっていなくてはダメだが、先ず普通の状態即ち病態でない以上は、心が脚を動かそうとすると同時に気が心に率いられて動く、そこで脚は自然に動く。云う迄もなく脚と自分と一気通じているからである。ところで健脚法の練習という段になると、ただブラブラと歩くのではいけない。一歩一歩に心を入れるのである。すると心に従って気がそこに注がれるのである。従って血が気に伴って脚部の筋肉に充ちるのである。そこで血管末端が膨脹して、神経末端を圧迫するようになるから、腓(こむら)や腿肚(うちもも)や踝(くるぶし)あたりが痛んで来て、指で之を押せば大いに疼痛を感じることになる。遠足した人が経験する足の痛みも同じことである。それに辟易しないで毎日毎日健脚を欲する猛勇な心を以って、気を率い、気を以って鍛錬を続けると、毎日毎日血の働きの為に足は痛むのであるが、徐々にその痛みが減じて、終には全く痛みを覚えなくなり、何時の間にか血が身を率いて仕舞って、常人に卓絶した強い脚になっているのである。即ち血がその局部に余分に供給され供給された結果、筋肉組織が緊密になって、俗にいわゆる筋が鍛えられて、常人のような脆弱でないものになったのである。それから今度は五キロ、若(も)しくは十、十五キロの重量を身に付けて、そして従来通り一心一気を用いて歩行法を演習するのだ。するとまた脚が痛む。痛むのは即ち血の所為(せい)である。さて月日を経れば疼痛は無くなって、脚はいよいよ強くなる。また重量を増す、また脚が痛む。終に痛まなくなる。脚はいよいよ強くなる。という順序を繰り返し繰り返して、その人の限界になって初めて止む。その間に種々の形式の歩行法を学び尽せば、健脚法の成就という事であるのだ。で、その人の脚は、常人の脚とは実際に物質の緊密の度合いが大いに異なったものとなって仕舞うので、従って常人と大いに懸け離れた力を持つのに、何の不思議の無いことになるのである。いわゆる気が血を率い、血が身を率いてそういう結果になるのである。
 力士が常人に卓絶した体力を得るに至るのも、決して先天的な約束ばかりでそうなるのではない。能(よ)く心を以って気を率い、気を以って血を率い、血を以って身を率いる男が、即ち卓絶した力士になるのである。無論先天的なもの、即ち生まれつきというものが有る事は争えない事実である。しかし後天的なもの、即ち修行というものでどのくらい変化が起るかは、計り知れないものがある。祐天顕誉上人(浄土宗大本山増上寺三六世法主)の資質は愚鈍であった。しかし心を以って気を率い、気を以って血を率い、終に高徳の僧になったのは人の知っている事である。清の閻百詩(中国、清初期の考証学者)は一代の優れた儒者である。しかし幼時は愚鈍で書を読むこと千百遍、字々に心を着けても、それでもよく出来なかったくらいの人であった。しかも吃音(きつおん)でまた多病で、まことに劣等な資質を持って生れていたのである。で、母はその憐れな吾が児の読書の声を聞く度に、言うに云えない悲哀の情が胸に迫って、もう止(よ)してくれ止してくれと云っては勉学を止(や)めさせたというくらいである。しかるに百詩が年齢十五の時の或る寒夜の事であった。例のように百詩が苦労して書を読んでも尚(なお)通じないので、発憤して寝ないで、夜は更け寒気は甚だしく、筆硯みな凍ったのであるが、灯下に堅座(けんざ)して、凝然(じっ)と沈思して、敢えて動かなかった。その時忽然として心が急に開け朗(ほがらか)かになって、門や窓が開け障壁が消え去ったようになって、それからは異常なくらいに優れて、悟りの速い人になったというではないか。自分の書斎の柱に掲題して、「一物を知らなければ以って深き恥となす。人に遭って問う、寧(やす)すき日ある少なし。」と署したというくらいの、学問に就いては勇猛精進の人であったことに照らし考えても、その少年の時の苦労の光景は思いやられて涙の出るほどである。健脚法を学ぶ者が次第に健脚になり、相撲の技を修める者が次第に立派な身体になるのも、勉学する者が次第に透明慧敏な頭脳になって行くのも、少しも怪しみ疑うところはない。心が気を率い気が血を率いれば、血は遂に身を率いるのであるから、脳その物も、脚その物も、身体その物も、皆変化するのであって、そしてどのくらいまで変化するかという事は、小さな人間の知恵では測ることは出来ない、ただ神が之を知っているばかりなのである。ネルソンは英国海軍兵学校の入学試験に於いて、その体格が悪いといわれて落第した人ではないか。例外の事は例にはならないが、これ等の事を思うと無形と有形との関係に、微妙な関連がある事に気付いて、その関連を捉えたいとの思いが誰しも湧かずにはおるまい。
