幸田露伴・釣りの話「雨の釣」
雨の釣
六日間押し詰めて勉強した挙句、日曜の一日を自分の思い通りに遊び暮らすのは、先ず何よりの楽しみである。この間の日曜日・・そうさ六月三十日・・は例の通り、一竿の楽しみに日頃の労を癒そうと云うのでキス釣りに出かけた。大体、時節から云うと少しもう後れている方だが、その代わり魚は充分に育っているし、また今年は丁度真っ盛りの時節に用事が多くて、思うように沖へ出られなかったので、一番、遅れ馳せの一ト釣りで、殿(しんがり)の大漁を遣らかそうという意気込みだ。しかしそれには、何時ものように松棒辺りや新澪(しんみお)辺りの近場をマゴついたところでおもしろい漁獲もあるまいから、イッソ踏ん張って、利根川の沖まで出かけようとかねて手筈を決めて置いたのだ。大東、即ち「かま」だの「ながれ」だのと云う利根川の下流や、もしくはその東の方の釣場へ出掛けるには、大抵「宵出し」と云って、前日の宵の口から船を出すのが習慣になっている。ところが土曜日には色々と生憎の用事が有って、予定した仕事を宵の口までに果して仕舞うことが出来なかったので、とうとうその夜の十時までかって仕舞った。しかしドウニカコウニカ思っていただけの仕事を終えて仕舞うと、重荷を下ろしたような気持で、サアこれから遊ぶんだと思うと、何とも云えない爽快な気持がする。釣り道具一切は何もかも船頭のところへ預けてあるので、二食分のムスビと褞袍(どてら)と外套を持って直ぐ出掛けた。
チト傲りの沙汰だが、平生あまり人力車(くるま)などにも乗らず、くだらない見栄なども排斥した結果、ようやく造ることの出来た自分の船へ乗り込んで、舫(もやい)を解いて、平作河岸を出た時はかれこれ十一時だったろう。旧暦十四日の月は薄絹のような雲に包まれてボンヤリとしているし、風はそよそよと「ならい」が吹いている。モ少し強くなっても構わないから此の風が明日の朝までつづいて、空の具合がこんな調子であって呉れれば、どれ程釣れるか知れやしないと心はしきりに勇み立つ。しかし明日は朝の潮でもって釣って仕舞おうという注文だから、充分に心身を休めて置かなければならないと云うので、一ト寝入りしようと、仰向けになって寝た。船頭のほかに人は居無いし誰にも遠慮はいらないから、「しな箱」・・釣り道具を納めておく箱・・を枕にして褞袍を着て、外套を掛け、これなら風もひかないだろうと寝かけたが、何となく直ぐには寝つかれない。特に風が弱いから蚊が攻めて来る、眼を開いて見ると天井もチト何時もの御殿よりは高すぎる、・・ハハハ青天井だからそのハズで・・何と云う星だか知らない星が丁度額の上で光っている。櫓の音が時々かすかに響く。ドウモ全てが平生と違うので寝られない。そのうちに、朝まで吹いていれば好いと思っていた風メが段々と凪(な)いで仕舞うし、出る時から少し気にしていた空具合が段々と良くない方へ変わって来た。しかし天気ばかりは、考えたところでどうにもこうにもならないものなので、降るなら降りやがれ、どうにもならないと悟りを開いて、蚊がうるさいから顔を手拭で包んだまま、ウトウトとして川を下った。
吾妻橋・厩橋は先刻過ぎて、両国橋もくぐり抜けて丁度新大橋近くへ船がかかると、「ヤア旦那、ポツポツやって来ましたぜ」と船頭に声を掛けられた。顔を包んでいた手拭をとって、そのまま空を仰いで見ると、成程ポツリポツリとやって来た。起き上がって辺りの様子を見ると情けないことばかりだ。風は東に変わっている。空模様も面白く無くなっている。東風(こち)じゃあ十中八九は降る。おまけに魚はマズ釣れないと、何羨録(かせんろく)・・江戸時代の釣魚の書・・の頃から定まっているのだ。馬鹿の喩えにさえ言われる釣りに出て、雨のために出戻りをしては、「降られて帰る阿呆者」という地口(からかい)の種子になる位のことで、これくらいバカバカシイことは無い。降られちゃあ何とも嬉しくないが、ここまで出て来て引き返すのも残念だと、腹の中でいろいろ考えていると、「雨は来ましたが雲が薄いから、大した降りもありますまい。旦那、構わないで行こうじゃありませんか」と船頭が云う。如何にも雲は極く薄いし、風もまた続きそうにない。自分の欲が手伝って判断するから堪らない、やっつけろ構うものかと決定した。そこで船頭は相変わらず漕ぐ、自分は苫(とま)を葺(ふ)いて潜り込んだ。
