幸田露伴の小説「望樹記③ トネリコ」
隣家の庭も惨憺たるものであった。庭が広く樹が多いだけに、倒れるものや根こそぎにされるものも多く、銀杏(イチョウ)や椎のように悲叫しながらも踏み堪えているものも見えて、少しの静止も無い千状万態の動揺は、ゴーッという風の音の中に紛乱の限りを尽くしていた。その中でフト目についたのは彼の樹であった。その時彼の樹は緑葉も残り少なに吹きもぎられて、他の諸樹と同じく風に揉まれて漂うような姿を空中に現わしていた。ただその風に対して自ら衛(まも)る巧妙な態度が著しく私の注意をひいた。丈の高い割には太くない樹幹がスラリと伸びた工合、ズイズイと上向きに出た枝が間伸びをして細く長い状態、そしてその姿から生じるスラリとしなやかな中に堅靭なところがある有様は、枝が皆下垂してそして狭く長い葉もまた下垂する柳とは異なった、一種の面白い風貌を猛風の中に現わしたのであった。
アア、あの樹がその樹であったに違いない。と思うと、今までウッカリ気が付かずに過ごしたのを不思議に感じもして、また何となく懐かしい・・深山幽谷の旅の同宿で一つ火からタバコを吸った名も知らない人が、立派な風采で通るのに丸の内で出会ったような、甚だ淡いけれども悪くはない感じがした。そこで、更に注意してその樹を見ると、楢(ナラ)のような椚(クヌギ)のような葉形をしていて、細い枝は青味がある。別に取り立てて言うほどの奇趣も妙致もあるのではないが、ただ他の諸樹が猶(なお)一昨年の傷がいまだ残るのに比べて勢い好く、そして芽出しの少し早いことが大いに人の目を惹いて、その新鮮な緑が如何にも野趣を帯びてのびのびとさせていて、自分に爽快感を起こさせるのであった。
ハテ、何んという樹だろう。楢というものは甚だ種類が多くて、小楢(コナラ)も楢も椚も皆楢の種類だが、これも或は楢の類だろうか。ただ木肌の様子が少し異なっているようである。などと思ったけれども、隣庭とは小溝一つ隔てているし、アチコチ破れているが生け垣がその名残を留めているので、樹下に行って仔細に視ようともしないで終わってしまった。
その日はそれきりの事で済んでしまった。が、翌朝また小庭をぶらつくと、またその樹が眼に入った。そこで自然に一種の感を懐いた。その感は若い時フトした事の拍子から眼に留まった女に、また次の日も遇い、またその次の日も遇うと、ただそれは何でもない感じではあるが、まんざら初めて行き遇った人を見るような心持もしないで、何者であろうか、と位は思うものである。それと同じように、何んという樹だろうかと自然と湧いた感じであった。幸いにして自分は曽(かつ)て京都の知人から斎田博士の著の植物書の便利なことを教えられて購入して持っている。その書によって自分は自分が初めて遇った植物の名を知ったことは一二度ではない。流石に科学の書であるから、その確実さは、自分が自分の乏しい知識から初めて遇った人の系統を推測する確実さなどの比ではない。で、その樹の花や葉を手にする時があったら、あの自然分類の索引表によって、何んというものであるかを知ろうと、久しく書架に埋もらせた彼の書を想い出して、ボンヤリと無意識に少時(しばらく)立っていた。
その時、つい近距離の処から思いがけず声を掛けられた。ハッと思って声のした方を見ると、それは隣園の管理を任されている老植木職であった。職柄とは云え齢の割にはまだ元気で、身体は徐々に枯びているがまだ力も衰えず、矍鑠(かくしゃく)として能(よ)く働く、それのみならず一体に善良で、そして確りしたところのある好いお爺さんである。そこで日頃子供たちがお隣のお爺さんお爺さんと呼んでいるので、つい自分までがその名を覚えていないで、おじいさんと呼んで、時々は些細な用事を頼んだり、垣根越しに挨拶を交わすことがあるそのお爺さんだったので、
「ヤ、お爺さん、好いお天気ですネ。」
というと、
「然様(さよう)でございます、まことに好いお天気で。」
と、古風な人の挨拶は真率(しんそつ)で、打ち解けても礼儀正しい。自分は早速この老人に問い質(ただ)しさえすれば、斎田博士の著書の御厄介にならなくてもと思ったので、
「お爺さん、今私は彼の樹を観ていたのですが、あれは何という樹です。若葉の様子が一寸気持ちの好い樹ですネ。」