 気と血との結びつきはこのようである。そこで散る気の習癖の付いている人の血の運行は、自然とその習癖に応じた運行の癖を持つだろうし、また血の運行の或る傾向は散る気の習慣を生じるだろう。気が凝れば脳は充血し、気が散れば脳は貧血する傾向がある。もしまた凝ってそして鬱血すれば、鬱血したため気は甚だしく散るが、その散り方は寧ろ散るというよりは乱れるというべきで、煩悶し衝動すること、檻の中で動きまわる山猿のような有様になるのである。普通、気の散る習癖のある人は、血の下降性習慣を持つ人で、即ち脳が貧血状態になりがちなのである。ところで、気の習いとしてその反対の気の習いを引くことは前に言った通りであるから、散る気の習癖を持つ人は、或る時にはとかく脳充血をしたり、即ち逆上したり、或る時は軽い脳鬱血をしたり、即ち頭痛を感じ迷蒙を覚えたりする傾向があるもので、その交替推移する状態はまるで、負債家が即ち乱費家であって、或る時は寒酸貧苦に、或る時は贅沢三昧に定まりないようになる。
 児童の美質のようなものはそうではない。純気未(いま)だ毀(こわ)れない者は、昼間は極(ごく)少しばかり極めて適度に血が上昇している。即ち脳の方は少々余計に血が上っている。暮れてから血が少し下降して即ち脳は極少し貧血する。試みに夜間スヤスヤと美睡する健康な児童の額に手を触れてみよ、必ず清涼である。そして身体は温(あたた)かである。昼間嬉戯した児童の額に手を触れてみよ、夜間とはいささか違っているのを認めるだろう。天地穏やかな時、昼は地気が上昇し夜は天気が下降する。同様に健全純気の児童は、昼は気が上り夜は気が下り昼は陽動し夜は隠静し、そして平穏に霊妙に脳力も発達し体力も成長するのである。児童でなくても教(おしえ)を受けて道を得、年齢は次第に老いても駁気にならない人は、やはり児童と同じく昼は少し血が上へ上り、夜は少し気が踵へ還って、そして身体の調子が整い、そして日夜に発達するのである。
 しかし、幼にしては長じ、長じては老い、老いては死ぬのが運命というものであるから、誰も彼も成長するだけ成長して仕舞えば、純気は次第に駁気になって仕舞う。駁気になって仕舞えば、気は或いは凝り、或いは散る習癖が付くし、またはその他の種々の悪習が付く。そこで気の上り過ぎる習癖が付けば聡明は少し進むが頭でっかちになって仕舞って、激し易く感じ易く、或いは功名にあてられ或いは恋慕に堕ち入って、夜も安らかに眠られないようになる。気の下る習癖が付けば心に定まりがなくチラチラとして、物事取り留(とど)まらずウカリヒヨンとなって昼もまた眠ったりするようになる。借金をしては荒く金を使うというような状態で、或いは凝り或いは散ってそして気の全体が衰えてゆく。人だけではない。死に至るまで発達するものを除いては、獅子でも豹虎でも一切の動物が皆或る程度より以上は少しも発達しないで衰退する。それが自然である。運命である。それが常態である。普通である。平凡である。
 此処に於いて順人逆仙の語が光を放つのである。順であれば人なのである。君達がなにもしないでその通りでいれば、いわゆる「雪は秦嶺(しんれい)に横たわり、雲は藍関(らんかん)を擁(よう)する時」(韓愈左遷の詩・・王維)に至って長嘆息して万事休すになるのである。君は生きていると云う乎(か)、憐れむべし君の持つものは死のみ也である。造物主の操り人形となり手先となって、飽きられた時投げ出されて死ぬのが凡人なのである。純気が駁気になり血行が霊妙の作用を為さなくなり、血行が昼も下降的になったり、或いはまた上昇すれば上昇し過ぎたり、夜も上昇したり、或いはまた下降すれば下降し過ぎたりして、適度な昼夜の醒睡でその穏やかな上下の霊妙作用をするような事は無くなり、そして終に発達が止み、やがて白髪痩顔の人となって行くのが凡人の常態であって、中年からは気が凝り過ぎる習癖が付いたり、散り過ぎる習癖が付いたりするのもむしろ当然であって、当人が自分で仕出かした事と云うよりは、自然の運命に支配されて、気が散ったり凝ったりするのだと云った方が至当なくらいである。当人の心的状態から散る気の習癖になると云うよりは、自然の支配によって散る気の習癖を付けられている、と云った方が適切であるくらいである。換言すれば人の成長するのも衰死するのも、その人自身の意志から成ることではなくて、自然の手が為すことであるのだから、散る気の習癖が付くのも何もみな自然の手がすることである。
 しかしここに「逆なれば仙なり」という道家の密語が有る。人はただ自然に随わされるばかりでなく自然に逆らうことをも許されている。人間以外の動物は造物主の意志に参加する権利や能力を持っていないが、人は太古の原始的状態を永続しなくても良いので、烏が必ず黒衣し鷺が必ず白衣するのとは違っている。ただ単に自然の命令に服従しているのならば、凡人は即ち動物とあまり違わず無駄に一生を終えるだけであるが、聖賢仙仏の教(おしえ)はみな、凡人の常態、即ち人と動物とあまり変わらない状態を超越して、動物でなく、虫魚でなく、赤裸々な裸虫等でもないものになることを、指し示しているのである。造物主の意志に参加する大きな権利や能力を持つ者であることを示しているのである。純粋に自然に随うだけなら人はただ野猿であり山羊である、人の尊い根拠は何処にもない。弘法大師が羝羊心(ていようしん・羝羊は雄牛。性と食に対する欲望のみで生きている)と言われたのは即ちその心である。羝羊は淫欲食欲のほかに何が多く有ろうかだ。
