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幸田露伴の論語「一貫章義④」

 忠は忠、恕は恕と分けて言うときは、忠にも忠の体用(本体とその作用)があり、恕にも恕の体用がある。忠の本体は求心性を帯びて静的で、その作用は照明であり、恕の本体は遠心性を有する動的なもので、その作用は涵浸である。こう云うと思考の遊びに墜ち入るようで、必ずしもその言葉とその実心が一致しないが、これはこれで、強いてその景象を語ったものである。本来は忠恕を分けて言わないで、一ツとして見る方が好いのである。例えば水晶の一球を、光線の入る方、上の方から見た時はこれ忠、光線を受ける方、下の方から見た時はこれ恕であると観て、或いは左から見る時はこれ忠、右から見る時はこれ恕で、水晶が一球であることに異(かわ)りはない、と此のように見た方が好いようなものである。朱子は学者に忠恕がどのようなものであるか教えようとして、両手を自分の方へ向けてこれが忠であると諭し、その手を翻(ひるがえ)して外の方へ向けてこれが恕であると示されたというが、実に巧妙に対言(ついげん)した時の忠恕を諭されたものである。もしまた、他に例を取って試みに言えば、両手の掌(てのひら)を凹め合せて出来たその空間の空気がこれが忠であり、その掌を左右へ開くとその空気は辺りに次第に広がる、これが恕である。忠の外に恕があるのでも無く、恕の外に忠があるのでも無い。また恕の無い忠は無く、忠の無い恕も無い。つまり忠恕は一ツである。しかし忠といい恕と云って対言(ついげん)するときは、正にこれ二ツのもの一ツであると人に見做(みな)させるのは、まことに納得させ難いことであるが、一枚の紙、一箇の球の譬喩(ひゆ)、手の譬え、空(くう)の譬え以外で、言語的に二者即ち一となる例を挙げて、人が理解し易いようにしよう。ここに「呼吸」という語がある。これは対言(ついげん)の場合、呼は吐出であり吸は吸入であり、二者は別々であるが、呼吸と統言(とうげん)するときは「呼吸」という一ツの事であると理解できる。それと同様に忠に対する恕と、恕に対する忠と、対言すれば二ツであるが、統言すれば忠恕は相離れないものであるから、呼吸が相離れては存在しないで一ツなのと同様に、忠恕は一ツなのである。忠恕が一ツであることを知れば、一以貫之の趣旨は明白平易に理解されて何の疑うところも無い訳になる。忠恕は仁である。仁も宋学では統体(全体)の仁と、偏体(個別)の仁とに区別する。仁義礼智と言うときの仁は偏体の仁であるが、統体の仁は一切の徳を包有するものである。「三月(さんげつ)仁に違(たが)わず」の仁は、統体の仁であって、あわれみ深いことを言う偏体の仁ではないのである。忠恕が仁であるという場合の仁は、勿論統体の仁をいうのである。仁は人である。人の大徳である。人が天から受けた人である根本のものである。他の動物が天から受けた他の動物である根本のものとは大いに異なるものである。孔子の道は人が人である根本のものに率(したが)う道である。即ち人道である、即ち仁である、即ち忠恕である。曽子が「先生の道は忠恕のみ」と言われたことに何の疑うことが有ろう、と言って当然なのである。まして、曽子から学を受けた子思が、「喜怒哀楽の感情が未(いま)だ発しない、之を中(ちゅう)という」と云われたその「中」というものは、忠恕の「忠」の答えだと云っても差し支え無い、忠は中心である。まごころである。「節(せつ)に中(あた)る(発して皆妥当である)、之を和という」と云われたその「和」は恕と同徳のものと解釈しても差し支え無い。「中なる者は天下の大本也、和なる者は天下の達道也」と云われたのは、「先生の道は忠恕のみ」と同じ意味に帰着すると言っても善く通じるのである。人の生まれ持つ人の人である根本のもの、即ち禽獣と異なる根本のものを湛えて、之を損傷しないで、本性に率(したが)い工夫純熟する「忠」が存在し、節(せつ)に中る(発して皆妥当である)、即ち礼節の節、音節の節、人情の節に和する「恕」が出現するのであれば、孔子の道はそれ以外に何が有ろう。天下の大本(根本)と達道(その作用)はここに尽きるのである。
 我々は孔子の道において、之を能く会得している者では無い。しかし孔子の道は孔子だけの私道では無い。また我々も天命を受けて人となっている。それなので孔子の道が人の人である根本の道である以上、我々もまた自然(おのず)と孔子の道に参加している。しかも幸いに、少しなりとも古賢先達の教諭や解説や導きの助けを受けている以上、孔子の道に於ける自己と、自己に於ける孔子の道との関連を、内省と自らの判断によって知ることが出来るのである。我々といえども、時に忠恕で有り得る。しかし何時も何時も不断に忠恕では有り得ない。暫時は忠になり得、恕になり得ても、また忽ち忠になり得ず、恕になり得なくなってしまうのが、真実のところの普通凡人の境界である。しかし、もちろん純白でも無く純黒でも無く、赤も雑(まじ)り青も雑り、五色が錯雑して斑(まだら)な色となるように、小善・不小善、微清・微濁、小忠・小不忠、微恕・不仁恕、一局の拙碁(へぼご)が黒白乱れ合って終(つい)に佳いところ無く、一幅の悪画が赤や青をやたら用いて神気の無いのが、実に普通凡人の実態である。しかし、子思が親切に示された「独(ひとり)でいるときに於いても身を慎み、道に外れないようにする(慎独)の工夫」から着手して、密かに大道を念(ねが)い、少しなりとも「敬」の心で忠恕を味わう時は、未だ効果が得られなくとも、やさしく和やかな気持ちが髣髴と拡がり、楽しい悦びを感じることは、何人も経験することであり、その経験をした人も少なくないであろう。不思善・不思悪、悲想・非々想などと云う孔子の道以外の道の事は知らないが、事実に基づいて心を用いる孔子の道は、幽玄高遠のものでは無い。今ここに一本の鉛筆があり之を削って使用すると仮定する。このような瑣事は勿論、言うに足らないことであるが、学問をする者が思慮をここに働かせるときは、ここに於いてもまた忠恕の一端を見ることが出来るであろう。そしてその悦ぶべき景象を見ることが出来るであろう。昔、舜は食器を作り之を漆で黒く塗ったと云い伝わる。また舜は陶器を製作して、その器(うつわ)は傷や歪みが無かったと云い伝わる。皆これ忠恕の一端で、人生の慶福の源となったのである。孔子の道は先王の道である。先王の道も「忠恕のみ」である。天下の大本と達道は、忠恕之を貫かないこと無しである。
 忠恕の足りない世界を観よ、如何に悦ばしく無く楽しく無いものであるか。外国の今の国民を率いる者の、哀しいかな道を知らないことや。好んで小才を行い、自ら苦しみ国民を苦しめる。彼等は未だ一本の鉛筆を削ることさえも会得できない者である。忠恕の一端にも触れること無い者か、災(わざわい)なるかな彼等を偉大とする国民や。
(昭和十三年六月)

