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禮拜一から禮拜天

地下鉄の駅を出たら夏が続いていた。
飛行機に乗ってしまったらもう降りられない。始まるしかない新しい生活は飛行機の機体がバック走行ができないのと同じようなものだ。
川が流れていくように身を任せ、辿り着いた台北という場所では感傷さえ忘れるほどけたたましいバイクの音が鳴り響く。
太陽が照りつける時間、歩いているだけで何かを吸い取られていきそうなくらい暑いこの地での一週間はあっという間に過ぎた。

シェアハウスに着いた日にルームメイトの2人が同時に家を離れた。8月の終わり、学期の終わり。
挨拶だけはせめてできたけどいきなり一人部屋になってしまった。
中国語で話してみたけどルームメイトのうち一人は全く通じず、英語と翻訳アプリで会話して、拜拜(bye bye)とわかれた。
英語ができたら通常の生活には困らない"都市"であることの裏付けのようだった。

海外データローミングはバカにならないのでまずはじめに携帯ショップに行った。担当してくれたお兄さんがなんと20年来の倖田來未ファンとのことで(お兄さんは半ば仕事を放り出して)話が盛り上がった。
私は曲のことは全然わからなくて申し訳なかったけど、2023年から2024年にかけてライブに13回も行ったこと、見せてもらった動画は最前列だったこと、握手会での写真も見せてもらった。最近の倖田來未のことを全く知らなかったけど、お兄さんが見せてくれた動画の中の彼女はとてもカッコよかった。
9月1日から10日間、また倖田來未を見るために東京に行くと言っていた。

契約したプリペイドSIMは日本より圧倒的に安くて驚いた。私の台湾での電話番号が出来上がり、Googleの検索結果も広告も台湾仕様に変わった。

外食文化の土地である台湾ではどんな場所にもローカルな食堂や市場が並ぶ。目新しい食べ物ばかりの今の私にとって何を食べるか決めるのも楽しみのひとつで、注文することだけでもちょっとしたドラマになる。
中国語で注文が通るだけで嬉しい。「どこから来たの?日本?中国語上手だね」と言われると俄然やる気が出てくる。
ご飯を食べるには家の扉を開けなければいけない食文化は人との関わりを強制的につくる。
数日経ち、中国語も英語も不自由な外国人の私がそれをストレスに感じずにいられるのは人と関わることそのものに趣を感じているからだと思う。
私のことを誰も知らない街で孤独を紛らわしてくれるのは、東京のそれとはまたきっと違う、日常としてのおでかけ・会話がつくる人情のような気がする。

それでもやっぱりままならない言葉によって落ち込んだりもする。
語学学校のレベル分けのために先生との面談があり、評価表に「聽力不太好,需要複問題(リスニングがダメなので復習が必要)」と書かれてしまい、それが読めてしまうことも含めて落ち込んだ。
そんなときに私の心を包むのはいつでも美術館だ。
一般価格なんと30元(日本円で135円)の臺北市美術館に行ったのは3日目だった。

William Kentridgeの作品はどれも凄まじくただただ圧倒され口をぽかんと開けることしかできなかった。
少しずつ描き替えられていくコマ撮りの連続でつくられる、気の遠くなるアニメーション作品は内容の重さと実写では表現できない狂気とは裏腹に、それを表現する膨大な計画の緻密さ、冷静さにこそ狂気を感じた。
私が社会を考えるきっかけはいつでも芸術にある。会期ギリギリで見に行けてよかった。

許雨仁の作品は今の自分とリンクするかのようだった。
美術館に行く道すがら、ふと「この街で私を知る人は私しかいない。私が私を覚えておくしかない。」ということに気づいて、自撮りを撮ろうと思い立った。
許雨仁はいくつもの自画像を描いている。混沌の時代を表すような、台湾のあるいは英字新聞の上に描かれた自画像は「自分の現在地、アイデンティティの模索」のように受け取りなんだか胸がつまって涙が出そうになった。
ひとり静かに感傷に浸るのを許してくれるのが美術館のよさだ。
枯れた田畑や、細く天まで伸びそうなくらい高い建物のような墨の絵はどれもこの街の景色と、徐々に変わりゆく私が住んでいた街と、今ここにいる自分とが交差するようだった。
許雨仁に今出会えてよかった。

突然の一人部屋に、想像していたのとはちょっと違うあまり会話のないシェアハウス。
三日ほど経って新しいルームメイトがやってきた。台湾の、私より一つ年上の女の子。
面倒見がよく優しいその子は会社を辞め、一ヶ月だけここを借りた。
お互いに一日中自由な私たちは行動を共にするようになり、出会ったばかりで生活がこんなにも近い存在は「室友(ルームメイト)」にしかなくて不思議だ。
彼女は中国語と英語を使ってコミュニケーションを取ってくれ、まだまだ拙く間違いだらけの私の発音を正してくれる。
私がご飯を食べるときにいつも「いただきます」と言うので彼女も言うようになった。

家の目の前には最高な本屋さんがある。私が読んだことのある日本の本の訳書がたくさん並び、日本語そのままの本もある。まるで私の延長線を引いていくれているようなその本屋さんで、初めての雨の日に台湾の作家の詩集を買った。
私が中国語の魅力を一番感じている「詩」は、まだまだ知らない単語が多くても眺めるだけで心が躍る。
室友に買った詩集を見せたら「読んであげる」と一編読んでくれて、その音の美しさもまた心の唸るような体験だった。
読んでくれたお礼に私も日本から持ってきた中原中也詩集の中から一番有名な「サーカス」を朗読した。
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよんをどういう意味と聞かれ、説明がとても難しくそれは何にも代え難い感動を覚えるようだった。
この詩の交換こそ、私が言語の違う台湾に来て一番にやりたかったことかもしれない。

数日間で学んだのは、日中長時間外を歩くのは危険だということ。
日が沈み始めてからやっとゆっくりと買い物に出かける。
週末の夜、街に繰り出すと無料休憩スポット豊かなのびのびとした遊歩道はたくさんの人で賑わっていた。夜風は気持ちよく外で過ごすのにちょうどいい。
しかし驚いたことに、酔いつぶれて転がっている人どころか、片手に缶ビールひとつ携えている人さえどこにもいなかった。
これが日本だったらきっとそこら中でプシュッという音が聞こえてきそうだが、台湾の人たちの飲酒率の低さを肌で感じた。
確かに私も台湾に来て全然お酒を飲んでいない。日中の暑さに必要なのはちゃんと喉を潤す飲料で、酒を飲む選択肢が全然入ってこなかった。
日本との違いを感じる発見のひとつ、飲むことは好きだった私ももしかしたら台湾での生活を経てすっかりお酒が日常から遠のくかもしれない。(し、そうはならないかもしれない。)

中国語では曜日を月、火、水ではなく一、二、三…日(或いは天)とする。
日本の曜日は中国の七曜由来なのに対し中国語はなんとも合理的なのは1週7日制という西洋の制度がどのように享受されたかの違いかもしれない。(このあたりは詳しくないのでご容赦を)
一から天までを経た私の生活が、これを繰り返すなかで「せいかつ」から「Shēnghuó」へ変わるまでを私が覚えておくから、これを読んだあなたも一緒に覚えていてほしい。

二週目の禮拜二、今日から語学学校での授業が始まる。

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