というと、お爺さんは何処にそんな樹が有るかというように一寸疑ったような風をしたが、自分の指さした方を見て、やがて心底からおかしそうに笑いだして、
「あれでございますか、ナニ旦那様、あれはトネリコというやくざな樹で、お褒めになるようなものではございません、つまらないものでございます。」
と、さもさも下らないものを態(わざ)と面白がって褒めでもしたように打ち笑った。その顔には明らかに自己の感情を偽らない無邪気が見えて居った。
「ハハア、あれがトネリコという樹だったの!でも好い樹のように此処からは見えるがネ。」
と云いながら自分は胸の中で、トネリコという樹を目の前に知ったのは今日が初めてであるが、トネリコという名は前から知っていたと思った。お爺さんは猶笑いを湛えながら、
「ナーニ、葉っぱが景気よく出ているだけの事で、見どころも何も別に有りは致しません。一体こんな庭の中なんかに有る筈の樹ではございません。あれは性の強いばかりが能で、どんなにしても枯れるなんということを知らないものですから、旦那様などは御承知が無いかも知れませんが、よく田舎では田の畔(くろ)なぞへ植えて置きまして、杭の代わりにするものでございます。秋になって稲の懸干しということを致します。刈った稲を直ぐに取り入れませんで、竿に懸けてしばらく日に乾かして置きますと、籾の品質が良くなるものでございますから、農作を大事にいたしますところでは、皆その懸干しをいたします。その時その為に一々杭を打って横に竹竿や細い木を縛りつけましては、毎年の事でございますから面倒でございます。そこで彼の樹を田の畔に植えて置きますと、水の近い狭いところでも何でも屈せずに生きている奴でございますから、生杭に致して毎年使うのでございます。それにまた他の樹でございますと、生杭にして使うのは宜しゅうございますが、丈が成長して枝葉が茂れば、お日様の光を奪いまして、大きな蔭を田の中にこしらえますから、肝心の稲の為に宜しくございません。と申して、枝も切り払い幹も胴切りに致しますれば、ハンノキでも何でも衰(くだ)ってしまいます。ところが彼のトネリコは馬鹿ッ木でございますから、邪魔な下枝を取ってしまいましても、宜い加減のところから幹を切ってしまいましても、別に枯れも致しませんで生きているのでございまして、棒杭のようにされながらその頭のところから気息(いき)を吹いて居りまして、毎年毎年、荷を背負う役目を致して居ります。お気をつけなすって松戸辺り彼の辺の田を御覧なさいますれば、いくらも房楊枝を押立(おった)てたようなおかしな風をして田の畔に立っています樹がございます。あれが皆あの樹でございます。何のことはない生杭に生まれついているような奴で、随分ふびんな馬鹿ッ樹でございます。ですからこの屋敷にありますいろいろの樹は、一昨年の空ッ風以来、おまけに水は近し、煤煙は有るしで、どれもこれも勢いの好いものは有りはしません。その中で彼の樹ばかりは平気で居ります。」
と、こう一気に語った訳ではないが、自分が段々と会話を引き出したので、お爺さんは詳しく講釈をしてくれた。
で、いろいろトネリコの話を聞いた後に自分は笑いながら、
「そんなに強い樹なら矢張り好い樹じゃあ無いですか」
というと、お爺さんは、
「それでも強くさえ有れば好いという訳なら、草ではヒユ(ひょーと発音する)が好いようなことになりますが、草には旦那様も閉口なすっていらっしゃるではありませんか。」
「ハハハ、ヒユには旦那様も大閉口さ、もうそろそろ出て来て威張り始めるだろうが、全くあれには恐れ入る。しかしトネリコは田の畔で生杭にされるなんて、役にも立つし、樹ぶりも悪くは無いように思う。いろいろの樹が弱って行くから、私はトネリコでも植えようかと思う。」
「ハハハ、いくら風雅な方でも、トネリコを庭へ御植えになったということは聞いたことがございません。しかし松も杉も、梅も檜も、好い樹は何でも育たなくなりましたから、向島で栄えるのはトネリコ位になったかも知れません。椿の樹さえもこの頃はどちらのも梢(うら)が枯れて衰勢(くだり)になっている位ですから。」
「それじゃいよいよトネリコの天下になる訳だネ」
「何でも好いものは弱くて、悪いものは強うございます。お宅の菊でも好いのは弱くて、バラでもボタンでも好いものは消え易いではございませんか。いやなことですナア、向島もトネリコの世界になるなんて、冗談にもそんな事を仰(おっしゃ)るのは。」