 人は決して羝羊となって満足するものではない。淫欲にも克(か)ち、食欲にも克ち、人の動物と同じ状態を超越して、そして人が動物と異なる状態を発輝しようと努めているのが、人類の血を以って描いた五六千年の歴史である。キリストもこの為に死し、釈迦もこの為に苦み、孔子もこの為に痩せ、老子もこの為に饒舌を敢えてしているのである。人はただ単に烏や鷺のように生れてそして死ぬことを、肯定するものではない。無意識的または意識的に一切の動物に超越し、前代文明に超越し、かつ自己に超越してゆくことを欲しているものである。そして人のその希望は幾分かずつ容れられるのである。即ち造物主が自己の意志に参加することを人間に限って許しているのである。で、人間は小造物主となり得るのである。
 例えて説けば造物主は立法者である。宇宙はその法律に支配されているのである。動物はただ訳もなくその法律に順って画一的に生死しているのである。人類もその或る者、否その多数、即ち凡愚は、ただ之に順って無駄に一生を終えているのである。しかし、その法律に盲従しないで、造物主のその法律の精神を体得し、その法律のどんなものであるかを知り之を運用し、被治者の地位である野猿山羊の群れを超越して、次第に治者、即ち造物主の分身の地位に到達しようと欲しているのが人類の情状で、昔の賢人や哲人はみな幾分かその望みを達し得ているのである。そして造物主は、造物主が人類に与えた野猿山羊的の形骸や機能等、即ち一般動物の持つのと同じ低級約束に対して、或る程度の自由で之を辞し之を脱することを許しているし、一方にはまた野猿山羊等には及びもつかない高級権利、即ち造物主の分身たる権利を人類に与えているのである。そこで、或る人は動物と同じ低級約束の淫欲を辞退し、或る人は食味の嗜欲を辞退し、或る人は耳目の娯楽を辞退し、或る人は怒りや争いを辞退し、或る人は愚痴や愛欲を辞退し、或る人は身命を惜しむ大慾をも辞退している。これ等の事実は古今賢哲の実際に於いて発見するのに難くない事である。皆何れも普通とは違っている。しかしこれ等の人々は多く野猿山羊や凡人が及ばない高級希望を幾分か成し遂げているので、即ち逆なれば仙なりなのである。
 仙というのは露を食し葉っぱの衣を着る者を言うのではない。道理に達した者を指して言うもので、儒教に於いて聖賢といい、仏教に於いて仏菩薩というのと同じく、道教に於いて仙というのである。で、この逆なれば仙なる所から言うと普通の人は、なるほど年齢が老いれば自然と気が雑駁になり散乱する習癖が付いて、再び児童の時のようには成り得ない筈であるが、必ずしもそればかりでなく、気を練り心神を統一して、その悪習を除く事が出来るのである。造物主は野猿山羊にはこのようなことを許していないが、人間にはこのようなことを為すのを許しているのである。そもそもどのようにすれば散る気の習癖を除くことが出来るだろうか。
 さて、それならば、気の散る習癖が付いているのをどうやって改めようか治そうかというと、一旦の負傷でもその治るまでに二日三日はかかる、一旬の病も二旬三旬経たなくては治らない道理であるから、気の散る習癖も昨日今日付いたものなら少しの日数でも治ろうが、このような事はどうも人が打ち捨てて構わず、不知(しらず)不識(しらず)に歳月を経ているものであるから、さて之を改めよう治そうと言ってもどうも簡単にはいかない。相当の歳月を要すると思わなければならない。それでも年齢の若い人は何と言っても容易に治るが、四十から後の人では先ず難しい。よほど当人が発憤しなければならないのである。植物にしても若い木は随分甚だしい傷を負っても直(じき)に治るが、老木が少し傷を負うと、ともすれば枯れたがる。生気というものは若い者には強いが、それに反して老いた者は生気が衰え、いわゆる余気になって、死気が既に萌しているからである。動物は殊に植物と違って、自己の気を自分で調節し使用する権利を与えられている。その権利を乱用して常に気を洩らす事を悦び楽しみ、日々夜々に生気を漏らして仕舞って、そしてそれを尽すので余計に早く生気の枯渇している者が多い。「欲界の神々は気を漏らして楽しみとする」という語が仏書にあるが、天上の神々にも及ばない人間や畜生は、気と血とを合わせ漏らして楽しみとするから堪らない。命は尽きていないが気は既に尽きている者が少なくない。で、そういう人だと随分難儀である。何故かというと散る気の習癖を改めようにも既にその気が尽きかけているのでは、例えば散財の習癖の付いているのを改めてやろうと思っても、改めるにも改めないにも、先ず既にその財が尽きかけているのでは仕方がないようなものである。年齢が若くても余り頼みにもならない。三十才にもならないのに懐炉を借りたがるほど、生気の乏しくなっている人なども随分今日では多い。生まれつきの体質にも因るがこれ等は気を洩らす方が多くて、生み出すのが間に合はないからで、渇しては飲み渇しては飲みして、辛くも支えているのなどは随分困ったものだ。それでもまだ若い人の方は、少しでも自分で反省すれば直ちに立直って来るから良いが、中年以上の者は中々簡単には治りかねるのである。しかし中年以上の者でも失望してはならない。失望は非常に気を傷つけるからである。
