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幸田露伴の随筆「蝸牛庵聯話・利休の献立」

利休の献立

 集雲庵宗啓が茶道の師匠である千利休の茶湯日記を一年ほど借りて、これを抜き書きしたと云うものが今も遺っている。豊臣秀吉が北野の大茶会を催して、天下太平を潤色したのは天正十六年のことなので、年は明記されていないが、およそその頃であったろう、その十二月十六日の記録に、

 十二月十六日 朝飯後不時 二畳敷 御成 但御寺参帰 御相伴 和尚 宗及

とある。 
 不時であれば、予め知らせることもなく突然来たのである。御成りとあれば尊い御方であることが知れる。御相伴は和尚とあるのは笑嶺和尚であろうか。宗及とあるのは津田宗及であろう。宗及は茶道でもって秀吉に仕え三千石を受領する。今井宗久や千利休と共に、当時に於いて三宗匠と称えられる。午前の突然の訪問、秀吉の遣り口ではあるが、これに驚き惑うような利休ではない。

 一 欲了庵  一 釜雲竜  一 棚に鏆羽帚

 室は欲了庵で、用いた茶釜は雲竜(雲竜の模様が画かれた筒型の釜)、棚には鏆(かん)と羽帚(はねほうき)、鏆は釜を取り上げる釜鐶のこと、羽帚は読んだ字のとおり。

 一 香盆 香炉 香合 烓カラ入 組合 持出て 一烓たく(香盆に香炉・香合・香箸・焚き殻入れを組み合わせて持ち出して一焚きする。)

 香道の諸器を持ちだしたのである。烓殻入れは香の焚き残りを入れる器である。香の銘は記されて無いが、思うに沈香の類であろう。ここで香を出したのは接客の対応においていわゆる時間稼ぎをしたものか。突然の来客に対しての悠々とした応対に、まことに利休の自在ぶりを見る。

 △     杉折敷ニヤキイモ 水栗(杉の折敷に焼き芋と水栗)

 杉の御盆に焼き芋と生栗の形好く剝いたものを載せて出したのである。この焼き芋、はなはだ面白い。里芋も山芋も皆焼き芋には適さない、薩摩芋であるかどうか明らかではないが、さては古風な水栗に添えて猿顔の客(秀吉)に薩摩芋を提供したかと、面白がるのは自由である。

 一 竹筒梅  一 茶入れ円座  一 嶋筋黒茶碗  一 水指瀬戸
 (竹筒の花差しに梅、円座の茶入れ、嶋筋の黒茶碗、瀬戸焼の水指)
 右過ぎて書院へ御出被成 午後御膳出る 和尚は御帰

 室内の様子や器物の名が入れ交じって記されている。右過ぎてとは、香の事が終わったのである。書院へ座を移して、食膳を出す時に和尚が帰る。この和尚甚だ賢い。

 △汁鶴 
 △膾 
 △煮物 ハララ コホウ イモ 
 △二ノ汁 鱈 大器ニ小鳥 
 △会物 ウド 
 △サシミ 鯉 マナカツホ 
 △香物 
 △御肴 タイラキ ウツラ 
 △ハス 
 △吸物  ハシラ コカブ
 △菓子 カンセンヘイ サクロ コネリ ナシ

 汁鶴はこの時代のこの人にとって平凡ではあるが、殆んど常に用いていたものである。利休は、他の人への饗膳には多くはさくさく汁を用いた。さくさく汁は味噌汁に菜をさくさくと多く切り入れたものである。十月一日に豊公(秀吉)が見えた時は、汁はなめすすき即ち鼠茸(ホウキタケ)の汁であったが、今日は書院での盛大な食撰なので、少しはそれを考慮したものか。膾は注記が無いので知ることができない。煮物のハララは鮭の卵なのか他の魚の卵なのか不明であるが、下手に強く煮なければ鮭の卵も食えよう、思うに当時に在っては珍撰であったのだろう。二ノ汁の鱈は好い。大器ニ小鳥の大器も好い。会物はあえものである。ウドも悪くない。刺身の鯉もマナガツオも勿論好い。マナガツオの刺身を関東の人は口馴れていないが、疑ってはいけない。肴のタイラギにウズラとは、タイラギの貝柱とウズラの卵である。江瑶柱(貝柱)は宋の詩人も賞味し、ウズラの卵は和漢共に賞味する。ハスは蓮根。吸物のハシラとコカブとは、馬鹿貝の貝柱に小蕪をあしらったもので、はなはだ今日風(こんにちふう)である。菓子のカンセンヘイはカンと云うものと煎餅であるか、はたまたカン煎餅と云うものか明らかでない。サクロは柘榴、コネリは五所の木練り柿の省略である。梨と合わせて、若(も)しカンが羊羹か鼈羹(べっかん)であれば五種になるので、おそらくは数良く調えたのであろう。

 一 床二幅一対 馬遠山水(床の間に二幅一対の馬遠(中国・宋の画家)の山水画)
 一 豹香炉 クリクリ香台ニ(ぐり香台に豹香炉。)  
 一 書院床 子昻硯 亀水入 筆架 筆 墨 子昻軸物(書院の床の間には子昴硯、亀の水入、筆架、筆、墨、子昴の掛け軸。)
 一 違棚 食籠 盆山紀路(違棚には食籠と「紀路」という盆山(石の置物))
 御意にて台子(だいす)飾り大海に御茶立(豊公の意向で台子を飾り、大海茶入れ(大振りで口が広い平形の茶入れ)で御茶をたてた。)