隅田川を長々と下って来たのは、永代から沖へ出て、帆を使って釣り場まで走らせようという段取りだったので、出た時のように風さえ吹いていれば、思った通りになるハズだったが、東風や「いなさ」気味の風では、「風が敵の世の中じゃあ」と嘆息したくなる位の仕方ない始末で、その上時刻が十四日の大潮に向う時刻と来ているから、どうにもこうにもならない。仕方ないから萬年橋の堀を入って、高橋・新高橋を経て真直ぐに舟堀へは出ないで、横へ曲がって、風と潮の余り影響のない隠亡堀(おんぼうぼり)から中川に出て、それから海岸を東へ行こうと方針を変えた。
小名木川を行く間は格別淋しさを感じなかったが、隠亡堀へ入ると酷く淋しくなった。昼でさえ余り人通りの無いところなのに、川は狭いし、水は死んだようになっているし、両側には思いのほか大木が鬱陶しい位に繁りあって、ただでさえ暗い雨の夜に一ト際暗い木下闇(このしたやみ)を作っている。特に草木も眠ろうという真夜中の、天地陰々と物凄く、辺りには人家も見えない不案内な所を、ギチラギチラと云う櫂の音、ピチャピチャという水の音で、話し相手も無く小船に揺られて行くのだから、余り結構な心持はしない。大体、この隠亡堀を通るのは、多くは大川を通って沖へ出て行くことが出来ない逆潮の東風雨(こちあめ)の時などにすることだから、ここを通って行くような時はマズ碌なことは無い勝ちで、雨風が益々酷くなって遂に中途から帰ったとか、または釣り場までは行ったが一匹も釣れないで雨に降られ、風に吹かれて、逃げ帰ったという例ばかりが多い。そこで自分の知っている釣り好きにも、大東は好いが隠亡堀は恐れると云って引き下がる者もあれば、あすこは釣り師の鬼門だと罵っている者もある位だ。こういう頼もしくない不気味な堀を、苫に当る雨のシトシトと云うのを聞きながら通るなんぞは、実に自分の慰みなればこそ出来るので、頼まれても厭な事だと思った。
追々船が進んで両側に老樹のある所を出抜けて仕舞うと両岸に葭(よし)が生い茂っているところへ出た。ヨシキリは夜は啼かないものだと思っていたが、昼間ほど多くは啼かないけれども、闇を破って例の通り行々子と自分の名を呼ばっている。ところが船が進んで舟灯の青や赤の光がパッと射すと、先生ビックリして忽ち啼き止む。行々子の声のことだから根っから有り難くは無いが、パッタリ急に啼き止まれると、辺りが辺りなので一トしお淋しさが身に沁みる。かれこれ二時半という時分に蒟蒻橋(こんにゃくばし)と云う橋の下を過ぎた。ここまで凌いできたがイヨイヨ遣り切れなくなって、蒟蒻橋の陰で雨風を除けて終に時期を失って逃げ帰ったと云うような話はしばしばあることだが、幸いに雨も強くなって来ない。しかし空を見ると雲は薄墨を流している。葭の葉の友ずれは悪魔と悪魔が囁き合うようで、土地も土地、時刻も時刻で、何とも言えない景色であった。
蒟蒻橋を過ぎてから間もなく中川へ出た。ここは小名木川の出口よりは二十町も川下で、まことに海に近いところだ。船は東岸の「やち」の縁に沿って下へ行く。隠亡堀は横川ではあり狭くもあるから、風も有るのか無いのか分からなかったが、海近い広い所へ出て見ると流石に風も吹いている。葭や蘆の「やち」の中へ風が落ちると、一時にザアッと云う水のような音がして、船底を叩く浪の音もドボリドボリと云うようになって来た。雨も風が加わって力を持つと見えて、吹きかける音が強くなって来るし、第一苫にからまる風の為に苫の毛が立って戦(そよ)ぐので、ますます人を眠らせない。川口の方向を遥かに見ると四ツ手を澪にかけている漁師船のものであろう、篝火がチラチラと闇の中に明滅している。川上の方はただもう真っ暗に雨に鎖されている。