 散る気の習癖を治すばかりではない、すべて気の病癖を治そうとする時は例えば偏気の習癖を改めようとするのでも、弛む気の習癖、逸(はや)る気の習癖、萎(しぼ)む気の習癖等を治そうとする等の時にも、年齢の老若に依らず若(も)し気を発揮し過ぎる癖があったなら、先ずそれを改めなければならない。牢蔵玄関(ろうぞうげんかん・出入り口に留めおく)と云って、厳しく気を惜しむことは凡人には出来ないまでも、発揮し過ぎてはもとより種子なしになって仕舞うから甚だ宜しくない。気を漏さな過ぎると怒り易くなる傾向があるが、先ず先ず気を惜しんで惜しみ得る人は幾らもないものであるが、出来る限り惜しんだほうが良いのである。
 元来人は二十才前後までは日に日に発達する。それは生気のする事である。さて発達して殆んど成熟すると生気が次第に中(うち)に溜まって終には外に洩れて、また新(あらた)に生気の拠り処と成るのである。こうして天地の生気は生々循環して已まないのである。そこで一個に取って云えば、自分の一身は天地の生気の容器(いれもの)であって、この容器である自分の身から生気が洩れるのは即ちこの容器を不用にさせるもとで、いよいよ多く洩れるのはいよいよ早くこの容器を無用の物にする訳なのである。もちろん自然に大きな容器に生れて来て、十二分に多く生気を容れることが出来る生まれの者もあり、また小弱な容器に生れ来て元来あまり多くの生気を容れる事が出来ないように定(き)まっている者もある。それは即ち生まれつきとも天分ともいうものであるから、漏洩の多少が直ちに夭寿の分れる根拠とは云えないが、要するに生気を損耗することの宜しくないことは言を待たない。で、あるから、人もし自分を損耗する悪習が強いと思ったなら、先ずは徐々にその習癖を矯めなければならない。しかし急激に之を矯め過ぎると気が鬱屈し旋転し焦り悶えて、ともすれば爆発状態になって怒り易く狂い易くなるので、これは徐々に矯めなければならない。でたらめで節度のない淫蕩な青年や壮年が、突然として自分を新にして厳正に身を維持するようにすると、その挙句は異常な調子の人になることが世には多い例で、甚だしいのになると強く張った弦が急に断裂するように死んで仕舞うのもある。しかし牢藏玄関などということはしようとしても出来ない事であるから、先ずは寧ろ思い切って厳正に自分に克ち、気を漏らすまいとした方が宜しい。出来ない迄も、とにかく気を発揮し過ぎる癖を除こうと企てることである。
 その次には物事の正しい対応を心掛けるもので、散る気の習癖を改めようとする第一着手の処は之をおいて他にはないのである。一体散る気の習癖が付く根源を考えると、運命から言えば人が徐々に発達して来て、そして純気から駁気に移るところから生じて来るのであるが、その当人の心象から言うと、気が散る道理が有るにも関わらず強(し)いて眼前の事に従うところから起って来るのであって、つまりは気の散るような事を度々するから気の散る習癖が付くのである。極々手近な例を取って語るならば、ここに一商人があって碁を非常に好むとする。その人が碁を客と囲んでいる最中に、商業上の電報が来たとする。電報は至急な用件で発信者が発したものと分かってはいるが、碁を打ち掛けているので直ちにはそれを開封しないで、左の手に握ったまま二手三手と碁を打つ。その中(うち)に先方が考えている間などに一寸開封して見る。早速返事の電報を打たなければと思うが、打ち掛けたこの碁も今少時(しばし)で勝負が付くことだから、一局済んでから返事を出そうなどと、やはり続けて碁を打っている。こういう例は少なくない事であるが、これがそもそも散る気の習癖の付く原因の最大の一箇条である。
 このような場合に当たって、その人の気は純一に碁なら碁に打ち対(む)かうことが出来るかというと、元来商業上の電報の価値がどんなものであるか、また之を取扱う態度はどうすべきか知らない筈のない人なので、どんなに囲碁に熱中していても、今、手にしている電報に気をとられないという事はない。そうなると、一方では碁の方へ心を入れ、一方では電報の方へ気を注いでいる。さあそこで気は散らずにはいられない。人というものは一時に二念は懐けないものだから、此の瞬間は碁を思い彼(か)の瞬間は電報を思って、瞬間、瞬間に気が彼方(あちら)へ行ったり此方(こちら)へ来たりする、気を静かに一所へ集中できないのである。で、このような時は碁の方でも意外な見落しや思い違いが出来て、そして結局は負になって仕舞ったり、商売の方は寸時の怠慢からとんでもない損失をしたりするもので、何れにしても余り良い結果をもたらさないものである。
