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受け入れるプロセスは、孤独と怒りを経て

朝の読み合わせ、再会しました。
そしてトピックが余命、拒絶、孤立。

最近、なんか死について考える機会が多いように思う。

こういうのは剥き出しの感情が大事だと思うので、今日のところは推敲なし。誰のためではなく、自分のための文章を書きます。

キューブラー・ロスの死の受容プロセスと呼ばれる5つのステップというか流れについて初めて出会ったのは実は「怒りの受容プロセス」という形でだった。

何かについて怒る時、多くの場合は、損失や喪失を目の前にした場合に多くあるのだけれど、その中で生まれた怒りを自分の中で溶かして無くすのに、最後に自分の中に受け入れるのに、この5つのプロセスを経ることがあるのです。

書いてみて思ったのは、人は死に対して、怒りを感じるのかもしれません。怒りは2次感情、つまり何かの感情がトリガーとなって発生する、それ自体では生まれない感情なのだとか。

とするならば、死という概念をそのまま受け取れないからこそ、人は怒りを感じ、その怒りを沈めていくなかで、自分の無力感や、怒り、もしかしたらあの時と言ったような過去改変の望みや、すべてを感じない、シャッターを下ろすことで平穏を保とうとする抑うつを経て、最後の最後に、人は受け入れることができる

出口が見つからないエネルギーのようなものがアチコチに姿、形を変えて出ていける場所を探している、そんなような感じもあるような。

受け入れるということだけが全てじゃないとも思うんですよね。
受け入れない、そのままにする、そして時間が経つことを感じること、それも一つの受け入れ方だと思うんですよね。

何も結論があることだけが幸せじゃない。
上手くはいけないけど、きっとそんなのもあるんじゃないかなと。

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なみはら
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