見出し画像

毛毛雨の冬天にて

漁師網バッグを片手に超市(スーパー)に行くのもこなれてきた頃、こちらでの暮らしは3ヶ月が過ぎようとしていた。

学校に加えて一ヶ月ほど前から2つのバイトを始め、目まぐるしい日々を過ごしているうちに台北もだんだん秋から冬へと移ろってきた。
こちらの秋・冬といえばほぼ毎日のように霧雨のような雨が降るどんよりとした天気で、この雨は中国語で「毛毛雨(maomaoyu)」という。
毎日「今日もまた雨か…」と思いながら、この「毛毛」という発音は可愛らしくて、少しだけ憂鬱な気分を紛らわしてくれる。

日本より暖かいとはいえこちらも寒くなってきた。やっぱり真夏に携えたキャリーケースに詰めた服だけでは冬を越せないと思って実家から恋人経由で冬服を郵送してもらったけど航空便と間違えて船便を選んだそうで、日本からこちらに到着する頃には短い冬は終わっているかもしれない。
それならばと前から欲しかった李倍という台湾のドメブラのパンツを買ってみたり、PAR STOREの長袖Tシャツをついにゲットしてみたり、この状況もこれはこれでいい機会だったなと思う。

日常生活ではだいぶ人の話が聞き取れる、話せるようになってきていた。
バイトを始めたことで勉強時間は学校での授業3時間だけになったものの、人と話す機会が多いのは言語習得にとてもいい。最初はデザインの仕事で求人を探していたものの、考え直して接客業を選んだのはこの生活の中で正解だったかもしれない。
バイトでは日本語よりも中国語を使うことのほうが多く、仕事の場になるとそもそも文脈を知らない・分からない単語につまずき日々自分の足りなさを実感するものの、「なんでそんなに中国語が上手なの!」と言ってくれる人も増えた。元室友の友達とも約一ヶ月ぶりに会ったら彼女はもう私に英語を使わず全て中国語で話すようになっていた。

最近よく聞かれるのは「台湾に来てどれくらいなの?」という質問で、「今2ヶ月で」「今2ヶ月半で」「今約3ヶ月で」……と言うたびに過ごしてきた月日が積み重なっているのを実感する。
今朝は家の近くの朝市で買い物をしていたらお店の人とお客さんと「日本人?!」「台湾人かと思ったよ!」「日本人と台湾人見た目ほぼ同じだから〜」と笑いながら世間話を楽しめるくらいにはこの言語でのコミュニケーションが体に染み付いてきた。

だけど3ヶ月を過ごして今思うことは、台湾という国にきっとどれだけの時間住み慣れたとしても、やっぱり私はこの場所において外国人であることに変わりはなく、台湾人・台湾という場所に完全に同化することは不可能であることを実感する。
どれだけ慣れ、わかったつもりでいても立場そのものが違うこと。私が「日本人」であるその前提はきっと崩すことはできない。
こう思ったことについてはまたゆっくり次の機会に記したいと思う。

ある日語学学校の先生は言った。
「みんな台湾人は優しいと言うけど、それはあなたたちが外国人だからだよ。」「台湾人は台湾人に対してはみんな親切とは限らないからね。」

台湾について誰もが「人が優しい」と言う。実際に私もこちらに来て生活をしてみると親切にしてくれる人ばかりで、そのありがたさを実感する機会は数えきれないほどある。
毎日楽しく生活ができているのは、住み始めてまだ間もなく言葉が不十分な状態で仕事ができているのは、言葉が分からない時も決して怒らずに「大丈夫だよ」と優しく声をかけてくれる人々がいるからで、「どこから来たの?日本なの、中国語上手だね」と一言声をかけてくれる人がいるからなのだ。
こうして「外国人」として台湾の人々が親切にしてくれていることを忘れ、それに甘えたまま慣れてしまったら、それはきっとリスペクトを欠いてしまうことになる。
だからまずはもっと語学力を高めたい。

こうして最初は自分にとって憧れだった言語は、この地での生活のために次のステップへと進む。


今週の金曜日ついに語学学校の学期が終わった。
少人数で和気藹々と仲のいい私のクラスは、授業で出た話題から始まって実際にみんなでその場所に行こうという流れになることが多々あった。
KTV(カラオケ)についてのテキストを学習していた時はKTVに、新しい教科書を買いに行ったついでにまだ行ったことがないというクラスメイトのために大学近くの夜市を散策した。
学校全体のテストの後には打ち上げとしてクラスメイトが話題にした全てがトイレモチーフのレストランに行ってみたり、教科書のカリキュラムが全て終わった最後から2日目には、少ない時間を捻出して先生も一緒に故宮博物館に行ってそのまま士林夜市を散策した。

いつも笑いが絶えなくて、写真も絶えなかった。私のカメラロールにはクラスメイトとの自撮りやふざけた一コマなど何気ない写真が増えていった。

最後の日、一人ずつプレゼンをすることになっていた。
私はジョークが好きで笑いの絶えないクラスメイトに向けてよく話題に出ていた臭豆腐のことを調べてプレゼンしようとしていた。
けど3日前になってやっぱりやめた。
中国語を勉強し始めたきっかけ、先生もクラスメイトもおらず仕事の合間を縫って続けた独学のこと、そしてこの場所に来て初めての中国語の先生・クラスメイトという同志に出会えたこと。「みんなに出会えてよかった、ありがとう。」
そう伝えた。みんな思い思いに”その人らしい”プレゼンをするなか、私は一言目からもう泣き始めていた。
終始涙声でとても聞きにくい内容だったけど、ティッシュを差し出してくれたりしてみんなあたたかく聞いてくれた。
話が終わった後先生は「さあ…どうしようか!私も泣きたい!」と困ったように笑っていた。
最後に先生は「すぐに帰国するクラスメイトもいるけど、言いたいのはこれからも絶やさず中国語を使うこと。今はネットがあるからどこでも交流相手を見つけられる。とにかく語学は、中国語は、何回も話すことだよ。」と言った。
そしてみんなで薩莉亞(サイゼ)でまた他愛もない話をして、終わりの時間を迎えた。

思い出しては涙を流す私をみて、みんなは「大丈夫、私たちLINEでもインスタでも繋がってるし、きっとまた会えるよ」と言った。
私は先に帰国するアメリカ人の2人に対して「アメリカ(めちゃくちゃでかいし2人が住んでる場所もめちゃくちゃ離れてるけど)行く時は連絡するから!!」と言った。
その地に行く理由ができること。世界を知る第一歩はきっとこういうから始まるんだろうなと思う。

外国人として台湾に来て出会った、同じ中国語を学ぶ外国人。それは語学学校にしかない出会いだ。
中国語というひとつの「きっかけ」を通して世界が広がっていく体験としても、やっぱりこの3ヶ月はかけがえなかった。

私はあと3ヶ月語学学校に通うことを決めた。
今学期のクラスのみんなとはバラバラになってしまうし先生も変わるかもしれない。
だけどまた新たに出会う人・その背景にある彼らの住む土地のこと、さらに知っていけると思うと楽しみだ。
別れを惜しんで泣いてばかりもいられない。なんせまだLINEでのやり取りも続いている。

刹那のような出会いと別れはこうして続いていく。

いいなと思ったら応援しよう!