おもうにお爺さんは大分苦労をして来ている。世の中というものは何んなものだということを知っているのである。歎息を発したのも日頃胸中に慨然(がいぜん)たるものがあるからであるかも知れない。
それでも自分はトネリコをそんなに詰まらないものとも感じないので、逆らう訳ではないが、
「ほんとに然様(そう)いえばそんなものだネ。しかし世間には、好いものは弱く悪いものは強い、とは云わないで、強いものが好いもので弱いものが悪いものだ、というように云う人もあるから、して見ればトネリコなんぞも好いものかも知れない。」
「ヘエーッ。」
と訳が分かったか分からないかは知らないが、お爺さんは大いに納得できないという調子で答えた。心中平らかでないものがあったに相違ない。けれども流石に世に老いて居るので、直ぐに心機を一回転して、これは自分が今トネリコに好奇心を動かしているか、或いは軽い愛着をもっている為にそんなことを云うのだろうと考えたと見えて、
「とにかく感心した樹じゃないと思いますが、強いことは強い樹です。どんな質(たち)のものか御覧になりたいと御思いならば、ひとりでに殖えた細っこいのがありますから、引っこ抜いて差し上げましょう。裏庭へでも御植えになって御覧(ごろう)じませ。」
と云って呉れた。
「ハハハ、そんなにトネリコに執心という訳でも無いが。」
と笑った。お爺さんも、
「ハハハ、ま、御免下しまし。」と、一寸会釈をして、老人は老人自身の仕事を働き出した。
その日はそれだけの事であったが、夕方になって心長閑(のどか)な晩食の膳に対(むか)った時、フトまたその樹のことを思い出した。先ずトネリコという言葉はどういうことだろうと考えたが、何の考えつきも無かった。夫木抄(ふぼくしょう)にはリョブだの、ツマダだのというのが有ったが、トネリコも有ったか知らん、どうも無かったようだナと思った。貝原益軒や小野蘭山の本草書(ほんぞうしょ)で、一度出会ったことが有るには有るのかも知れないが、それは巡査が戸籍調べをしたと同様で、年月の立った今になっては何も覚えてはいないし、それらの本も今は持っていない。ハハア、して見れば自分はトネリコに対しては全く無知で、自分の世界には彼の樹は無かったかも知らないと思った。が、それでも猶トネリコ、トネリコ、トネリコと心の歯で噛みながら食事をしていると、秦皮(しんぴ)という字を何時誰に教えられたか何の書で覚えたか知らないが知っていて、それがトネリコであったと思い出した。皮は橙皮(とうひ)陳皮(ちんぴ)の皮のような皮に違いない。秦はどういう義だろう。秦の国、秦の始皇、秦吉了、秦少游、秦嶺、秦檜、秦鏡、などとやたらに秦の字のあるものを考え出しても、何も考えの付けどころが無い。それから秦の字の意義を考えて見たが、得るところも無い。何しろ秦皮というのは、薬用か雑用になるところから彼の樹の皮を呼んだ名で、樹の名ではあるまいと想像したが、さてそれならば樹の名は秦でなければならない。ところが秦では合点が行かない。で、秦の字に木偏をつけて見ると榛の字になる。榛はハリノキで、似てはいるが異なった樹である。草冠をつけて見ると蓁の字で、蓁々(しんしん)は葉の勢いよく茂るすがたであることは、桃(とう)の蓁々で思い出された。彼の樹の葉の様子から来た名かも知れないと、拠りどころも無い想像をしたが、自分でも愚だと笑った。同韻らしい字を考えて、林(りん)だの森(しん)だの椹(じん)だの檎(きん)だの梫(しん)だのという字に移して考えて見ても何も考えられない。どうも榛の字が気になって、また考えて見ると榛蕪(しんぶ)などという字面が思い出されたので、つづいて榛という字には、もしゃもしゃと樹の生えた状があることを思い、榛原(はりはら)という和歌の詞を思い、そこで蓁々の蓁の字と通ずる意味があることが考えられたが、それにしても何の得るところも無い。椹は桑の実で、何の関係も無い。梫(カツラ)は山木で、樹ぶり葉ぶり花ぶりが好いから、妹の家で庭を造った時に四五株を贈った覚えがあるが、矢張りトネリコには何の関係も無い。もう他の同韻らしい字は思い出せないかも知れないと考えていると、樳(じん)の字が頭に浮かんだが、どういう意味だったか朦朧(もうろう)として分からない。梫が山木というところから、山を想って、岑(しん)から梣(しん)という字を考え出した。すると同時にこの字も何の意味だか忘れているが、何でもこの字に自分は突き当たった、つまり悩まされた覚えがあると思い出した。そこで、それはどういう事だったのだろうかと思うと、それっきり考えが膠着してしまって、他の方面へは心が走らなくなり、何の事はない、悪い手筋へ考え込んだ将棋のように、いくら目を瞠っても霧の中で見えないものを見出そうとする痴態に落ちてしまった。
