Wayback machine【予告編】
年月は全てを変えてしまいます。
6年前の夏、ガラガラの大阪ドームでセットアッパーとして投げていた20歳の若者は、今やドジャースタジアムの満員の観衆を背にして投げる、LAのエースとなりました。
6年前の夏、鳴り物入りで神戸にやってきたスペインの魔法使いは、街を魅了し、たくさんの思い出と教訓を残して去りました。
6年前の夏、憧れの存在となるため孤独な戦いに挑んでいたある少女は、たくさんの仲間と巡り合い、今や多くの人に認められるアイドルとなりました。その過程で播州訛りが失われていったのは少し残念なのですが。
さて、本当に年月は全てを変えてしまうのでしょうか?
6年前の夏、やたら大きいバッグを肩に提げ、グラウンドへの道中でプレイリスト制作に勤しんでいた齢15の少年は、6年経った今も、やたら大きいバッグを提げ、イヤホンから流れてくる長濱ねるの歌声に耳を傾けながら、グラウンドに向かっています。
変わらないものとは何なのでしょうか?
変わってしまうものがあるならば、それは何のためなのでしょうか?
もし私が“変わってしまった”のならば、それは何故なのでしょうか?
このnoteは、6年前の夏、私がアイドルヲタクと名乗るようになったあの時から今日までを振り返り、ヲタクとしての人生を再考する自省録です。
変わり者でいい
初めてあの曲を聴いたのはいつだったでしょうか。
29番を背負った、細身のサウスポー。日曜だというのに空席の目立つ大阪ドームのマウンドに彼が立つとき、あの曲が流れていました。
センセーショナルなイントロ。アイドルソングとは思えないような暗い曲調。そして、「変わり者でいい」というあのフレーズ。
彼のグローブに「欅」の一文字が刻まれているのは知っていました。そして、彼がそのグループの楽曲を登場曲に選んでいたことも。
とっくのとうにBGMは鳴り止み、試合は始まったというのに、一度聴いただけのその曲が頭から離れませんでした。
ドームから帰る道中。私は魅入られたかのようにその曲のMVを見続けました。髪を振り乱し、靴を振り回しながら踊る彼女らの姿は、私の抱いていたアイドル像とはおよそかけ離れていました。5分足らずの楽曲の世界に、私は夢中になりました。
そして、平手友梨奈。
閉ざされた共同体を抜け出し、自由を謳歌して、最終的に希望の海へと辿り着く彼女。
「変わり者でいい」というフレーズを体現したかのような彼女の姿を見て、私は「ああなりたい」と思ってしまいました。
欅坂46の「エキセントリック」。
この曲から、私のヲタク人生は幕を開けました。