 無論それは散る気というような良くない気でする事であってみれば、面白くない結果になるのは寧ろ当然の理屈であるから、それは此処では論じない事として、ただここで観察すべき事は散る気の起る前後の状態である。前に言った通り気が散る原因が有るのにも関わらず、強(し)いて眼前の事を続けるから気が散る訳なのである。電報を受取ったら直ちに之を開封して、処置を仕なければならないと思いながらも、それを仕ないで碁を打っていれば、どうしても気は電報に惹かれる、そこに気が散る原因が有るのである。そのような事を一度ならず二度ならず幾度となく為(す)る時は、終に一ツの癖になって仕舞って、電報を碁の途中で入手するというような事情がなくても、碁を囲みながら商売上の駆け引きや事件の処理なんぞを考えるようになる。一転しては商業上の事務に携わっていながらも、碁の方の事を思う折もあるようになる。再転し三転しては甲の事を仕ながら乙・丙の事を思い丁の事に当たりながら戊・己・庚・辛・壬・癸の事を思うようになり、終には全く散る気の習癖が付くようになるのである。ここを良く合点すれば散る気の習癖を除く道も自然と明らかなのである。
 それならどうやって気の散る習癖を除くかというと、元来散る気は、為すべきことを為さないで、思うべき事を思わないで、為すべきでないことを為し、思うべきでない事を思うところから生じて散乱するのだから、先ず良く心を治めて意を固くして、思うべきところを思い、為すべきところを為そうと決意し決行するのが、第一着手のところである。前に挙げた例で言えば碁を囲みかけているところへ電報が来たなら、その電報の処置をするのが即ち為すべきところなので、そういう大切な用事が有るにも関わらず碁を囲んでいるのは、即ち為すべきでない事を為しているのであるから、電報を入手した時にはズイと立って碁盤の前を離れて仕舞って、そして事務室の内なりへ入って、その電報を読み之をどうするかと考慮し、それからその返電なり何なりとるべき処置をして終って、それから再び碁を打ちたければ碁盤の前に座し、全幅の精神を以って碁を囲むが宜しいのである。
 散る気の習癖が既に付いている人は、一寸(ちょっと)こういうように全ての事を、してゆく事は出来難いものであるが、先ず小さな事からでも良い、第一着手のところは為すべきことを為し、為すべきでないことは為さない、思うべきことを思い、思うべきでないことは思わないと決意決行するのに在る。食事を仕ながら書を読み新聞を読むなどは誰しも為(す)る事であるが、実は良くないことで、それだから碌(ろく)な書も読めず、かつまた一生芋の煮えたか煮えないかも知らずに終って仕舞うのである。食事の時は心静かに食事をして、飯が硬いか軟らかいか汁が辛いか淡いか味はどうであるか、煮魚(にざかな)は何の魚であるか新しいか古いか腐りかかっているか、それ等の事がすべてハッキリと心に映るように、全気全霊をもって食事をするのが良いので、明智光秀(戦国武将、織田信長の配下)が粽(ちまき)の茅(ち)を除かずに食らったのなんぞは、正に光秀が長く天下を持つに堪えない事を語っていると評されても仕方のない事である。俳諧連歌の催しをしている商人が、俳諧連歌の最中に商用の生じたのに遇った時、昔の宗匠が、「商売の御用を済ませられて後、また連歌をされるが宜しい」と言ったのは実に面白い。流石(さすが)に山崎宗鑑(戦国時代の連歌師・俳人)である。一短句一長句でも散る気では出来ないものであるから、用事を済ませて後に句案に耽らせようとしたのは、正(まさ)に人を教える本来の道を得(え)、かつ佳吟(かぎん)を得る本来の道を示しているのである。粽はその皮を取って食べるのが良いくらいの事を知らない者はないのであるが、粽を食べながら気が散って心が他所(よそ)へ走っていたので、例え三日にせよ天下を取ったくらいの者が、愚か者のような事をしてしまう。光秀は偉いには違いないが、さだめし平生も此の事に対(む)かいながら彼(か)の事を思い、甲の事を為しながら乙の事を心に懐いているというような、散る気の習癖が付いていたものらしい。本能寺の溝の深さを突然に傍(かたわ)らの人に問いたというのも、連歌をしながら気が連歌にイッパイにはなっていなかった証拠である。このような調子だったから光秀は敗れたというのではないが、このような心の状態は光秀に取って決して良い状態ではなかったのである。その胸中の煩悶を推測(おしはか)るべきである。不健全だったである。光秀の為に悲しむべきであったのである。しかし前にも言った通り、これもまた気が散る理由が有って散ったので、光秀も信長の為に忍び難い凌辱を加えられ、その為に心がその事を瞬時も離れる事が出来なくなっている。それなのに粽を食べたり連歌を試みたりしても、どうして心が粽を食べることにイッパイになったり、連歌を試みる事にイッパイになったり出来るだろうか。ウッカリして粽の皮を剥(む)かずに食べたり、連歌をしながらヒョンな事を尋ね出すのも無理ではないのである。そこでこれ等の道理に基づいて考えれば、散る気の習癖を除くべきであるのは自然と明らかである。