先刻は狭ければ狭いで淋しかったが、今度は広ければ広いでまた一トしお淋しさが増すように覚え、辺りが茫(ぼう)として心の頼りにするものが無い為か知らないが、何となく何処か遠い国へでも漂泊しているような気がして、こういう時には一人位は同行者でもあったらと思っていると、葭や蘆の茂った「やち」の中で、何の声だか知らないが実に哀れな幽かな声が雨の音や風の音の間に聞こえた。その声の妙に澄んでいて、そしてまた妙に人の腹に沁みるような調子と云ったら、実に何とも云えない、例えば一町も離れたところの墓の中で赤ん坊が泣いたような、イヤな、情けない声だったから思わず慄然(ぞっと)とした。しかしこんな所で今時分赤ん坊の泣き声が聞こえる訳がない。何かの響きを神経のせいで妙に聞き歪めたのだろうバカバカしいと、直ぐに思い返して済ませていると、又しばらくして、雨風の音や葭のそよぎや浪の響きの他に確かに怪しい声が聞こえた。如何にも細い、有るか無いかの声で、スーイスーイと云うように聞えた。ハテな、と思って耳を立てて居ると、又もしばらくして、スーイと聞えた。聞きようによっては、ホーイと云うように聞える。そして一ト声は一ト声よりいよいよ捕捉幽かになり、いよいよ後が無くなって消えるようになって行くのが、悪く不気味だ。
そもそも隠亡堀からして鶴屋南北好みの道具立てだと思っていたが、とうとう化け物臭くなって来たと思いながら、「おい、船頭、淋しいじゃあ無いか。それに何だか異(おつ)な声がするじゃあないか」と話しかけると、「旦那、アイツを聞きつけましたネ、アイツはヨシグイと云う奴で、真正面から見ると枯葉(かれっぱ)みたような細い鷺ですが、その癖飛べば一尺五寸も有ろういうのです。雨のシヨシヨと降る時に鰻の夜釣りなどを仕ていますと、兎角アイツが啼きますが、聞いていれば聞いているだけ細い声になって、段々人の気を引き込みます。鳥と知っていてさえ、聞いていると終いにはアイツの声が、ソーレ、ホーラと云うように聞えて来て、何となく夜釣りなんかが嫌になりまさア」と笑いながら答えた。鳥と聞いて成程と合点したが、こんな淋しい異な鳥が東京近くに居て人を感じさせようとは思わなかった。カッコウの声、フクロウの声、強雨の中でも啼くツチウソの声、何れも淋しいものだが、先ず化け物臭いのにかけては此のヨシグイが大関と云っても可(よ)い。家に帰ってから調べて見たらヨシグイはヨシゴイが本名で、煩悩鷺、馬追鳥とも云い、旋目の属でゴイサギの類と分かった。利根川図志に出ている「谷原いぼ」と云うのがソレではないかと云って呉れた人もあったが、船頭に「谷原いぼ」の図を示して訊いたところ、これでは無いと云うことであった。何しろ怪談の好きな人や南北信仰の人なら、自分のように茶も酒もタバコも呑まずに、雨の夜の三時ごろ隠亡堀から中川へ出て、ヨシグイの声をお聞きなさいだ。
船は漸く進んで海へ出た。地方(じかた)に沿って巽(東北)の方へ漕いで行くのだが、風が全く逆だから捗らない。雨は小止みなく降っているが、海へ出て仕舞ったので船は揺れるし、気分は爽やかになるし、終に自分は一ト寝入りした。馬の上の眠り、船の中の眠り、何れも揺られるので能く寝れる。赤ん坊も揺られると快く眠る。
お舟の中の大きな赤ん坊は、トロリとして目を覚まして、見ると夜は明けかかっていた。東の地平線は茜色になっている。その紅い色が、今日は一日雨が降ることを示している。空は一面に雨雲だ。ここはドコラ辺りであろうと見廻すと、およそ乾(西北)の見当に遥かに灯が白けながら見えている。「あすこは洲崎かね」と聞けば、「そうです」という返事だ。三里余りも隔たって洲崎が見えるが、東京の方はそれより他(ほか)は目に入らない。「もう大方釣り場だろう」と云えば、「風で船が出ないので、まだ少し間があります。雨も沢山はありませんから苫を取って仕舞って、茶の支度を仕て、そして一ト突っ張り突っ張って下さい」と云う船頭の言葉だ。ナルホド風の勢いが聊(いささ)か加わって、おろしく苫に当って、船を進めさせない。「よし来た」と云って苫を取って仕舞う、火を起こす、湯を沸かす、櫂を手にして突っ張り出すという工合に働き出した。やがて「丸よし」と云うところも後にして、終に目指した「かま」と云うところに着いた時分には、丁度湯がチンチンと沸いていた。そこで茶を入れて飯にしたが、空は幾ら雨でも段々と明るくなって来るし、夜明けの風が格別に快く顔に当るから、天気の悪いことの愚痴も云わなくなった。