食事は済み、雑談も一頻(ひとしき)り済んで、例の如く寝につき、トネリコも何も無くなって、まず今日はこれきりと眠りに陥ってしまった。
輪廻ということも応報ということも、有ることと考えた方が事実に近い。翌日になって朝食に対(むか)うまでは、隣のトネリコの姿も眼に入らなかったし、トの字も思い出しもしなかったが、膳に対(むか)うと、昨日の自分の世界にはトネリコは無かったと想った。けれども偶然にも、イヤ然様(そう)ではございませんでした、ここに居りましたとばかり躍り出したトネリコがあった。一つは何でも西洋物の翻訳でお目にかかったトネリコ、一つは自分が何の書かで自分から出っくわしたトネリコであった。これがトネリコだから宜しいが、人の怨念なんぞであったらどうであろう。昨日と今朝の間の自分は熟睡して何も知らなかったが、過去に於いてただ僅かに心境に触れただけのトネリコが、我も求めず彼も来ないのに、時の因縁で忽然として躍り出して来るのである。千畳敷へ落した針の音が微かなのも、無くなる訳では無い。輪廻応報の道理で、その者に躍り出されて、原因はその結果を生じ、業はその報いを受けるであろう。自分がただ何かの書で遭遇しただけのトネリコさえ、今朝は自然とそのトネリコが現れたのである。
食事後は例に依って例のように書斎に入った。執意強勢に仕事をするのでもないが、読みかけた書を読んだり、為しかけた事を為したりして二時間ほどを過ごした後、茶を飲みに母屋の方へ小庭を歩いて来ると、隣家の彼の樹が眼に入った。細い枝、翠の葉が風に揺らいで美しく動いている。その風姿からして、竹竿(ちくかん)何ぞ珊々(さんさん)たる、魚尾何ぞ簁々(しし)たる、という古い釣りの詩の辞(ことば)を思い出すと、アッ、今朝何かの書で自分から彼の樹に出っくわしたことがあると思ったのは、西洋の釣りの書の中で彼の樹に会ったのであった。と明らかに思い出した。しかし彼の樹の名の英語は忘れていた。で、引き返して書斎へ入って、幾冊も持たないそれ等の書を引き出して見ると、アッシトリーの釣り竿と云うのがある。そのアッシトリーが彼の樹であったと見出した。ハハア、英国には此方(こちら)の野布袋竹(のぼてい)のような佳いものが無いので、竹竿は印度竹を六片矧(ろくへんは)ぎにして使い、その他はグリーンハートやヒッコリーなどという樹から竿をつくり、彼の樹も竿にすると見える。なるほど彼の樹は竿にならないこともあるまい。よく撓(しな)う樹であるから、と思うと好きな道だから何となく愉快な気が仕て、自然と笑いが催された。
それからついでに字書で秦の字を調べると、不思議にも梣(しん)と関係のあることが分かった。梣の字を調べると、淮南子(えなんじ)に出ていることが知れたので、早速ホコリだらけになっている淮南子を取り出して、十年も前の古い釣り場にうろつくような気で調べると、運よく忽ちに見つけ出した。第二巻俶真訓の、我が蔵本の十丁の裏に、夫梣木青翳而蠃癒蝸睆此皆治目之薬也とある。何の事だか、文理が通じ難い。昨夕(ゆうべ)行き当たったことがあると思ったのは、此処の解らなかった事だったナと合点がいった。註はあるけれども、読んでもやはり解らない。ジッと睨みつけている中(うち)に、註の文に、蝸は牛郎䗂蝓也螺也は音喚とあるのを見て、は音喚とあるのは、疑いも無く睆は音喚の誤りであると察して、こいつ余程の悪本であると思った。蝸は牛郎䗂蝓也螺也も何の事か分からない、これも蝸牛(かぎゅう)即ち䗂蝓也(こゆなり)の誤りである。忌々しい愚本であると思った。本文がこの調子だから解らないのだと腹立たしくなった。そこで抛り出して、説文解字註で梣の字を引くと、淮南子が引いてあって、夫(それ)梣木は色青く翳(かげ)を癒す、而(しか)して蠃蝸(らか)は睆を癒す、此皆(これみな)治目之薬也(じもくのくすりなり)とある。こらなら訳無く解る。翳は瞖(えい)に通じて目の病で、睆(かん)も目の病である。トネリコは瞖(かすみ)を癒し、蠃蝸即ちなめくじは睆(まじろぎ)を癒すというのである。淮南子に何も茅鹿門(ぼうろくもん)の評などいらないが、書は丁寧にこしらえて置いてもらいたいものだなどと思いながら、秦皮(しんぴ)は梣皮(しんぴ)であることを知って、ハハア、目薬になるものかナ、何れ苦いか渋いかで、収斂性(しゅうれんせい)のものであろうなどと推察した。
