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王様の耳はロバの耳。

コーチングを通じて僕が目指したい姿について今日は書いてみたいと思います。

僕がコーチングに出会ったのは、もしかしたらどっかで聞いたことがあるような話かも知れないけど、仕事で辛くなった時だった。鬱、というやつは診断が降りなければ鬱ではないと思っていた。ただ、パソコンの前に座ると、呼吸が浅くなり、心臓がぎゅ−として、手が震え出した時、どこかで崩れる音を聞いたんだ。

「これ以上は、もう無理だ」

自分は弱いのだと思った。いわゆる外資系の大手に勤めることができるぐらい優秀だと思っていたにも関わらず、それを維持することができなくなった自分への不甲斐なさが全ての感情に勝った。

もう、こんな仕事は、こんな仕事の仕方はもうできない、とそれから暫くしてから考えるようになった。それは、ほんの小さなきっかけがあったけど、家族を支えるために、自尊心を取り戻すために、もう一度「長く務められる仕事」に就かなくてはいけないと思うようになったからだ。

仕事を探すうえで、やはりこれまでの失敗は繰り返せない。また辛くなるような体験はごめん被りたかった。だからこそ、今まで以上に自分について知りたいと願った。そして自分が本当に、心からやりたいと思える仕事に就きたいと思った。そしてコーチングに出会った。

コーチングが魔法のように万能で全てを解決をしてくれるわけではないと思う。だけど、コーチングには、カウンセリングやメンターとの会話にはない魅力があった。それは、前に進むことを約束してくれるからだ。

仕事が辛い時に、思ったことがある。仕事が辛いといえば、たいていの人は労ってくれる。これは幸せなことだ。だけど、今から思い返せば「もっと頑張りなよ」っていってくれる人も必要だったのではないだろうか、と。仕事がつらければ、精神を病むような状態になっているのだから、そこから頑張れっていうのは、なかなか昨今の状況の中では聞けない言葉だと思う。でも、もしかしたらどこかで、頑張れと応援してくれるのを期待して愚痴っていたのかも知れない、とも思う。


タイトルは、有名な童話だ。王様の耳がロバの耳であると気づいた床屋の店主は、穴に向かって本当に言いたいことを言うのだ。その後の部分は割愛するとしても、その部分「本当に言いたいことを言える」「自分に嘘をつかない」そして、話た秘密は守られるという安心感は、非常にコーチング的ではないだろうか、と思う。

僕は誰からの心のそこで、誰にも言えないけど、本当は言いたくて、言葉にしたくて、うずうずしてしまうような言葉を、物語に出てくる“穴”のように耳を傾ける人でありたいと思う。誰にも言えないことを、自分以外は誰も関わりのない第3者に言えることの大切さは、あると思う。

もし、これを読んで「聞いてもらいたいことがある!」という方は、ぜひ、僕も含めてコーチを見つけてみてもらうと良いのかも!と思うわけです。

今日はこんな感じで。

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なみはら
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