 書院の飾りも茶事の式も総て草庵の侘びを離れて、貴人に対する趣向でこの日の一席を終えたのである。豊公がこれくらいの待遇を受けるのは当然で、利休もまたこれくらいの対応は咄嗟にできるのである。誰がこれを奢侈と云おう、贅沢と罵ろう。同じ利休が同じ豊公を、その翌年の六月十三日の朝に、醒ケ井の屋敷の六畳の間に御受けした時は、黒田勘解由や細川幽斎や津田宗久などの何れも堂々たる御相伴があった。その折の食撰は、

 △汁 干葉 
 △麦の御飯 
 △ナマス 
 △煮物
 △菓子 イリカヤクリ 

 干葉とあれば大根の葉を干したものである。この味噌汁に麦飯、菓子は榧(かや)栗、膾と煮物は注記がないので何れも粗物で、わずかにマナガツオの刺身一品をたよりに食を済ましたのである。今は代用食などと云う卑怯な言葉を賢そうな顔をして云う人が在るが、栗の飯は栗の飯である。麦の飯は麦の飯である。かて飯はかて飯である。最明寺時頼は佐野源左衛門の宅で栗の飯をもてなされたのである、代用食を食わされたのではない。豊公や幽斎や勘解由は利休に麦の飯を干し葉の汁でもてなされたのである。代用食を食わされたのではない。源左衛門も利休も代用食を食わせたのではない、堂々と栗の飯や麦の飯を食わせたのである。客もまたよろこんで食ったのである。卑怯なところなど何処にも無いのである。麦飯を食わせた利休の主人振りも好く、干し葉汁をすすった豊公や幽斎や勘解由の客振りも好い。しかもこの日の幽斎や勘解由は粗食を食らった上に、醒ケ井の水を題に豊公の意向によって歌まで詠まされたのである。

 濁りなき此の御世とてや足引の山井の水も清くすむらむ    幽斎
 萬代の声もけうよりましみずの清きながれは絶えじとぞおもう 孝尚

 しかもこの席において、「御茶は上様はじめ御相伴は共にメンメンに御立て参らせ候」とあるので、酒であれば手酌で揉むと云うところであるが、各自が自分で点じて茶を喫したのである。誰がこれを吝嗇と云おうか、ケチと嘲ろうか。主客が共に面白いとするのであれば、人も従って面白いとするだけである。贅沢とかケチなどと云うほどケチなことは無い。鶴の汁の日も干し葉の汁の朝も、豊公と利休は客振り好く、主人振り好く、自由自在の境地に在ったのである。

注解
・集雲庵宗啓:桃山時代の禅僧で茶人。堺の南宗寺塔頭の集雲庵の二世として南坊宗啓を名乗る。利休の高弟といわれ、茶書「南方録」を著わす。
・千利休:戦国時代から安土桃山時代にかけての茶人。 わび茶の完成者として知られ茶聖と称せられる。
・豊臣秀吉:信長に部下として仕え、信長の後を継いで天下を支配する。猿顔なので信長からは猿と呼ばれていた。
・北野の大茶会:北野大茶湯。豊臣秀吉は天正十五年十月一日に京都北野天満宮境内で大規模な茶会を催した。
・笑嶺和尚:笑嶺宗訢、字は笑嶺。戦国時代の臨済宗大徳寺派大仙派の僧。大徳寺百一世。
・津田宗及:安土桃山時代の堺の商人で茶人。茶湯の天下三宗匠の一人。
・今井宗久:安土桃山時代の堺の商人で茶人。茶湯の天下三宗匠の一人。
風炉と釜・建水(中に蓋置)・柄杓と火箸・水差・煙草盆で下に敷いてあるのは長板。床の間に左から花入・掛け物・香合。風炉を用いた夏の飾り(配置)で、この後客が入り茶碗と茶器が持ち込まれてお手前が開始される。

・鏆:茶釜の上げ下ろしに用いる金属製の輪。直径二寸五分内外の輪で、一端が切れていて、釜蓋の穴に通るようになっている。
・羽帚:鳥の羽で作った箒。香炉や茶釜のクズやゴミを払う。
・香盆:香を載せる盆。
・香炉:香を焚く容器。
・香合:香を収納する蓋付きの小さな容器。
・烓カラ入:香の焚き殻を入れる容器。
・沈香:香木の一種。ある種の樹木に生じた樹脂が内部に沈着した香木。
・茶入れ円座:円座型をした、茶の湯に用いる濃茶用の抹茶を入れる容器。
・嶋筋黒茶碗:茶の湯で用いる茶碗の一種。
・水指瀬戸:茶の湯で用いる水を入れる容器の一種。
・汁鶴:鶴の骨でだしを取り、みそ汁やすまし汁にしたもの。
・宋の詩人:
・五所の木練り柿:枝になったままで甘く熟した五所柿。
・ぐりぐり香台:漆を何層にもぐりぐりに塗り重ねた文様の香台・豹香炉:豹の形をした香炉。
・子昻硯:子昻(中国の南宋から元にかけての書家・画家)が愛用した形の硯
・台子:水指などの茶道具を置くための棚物。
・醒ケ井の屋敷:京都下京区佐女牛井町辺りに在った利休の屋敷。
・黒田勘解由:黒田孝高、通称官兵衛通。戦国時代から江戸時代初期にかけての武将で軍師。
・細川幽斎:細川藤孝、幽斎は雅号。戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・大名・歌人。
・かて飯:米に他の穀物や野菜・海藻などを混ぜて炊いた飯。混ぜご飯。
・最明寺時頼:北条時頼。鎌倉幕府第五代執権。出家後は最明寺殿、最明寺入道とも呼ばれた。時頼が諸国を旅して民情視察を行なったという物語が、能の「鉢の木」で取り上げられている。
・佐野源左衛門:鎌倉時代中期の武士だったとされる人物。能の「鉢の木」に登場する。
・代用食:主食が米以外の食材で成るもの。
・醒ケ井の水:名水とされている。


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