 先ずは第一に為すべき事があれば、為して仕舞うのである。思うべき事があれば思って仕舞うのである。為すべきでない事、思うべきでない事は捨て去って仕舞うのである。そして明鏡の上に落書だの塵埃(ほこり)だのの痕を留(とど)めないようにしたその上で、サアしようサア思おうと事に打ち対(む)かうのである。そうすれば「鏡浄(きよ)ければ影は自然に鮮やか」な道理で、対(む)かうところのものが自然に明らかに映るのである。気は散り乱れないで全気で事物に対する事が出来る訳である。そのように心掛けて何事によらず一事一物をハキハキと片付けて仕舞うのである。最初は非常に煩わしく思うものであるが馴れればそれ程でもないもので、例えば朝起きる、衣服を更(か)える、夜具を畳む、雨戸を繰り開ける、灯を消す、室内を掃除する、洗面をする、というように、着々と一事々々をキチンと取り行ってゆく、訳も造作もない事である。
 だが、それがチャンと出来るようになる迄は少し修行がいる事で、口で言えば何でもない事であり、行(や)ってみても容易な事ではあるが、さてそれならば皆出来るかというと、誰もあんまり良くは出来ない事であって、夜具を畳むにしても丸めるように畳んだり、室内を掃除するにしても塵(ちり)の残るように掃除したり、洗面をしながらもう他の事を考えたりしているものである。為(す)る事が一々徹底するように出来な勝ちのものである。そこで一生四十才五十才になっても箒の使い方一ツ知らずに過ごして仕舞うのが誰しもの実際で、一室の掃除なぞは出来なくてもそれならそれで、陳蕃(中国、後漢の政治家)のように天下の掃除をするくらいの偉物(えらぶつ)ならばまた良いが、天下の事はさておき、ヤッと月給取りくらいで終るのが我々凡人の大概なのである。これ皆何事をするにも一々徹底するようにと心掛けないからの事で、全気全念で事を為さないからなのであるが、若(も)し全気全念で事を為せば、いくら凡庸な我々でも部屋の掃除ぐらいは四十五十の年齢になる頃を待たなくとも、二週間か三週間もする内には上手になる筈で、せめて塵戻りのするような箒(ほうき)の使い方はしない筈である。
 秀吉がまだ下の役にあった時、信長に仕えて詰まらない価値の低い仕事をさせられていたことは、人々の知っている事であるが、その秀吉がどのようにその仕事を取り行ったかという事を考察する人は少ない。どんな詰らない事でも全気全念で秀吉は之を取り行ったに違いない。で、その点を信長が見て取って段々に採用したに違いない。我々が夜具を丸めて畳むような遣り口で秀吉が仕事をしたならば、信長は決して秀吉を抜擢しなかったろうと思われる。思うに当時秀吉と共に価値の低い仕事をさせられていた多くの平凡な者達は、定めし今日我々が日常に行っているような所謂(いわゆる)「宜い加減に遣りつける」遣り方をしていたに違いない。それらの人達は、何事も一々徹底するようにと心掛ける心掛けを持たないで、即ち四十五十の年齢になっても箒の使い方一ツ卒業しないような日の送り方をしていたために、一生その低い地位を通過する事なく終ったものであろうと想像してもそう間違はなさそうである。
 そうであれば小さな事をするにおいて小さな事だと軽んじるのは、自分の心を尊ばない基なのである。詰らないものは歪み曲って映っても構わないというのは、鏡に対して懐くべき正しい考えでは無いではないか。詰らないものでも明鏡ならば良く映るのである。孔子さまは何を為(な)さっても良く御出来だったという事実がある。太宰が「先生は聖者か、なんと多能であることか」(論語、子罕第九の六)と云ったのは、全く孔子が何を為すにも、之を良くするところを認めて感じて云ったのか、ひそかに軽蔑して云ったのか知らないが、孔子がそれに答えて、「イヤ吾少(わか)きとき賤しかりき、故(ゆえ)に多く鄙事(ひじ)を能(よ)くするのみ、君子は多ならんや、多ならざるなり」と謙遜して言われているが、鄙事即ち詰らない事を能くされた事に照らしてみても、孔子のような聖人が何事にも全気全念全力で打対(うちむ)かわれたことが明らかに推察出来るではないか。