投稿者あとがき

 自分のあるべきすがた、自分の本当と思うところ、これを目指すもの、これを自分の道と云いますが、目指すものがただ単に食欲や性欲や権力だけであるなら、それは獣の道で人間の道とは遠いものです。人間という名に値する道に自分の道を近づける。そのための指針となる孔子の道(儒教)と云うものが昔は細々とながらも身近に有りましたが、太平洋戦争後は個人の尊重が叫ばれ、戦前の価値観は否定され孔子の道も忘れ去られました。
 孔子は中国の春秋時代の人で、その時代の制度の中で自己を修め社会を正すことに努められたので、そのため現在の私たちから見て肯定できない面も多々あります。しかしその自己を修め社会に尽す道には人間としての普遍的な価値が今でも有ります。
 現在の個人尊重の世の中では自分の人生を意識します。また自分の人生のまわりには、様々な人がその人の人生を生きていることにも気付きます。お互いに助け合って生きて行くのが人の世の在るべきすがたですが、この時にあたって孔子の教(おしえ)は私達に多大な恵みを与えてくれます。幸田露伴先生は孔子を深く尊敬し、孔子の道を実践された方ですが、その深い孔子理解の実際をこの一貫章義で示されています。論語で最も出て来る語は仁ですが、露伴先生は仁は種子の事だと言われています。種子は生命の源です。生命力です。魂です。英語で云うとスピリッツです。これをはぐくみ育てる優しい心が即ち仁です。種子には仁の心が宿っています。諸橋博士は「論語の講義」の中で、孔子が仁と言ったのを皆が分るように曽子が忠恕を用いたのではと云っていますが、それはさて措き、露伴先生は忠と恕の二字で表される忠恕の一語を説明するのに、呼と吸二字で表される呼吸の一語を以てされました。その卓見は私達に呼吸=息、忠恕=仁を覚らせ、呼吸をしないと人は死ぬように、忠恕(まごころからのおもいやり)が無ければ社会は死ぬことを私達に分りやすく説明し、忠恕と仁の大切さを私たちに教えて呉れています。


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