腹の出来たところで竿を手にして、船頭の下ろして呉れた脚立の上にあがった。朝はまだ極めて早いから何処を見ても船も無い。地方の方・・「いかづち」なんと云う辺りでもあろう・・に少しばかりの松が見えるばかりで、茫々とした海中にただ船頭と私だけになって仕舞ったが、その船頭も脚立の上へ私を置き去りにして、一町も彼方へ船を漕ぎ開いて行って仕舞った。
サテ脚立の上で釣り始めたが、雨が一トしきり降りかかると空も水も薄墨色になって仕舞って、その雲煙の中に船も陸も忽ち呑まれて仕舞うから、眼を遮るものは何も無くなって、天地混沌とした太古の世に私独り、生まれ出したような感じがした。「ぼんち笠」に滴る雨は玉となって、五月雨の軒の玉水のように落ちるが、全て寒くも無く湿気も無いように準備しているから平気なもので、悠然として糸を垂れていた。やがて、ゴッソリと手応えがした。合わせると大きな奴があがって来た。それを手始めにして、あたる、釣りあげる、鉤を投げる、あたる、釣りあげる、鉤を投げる、という有様で、釣った、釣った、実に応接に暇がない位に忙しく釣った。まるで魚の方で待ち兼ねて居て、わざと引懸かって来るでは無いかと思われる程だったら、淋しさも心細さも忘れて仕舞った。
魚のあたりがヤヤ間遠になったので、場所を変えてやろうと思って魚籠(びく)を揚げて見た。すると、もはや径一尺余りもある魚籠の底が見えない位に釣れていた。目的にしたキスは大きいのばかりで、目的外に釣れたハゼも大きく、セイゴも育ちの良いものばかりであった。
堀江や猫実(共に浦安)辺りの漁師が五時半・六時頃から帆を揚げて出て来て、三枚洲の方へ走って行った。東京の釣り船も出て来て少しは間近に見えるようになったから、さしも淋しかった海上もやや賑やかになって来た。釣り場を変えて彼方此方を釣り廻り、午前十時ごろになると満足どころか殆んど望外の魚を獲た。しかし、雨はどうしても止まないから、一先ず脚立を納めて、自分はまた苫を葺いて船に入った。潮が引くにしたがって洲が見えて来た。すると「洲立ち」と云って、人々は尻を端折って洲の上へ下り立ち、釣れそうなところを見立てて釣りをする。どの船からも先を争って、この洲立ちをやる人が出て行く。自分の船から見ていると、遥か先の方に佇(たたず)んでいる人が小さく雨中に霞んで見えるのは実に絵画の趣きがある。船頭は「洲立ちをやってご覧なさい」と勧めた。しかし自分は雨が降るのに海中に佇んで釣りをする程の身体では無いと思ったから、「麿(まろ)は洲立ちなどしなくて宜しい」と云ってそのまま船中に安座していたが、実は満足するだけ既に魚を獲ているから敢て仕無かったのである。しかし魚を獲る獲らないに拘わらず、天気の麗らかな日に瓢箪を携えて来て洲立ちをやったら、これも中々楽しみであろうと思った。自分が洲立ちをしないのを見て船頭がやり出した。煙雨濛々とした中に突っ立って頻りに大魚を吊り上げている。その景色を見ると実に愉快だ。
正午近い頃に昼飯を食った。空模様もイヨイヨ良くない。雨も強く降って来そうなので帰路に就いた。帰りは楽なものであった。帆を張るや否や瞬く間に飛ぶように走って永代橋に着き、それから出た時の心細さに反して大漁の喜びを満載した我が船は、ほどなく元出た河岸へ勇ましく安着した。釣った魚は大盤台に山盛りになった。それを船頭に担がせて墨田の堤を家へと目指すと、往来の人も驚いて目を欹(そばだて)て見た。家に帰ると家の者も「こんなに沢山釣れたのですか」と皆々集まって驚くほどであった。早速、近隣や親戚や朋友等へ配分してもまだ余る位であった。一浴の後、一壜のビールを傾けたが、自分の釣った肴は特に旨く、飲むこと未だ半ばにもならないうちに早くも陶然と酔って仕舞って、一週間待ち侘びた楽しみも思い残さず仕尽して、極めて穏やかな夢に入った。
(明治三十四年六月)