 詰らない事などはどうでも良いと、詰らない事も出来ない癖に威張っているのは凡人の常で、詰らない事まで良く出来て、そして謙遜しておられるのが聖賢の態度である。飜って思うのは、その詰らない事が良く出来るのは全気全霊で打対(うちむ)かわれるからで、我々の分際でさえ詰らない事なら、少し全気全霊で打対かえばたいてい出来るものなのであるから、聖賢の才能で之をするとすれば訳も造作もなく出来る筈なのである。そしてその詰らない事にさえ全気全霊で打対われる健全純善の気の習慣は、やがて輝かしい功績や恩恵を成し遂げられる基なのである。一方、凡人が詰らない事さえ良く出来ないのは、即ち何も出来なく終わる原因なのである。全気全霊で事に従うのは儒教に於いては「敬」というのが即ちそれで、全気全霊を保とうとするのが道家の「煉気」の第一着なのである。であるから、訳も造作もない日常の小さな事が、チャンと出来る迄には少し修行がいるのである。しかし一度手に入れば忘れようとしても忘れられないことは、丁度一度水に浮かぶ事を覚えると、水に入りさえすれば自然に浮くようなもので、掃除なら掃除に一度徹底して仕舞うところまで行けば、もう煩らはしい事はなく自然に良く出来るのであるから、案外面倒な事ではないのである。朝起きてから夜半に寝るまで、すべて踏み外しなく全気で仕事が出来れば、それこそ実にたいしたものであるが、そうは行かないまでも、机の前に座して難しい問題を考える時ばかりを修行と思わずに、一挙手一投足、お茶一杯飲むところにも修行の場は有ると思ってみると、嘘でも何でもない、何人(なんびと)といえども六七日乃至(ないし)八九日で必ず一進境を見出せるだろう、イヤ少なくとも小さな事の三ツや四ツは徹底することが出来るだろう。
 手近い例を挙げれば、暗闇(くらやみ)に脱いだ我が下駄は暗闇で穿(は)けるのが当然だが、全心で脱がなかった下駄なら急に頭を使っても巧(うま)く穿けないのである。しかし下駄を脱ぐ事に徹底すれば、何時でも暗闇で穿けるので頭を使うには及ばないのである。机上の整理に徹底すれば、文房具の置き合わせの位置などはどう変化しても自然に整頓するのである。室内が清楚で有り得るか有り得えないかも少しの日数で徹底し得るのである。芸術となれば碁や将棋のようなものでも奥の深いものであるから、二週間や三週間では入口丈でも覗けないけれど、日常の小さな事などは誰しも直ちに徹底する事が出来るのである。そこで一ツでも二ツでも何か突き貫いて徹底し得たと思った時は、全心で事に当たれば何(ど)の様な光景で何の様な結果になるかということを理解して、そして瞬間々々秒々分々、時々刻々に当面の事を全心で遣りつけて行く習慣をつければ、何時の間にか散る気の習癖は脱けて仕舞うのである。
 電報を握りながら碁を囲んだり、新聞を読みながら飯を食べたり、小説を読みながら人と応対したりするような事は、聡明な人がともすればやる事であるがどうも宜しくない、悪い習慣を気に付ける傾向がある。聖徳太子が数人の訴訟を一時に聴かれたなどという事は希有例外の話で、決して常軌では出来ないのである。学んではならないのである。学べば必ず鵜の真似の烏となるのである。為さねばならないこと、思わねばならない事が有れば、直ちにそれに取り掛るが良い。それは気を順当にする道であるから、そうすれば自然と気は順当に流れて散ることは無くなる。してはならないこと、思ってはならない事が有ったなら、直ちにそれを放棄するが良い。それは気を確固にする道であるから、そうすれば気は確かになって散ることが無くなる。しかしこの放棄ということはなかなか難しいので、先(ま)ず為さなければならない事の方に取り掛って気を順当にするのが宜しいのである。そして一着々々に全気で事を為す習慣を付けるのが肝要である。二ツも三ツも仕なければならない事が有ったなら、その中で最も早く出来、かつ最も早く仕なければならない事を選んで、自分はこの事を仕ながら死んでも可と構え込んで、悠然と従事するが良いので、そして実際寿命が尽きたら、その事の中途で倒れても結構なのである。全気で死ねば即ち「尸解(しかい)の仙 (死体から抜出て仙人になる) 」なのである。ところが全気では病気などは中々出て来ない。「人二気あれば即ち病む」とは隋の王子の名言であって、二気になると病気になるが一気では病気にならない。戦争に出て却って丈夫になった者がどれほど多くあるか知れないし、有能な禅僧などは風邪にも余りかからないという面白い現象が有る。
 散る気の習癖を除く第二の着手の処は趣味に順ずるのである。人には各々その因・縁・性・相・体・力があって、そして後にそれが発揮されるものであるから、云わば、先天的の約束のようなものが有ると云っても良い。「一飲(いちいん)一啄(いったく)もまた前定である(飲み食いのような小さな事までも予め運命で決まっている)」という語が有るが、それほどまでに運命を信じ過ぎても困るが、先ず先ずどうしても好き、どうしても嫌いなどという事も無いではない。画を描くのは親が禁じても好きな者もある。病人いじりをする医者になるのは、親兄弟が勧めてもどうしても嫌いだという者もある。僧侶になりたがる者も無いではなし、軍人を乞食より嫌う者も無いではない。それは各自の因・縁・性・相・体・力なのであるから、傍(はた)から之を強(し)いることは出来ないし、当人自身にも之を強いることの出来ないところがある。年齢の若い者の一時の好悪などは余り深く信ずるに足りないけれども、趣味の違いということが在る事は争われない事実である。
