見出し画像

どうも、ぜまとなかいです。

旧アイコン。名前は黄泉子(よみこ)ちゃん
黄泉子は僕の分身です


長文を書くのは卒論ぶりかもしれない、ぜまとなかいと申します。
今回ははじめての投稿ということで、なんで僕が創作にハマったのか、アニメと絵と音楽を中心につらつら書いていきます。

1 ちっちゃい頃


幼稚園児の頃、「将来の夢は漫画家です」って言ってたのを今でも憶えている。
これは、小さい頃から絵を描くのが好きだったことに起因する。当時はよく、担任の先生に手づくりの紙芝居をしたり顔で見せていたなあ。変わり者だった僕は、なぜか漢字にはまってしまい、それを紙芝居に描いていた。お気に入りのコラショとともに。(姉が真剣なゼミをやっていた影響で、ビデオをよく見ていたことに起因するのかも)
そう、幼稚園児にして小学校の漢字を習得する奇天烈キッズだったのだ。
余談だが、赤ん坊の頃から奇天烈ぶりを発揮していたらしい。親がよく流していた英語ビデオで、英語の発音を習得していたのだ。英会話が苦にならないのも親のおかげだとつくづく思う。
一方、放課後の絵画教室に通っており、まともな絵を描くのは好きだった。ただし絵心は皆無。

小学校に上がってからは、あんまり絵を描かなくなっていた。というのも、明言は避けるがとりわけ健康・運動に対する意識が高い学校だったのだ。そんなわけで隠キャのワイもたまに外で運動(?)するように。
それ以外は何をしていたのか?そう、僕の人生を形作ったピアノだ。ピアノを始める前までは、水泳や体操、図書館にこもっての読書に傾倒していた。
だが、姉がピアノをやっていた影響で、小学2年生にしてピアノデビュー。当時は始めた時期が遅いという意識があって、早く他の子に追いつかなきゃという思いで必死だった。
だから、課題曲を完璧に弾けるまでレッスンで弾きまくったし、どんどん先の曲へと進んでいった。思えばそれが楽しかった。ミスこそすれど、弾いている時の快感がたまらなかった。
(同じような理由でそろばんにも熱中していた。検定で3級まで取れたものの、2級で落ちまくって結局中1で挫折w) 一方、絵の方は?というと小6になるまでほぼノータッチ。

アニメはプリキュア初代を筆頭に色々とハマっていた。きらレボとかしゅごキャラ、かみちゃまかりん、マイメロとか。声優の存在を小1にして認識している謎のキッズだった。また、小3でYouTube(まだヒカキンがデビューしたての時期)にハマって、ボカロや東方に沼ってた(小5の頃、akbに熱中してて一時期中断してたが)。
小6の時、絵をまた描こうと思って、落書き帳に書き殴った。でも他の人と比べてもデッサンは滅茶苦茶で絵心も皆無。それでも描きまくった。それも、当時やっていた推し作品・「神のみぞ知るセカイ」や「けいおん!」、「プリティーリズム」のキャラが描けるようになりたかったからだ。
ただ、当時の夢は「声優」だった。クラスメイトに声真似を披露しているうちに、声優ならアニメの仕事ができるぞって漫然と考えていたのだ。

2 中学

中学では、同期が誰もいなかった。だからこそなのか、入学直後の授業で強烈な違和感を抱いた。
「あれ、コイツらなんで授業中になると狸になるんだ?」
休み時間には騒ぎ立てていた人達が、急に授業中になると一言も発しない。発言すらしない。狸地蔵のような雰囲気に違和感しかなかった。小学校の時は積極的に発言していたからこそ、感じた違和感だった。それに、中学生特有のいじめ・人間関係のいざこざもあった。その雰囲気に耐えられず、授業中はいつも落書きが溜まっていった。(但し、テストは数学以外大体できた)
一方、趣味も思いっきり羽を伸ばせたと思う。当初は軽音部に入りたかったものの、部費の関係で漫画部へ。1つのサークルみたいでなかなか興味深かった。さらに、pixivで絵を漁ってみたり、リア友とボカロ曲をシェアし合ったり。「Project Diva」や「プリリズ・プリパラ」経由で友達と仲良くなった。中学時代のもやもやがあって、カゲプロや「東京喰種」のようなダークファンタジーにも傾倒していた。
その一方で、日本文化にも傾倒していた。小学校の時から百人一首に触れたり、東方bgmやキャラ設定にどハマりしたりしていた。中1の時は、本気で平安貴族に憧れを持っていた。それが爆発したのが中3の修学旅行。「東方神霊廟」の舞台に近いという理由で古都の文化的価値観に感化され、「アニメ関係の仕事がしたい」から「日本の魅力を発信したい」という夢に変わった。声優はシビアなセカイだと感じ、諦めた。一時期ピアニストになりたいと思ったが、これも諦めた。
ピアノは練習時間が確保できず、若干スランプに陥ってた。うまくならないのが悪と感じていた僕は遅刻癖がついていた。だが、遊びに傾倒しすぎて叱られてしまったので、また頑張ることにした。そこからはクラシックにどハマりしてずっとソナタばっかりやってたw
と言うのも、中学からずっと推してたまらしぃさんのように、かっこよくアニソンやボカロ曲を弾けるようになりたかったからだ。