午後になって例のお爺さんは、足の親指ほどの大きさのトネリコの樹を一本持って来てくれた。
「つまらない樹ですから、邪魔にならないようにこの辺に植えましょうか。」
「そんな低い所では樹が困るだろう。枯れては可哀そうだからネ。」
「ハハハ、ナーニ旦那様、昨日も申し上げたような樹ですから困りも何も致しはしません。泣きも致しません位で、根が馬鹿ッ樹ですから。」
樹でも草でも前に生えて居たところから他の地に移したり、親株から引き離して植えたりすると、逞しい子でも泣きっ面をするようなものである。それを植木職などは、泣くというのであるが、泣きもしない馬鹿ッ樹というのに、思わず大笑いに笑わされて、さても丈夫な樹であると感心して、却って馬鹿ッ樹と云われるのが可哀そうな気がした。
縄きれを取って自分はその若い馬鹿ッ樹の肌を擦って見た。なるほど真っ青な、緑竹翡翠(りょくちくひすい)の色をあらわして美しい位であった。少し剥ぎとって嘗めて見ると恐ろしく苦い。成程この皮の浸剤や煎剤は眼の薬にもなろうし、また恐らくは胃病の薬にもなろう、本草を調べたら屹度(きっと)いろいろな効能があるものだろうと思った。馬鹿ッ樹どころでは無いと思いながら、植え終わったのを見ると、野生のものではあるが自然な姿も悪くは無い。芭蕉の句はなくても、言道(ことみち)の歌には取り入れられているかも知れないと、番茶のぬるいのを喫しながら、賞美するというのでも無く茶の間から眺めた。
その翌日また書斎で退屈した時に、百科辞書でアッシトリーをしらべて見たところ、釣り竿になることは書いては無かったが、その靭性を利用してトランクを造ったり箍(たが)にしたり、婦人の袴をつっぱる用にしたりすることを見出し、なかなか役に立つものだということを知った。それからまた馬車の或る部分の用にも充てられることを他の書で知って、松や杉にこそ及ばないが、用いれば用いどころのあるものだと悟った。
その後、金町や松戸方面へ出た時に注意して見たところ、成程何本も生杭にされて、ぽっくりとして突っ立ているその暢気なような、あわれのような、スチリット行者のような、沿道警戒を命じられた巡査のような姿を見出した。そして美しい樹はその美しい為に富者の造園の樹にされ、価の無い樹はその価の無い為にマッチの材料にされ、花の佳い樹はその花の佳い為に折られ毟(むし)られ、実のなる樹はその実のなる為に来年も実るようにと呪(のろ)われてその小枝は一々折られ、いくら虐待されても怯(ひる)まない強い樹は、その強い為に棒杭のようにされて立っていることを思って感心した。
松・杉・檜・榧・梛(ナギ)・椎・梅・桜は皆佳(よ)い樹である。しかしもう江東一帯の地では梅を失いかけている。松も名あるものは皆枯れて亡くなった。檜もよくは育たない。榧も若い樹が少し色のよいばかりだ。椎はやや強いが、それでも老樹は生(せい)を保てない。杉はもとより土地に適さない。桜は水に弱いので、長堤十里白くして痕無しという亀田鵬斎の詩の句も詩そらごととなった。梛は久能山神祠の一本梛は仰げば実に好ましい樹であるが、自分の庭の梛は二本枯れ三本枯れて、生き残っているものも生きているというばかりだ。檜も水が近いから育たないし、いろいろな樹が皆弱っている。何を植えても土地が悪くなっているので、育ち得るものは梣(トネリコ)位である。馬鹿ッ樹でも何でもトネリコがはびこる世になるだろう、榛の木さえも碌に育たないようになっているのだからと取りとめもなく考えたりしたが、悲観したのでも何でもない、実に一本で数日の余閑を楽しんだのであった。
年を取るとケチになる。こんな下らない淡いことを楽しんでいられるのである。自分は自分で笑いながら、自分からの評語を自分に受け取った。「年を取るとケチになる。」そしてトネリコを心頭から捨て去った。
(大正九年十月)