 今ここに画を描くことを非常に好む者が有って、その者が親兄弟の勧めに従って自(みずか)ら励んで自分の好まない僧侶になろうと志(こころざ)して、厭々ながら『三藏』(仏教の典籍)に眼を曝(さら)すとすると、どうしてもその気が全幅を挙げて宗教の事には対(む)かわないで、自然と絵画の方へ赴(ゆ)きたがる傾向が有るものである。このような者を強いて仏学なら仏学をさせると、表面は良いようでもやはり最善の極致にはならないものである。何故ならばそれは絵を好む遺伝などがあり、絵に強烈な趣味を持つようになった幼時の特殊な出来事などが有り、物品景色の象(かたち)を写し取るに巧みな天性を持ち、他の職業には適さないけれども画家として適する体質や筋肉の組織を持ち、手中で巧妙で均整な線を描く力や、微妙な色彩の違いが解る眼の力などがあり、物象のポイントを捉える作用を会得しているものとすれば、その人は自然と画家であるべき運命を持っているようなもので、換言すれば僧侶になるべきではない運命を持っているようなものだからである。その様な人が強いて宗教を修めるとするとどうしても気は散るのであるが、そういうのは散る気の習癖が付いている人に甚だ酷(よ)く似ているけれども、実は気の散る習癖が付いているというよりも、他の事に気が凝っているのであると云った方が適切なのである。で、そういう人を強いて宗教なら宗教の方へ心を向けるように修行させれば、修行をするだけの効果が顕われない事はないが、しかしそれは寧(むし)ろ愚な事で、もしそういう場合で気が散るならば、それは寧ろ趣味に随順して思い切って宗教の事を棄てて、そして好むところの画技ならば画技に心を委ねて仕舞う方が良いのである。散る気の習癖は自然と除けるのである。
 前に述べたような場合でなくても義理の上からどちらを取っても良い事なら、すべて趣味に随順して不興不快の事を棄てる事は気を順当にして、かつこれを養う上に於いて非常に有力な事であり、間接に気の散る習癖などを除く事にどれ程の効果が有るか知れないのである。芝居の好きな者は芝居を観、相撲の好きな者は相撲を観、盆栽いじりの好きな者は盆栽をいじるのが良いのである。趣味は気を涵養して生気を与え、かつ順当に発揮させるためには大有力なものである。之を喩えれば、硫黄の気を好むナスのような植物に硫黄を少しばかり与え、清冽の水を好むワサビのような植物に清冽な水を与えるのは、即ちナスやワサビを立派にしてその本性を遂げさせる根本なのであって、ナスはナスの美味の気、ワサビはワサビの辛味の気を、その硫黄や清水から得るのであるから、人の趣味に順ずる事は気の上からは非常に有力な事なのである。若(も)しそれを趣味に順じないでナスに清冽の水を与え、ワサビに硫黄を与えるような事をすれば、二者の気は各々(おのおの)萎靡して、共に不出来の結果を現わさずには終らない。本来趣味は生まれつきの性格から生じて来るものなのだから、之に順ずるのは非常に緊要なのである。山水に放浪するのを好む者、美術を鑑賞して悦ぶ者、狩猟を快とする者、みな各々異なった事で各々異なった作用をするが、生まれつきの性格に適する事なら何でも順じたほうが良い。但し気を耗(へ)らし、気を乱すものはよろしくない。淫事、賭博等は、人の性質によっては殊に之を好む者もあるが、如何に生まれつきの性格だといっても之を気ままにすれば、気は耗(へ)って、気は乱れるから、節制し禁圧しなければならないのは勿論である。
 気と血の関係は前に略説したが、その点から生じる道理で散る気の習癖を除く第三の道には、血行を整理するという一箇条が有るが、これは今ここでは説かない。なぜなら生半可(なまはんか)に血行の事などを文字言語で知って之をいじり廻しては、悪い結果を来たさないとも限らないからである。ただここに挙げておくのは、酒類は良い効果が得られる時以外は血行を乱すので用いない方が宜しい事、呼吸機能を完全に遂行する事、唱歌吟詠は血行を促進するのに霊妙な作用がある事等の数点に止(とど)める。
 要するに血を以って気を率いてはいけない、気を以って血を率いよ、気を以って心を率いてはいけない、心を以って気を率いよ、心を以って精神を率いてはいけない、精神を以って心を率いよ、である。血を整えて気に資し、気を煉って心に資し、心を澄まして精神に資せよ、である。血即ち気、気即ち心、心即ち精神で不二不三である。気の悪習の中、散る気の習癖は、先ず目前の瞬時にその因を除けというのである。小さな事の実行を積み重ねて、自分で気の消息を知れというのである。このように修行すれば二三週にして直ちに真着手の処を知ることが出来るというのである。(努力論⑪につづく)

いいなと思ったら応援しよう!