3 高校


厨二病とオタクが加速した中学だったが、高校はさらにそれが加速した。「アイカツ!」のユリカ様や「ラブライブ 」のヨハネの影響で、ゴスロリに深く深くハマった。世界史の授業で西洋風・ゴシック建築にハマったり、ディアラヴァとかあんスタのValkyrieみたいなクラシック・クラシック全開なものにも沼った。(スクフェスとあんスタはワイの青春)
和服・日本文化にも引き続き傾倒していた。和装のオリキャラを量産したり、美術の絵本課題では平安貴族をテーマにした絵本を描いたり…
ただ、高2でカナダに留学してからは強烈なカルチャーショックを感じた。それは、僕ら日本人とカナダ人の日本文化に対する認識が異なることだ。明らかに海苔巻き寿司ではないものを、ホストマザーは「巻きロール」と呼称していたのだ。このカルチャーショックがきっかけで、日本と海外の比較文化を高校の探究学習、そして大学で勉強した。この辺りから、「日本の魅力を海外にちゃんと伝えていきたい」という夢に変化。
それ以来、文化財や観光地を巡ったりアンテナショップに行ったりするのが楽しいと感じている。そうした価値が保存されていることにも感動するし、絵や音楽のインスピレーションにも繋がる。
特に高3の春に家族で行った国内旅行でそれを感じた。将来は日本の魅力をもっと知ってそれを伝えていきたいと。
一方、ピアノではソナタをずっと弾き続けており、少しずつ腕が上がっているのを感じた。特に頑張ったのが高校最後の発表会。「幻想即興曲」を半年くらい練習し続け、速弾きを習得。ピアノの習い事自体は高校卒業まで続き、今でもたまーに弾いてる。
それ以外の音楽に関しては、リア友の影響で邦楽ロックにハマっていた。具体的にはヒトリエとかUnison Square Gardenとかそこら辺。後ヴィレヴァンでたまたま聞いたfake typeが割と好みだった。
絵に関しては、「Go!プリンセスプリキュア 」(姫プリ)にハマっていたこともあり、それ関連の絵垢を作っていた。画力は上達したものの、「相互さんが喜ぶ絵を描かなきゃ!でも他ジャンルの絵も描きたいな」と葛藤を繰り返していた。でも姫プリが終わってから、遂に心労が溜まってしまった。
「人の顔色ばかり伺う絵を描いて、楽しかったんだろうか」と思い、垢を消してしまった。

こんな感じで趣味は充実していたし、学生生活と委員会活動(という名のリア友との放課後サークル)は楽しかった。
だが、今思えば僕は優等生のふりをしていただけだった。いい大学に入っていい会社に就職する。ただ、それだけのために必死に勉強して、移動時間や食事時間でさえ参考書を片手に持っていた。いい大学に入りたいからって理由でずっと授業やテストをこなすのもいいけど、やっぱプラスアルファの学びがないと人は成長しない。中学時代に感じた違和感の正体だった。
僕の高校には、科目ごとに習熟度別クラスという名の階級社会があった。僕はそこそこ勉強ができたので、一応全部特進クラスに座していた。授業の度に移動教室があったものの、僕はずっと教室も座席が同じだった。なんだかつまらない。だって環境も変わらないし。
それに、高1の頃から「特進クラスだから」っていう謎の選民思想を植え付けられていたように思う。いつも真面目な「ぜまとなかいさん」を演じてたからこそ、ストレスの捌け口が必要だった。

4 大学


大学は、一応難関大にたまたま受かって入った。当初はひょんなことから入ってしまった、という感じだったが、僕の人生を180°転換させた。
まず、自分のやりたいように人生を歩んでいる人が多かったこと。割と色んな授業や学内プログラムに参加していたこともあり、多様な人種に出会った。国内外からやってきた留学生の子、ピアノで賞を受賞したサークルの先輩などなど…
本当に刺激になったし、コミュ障陰の者だったワイを大きく変えたと思う。

次に色々なことにトライできたこと。日本文化講座に参加したり、短期留学したり、弓道や書道を齧ってみたりもした。ピアノサークルに入って、クラシックのガチ勢にたくさん出会った。地方創生に携わったり、教育のボランティアをしたり、芸術祭を見に行ったりもした。さらに、病院のボランティアに行って、患者さんやヘルパーさんとたくさん交流もしたし、フィールドワークの一環で地元の観光地でお祭りを主催している人達に取材を申し込んでみた。
必修の授業では色々考えさせられることが多かった。なぜ人の手を加えられた自然は美しいのか、とか日本文化がなぜ海外から注目されているのか、とか。でも人文科学的な考えが自分には合わなくて、結局人文系以外のゼミに入ったんよなあ(遠い目)。

そしてコロナの感染拡大で大きく価値観が変わったこと。元々日本の魅力を伝えたいっていうのもあって、広い視野でできる公務員に憧れていた。2年の春から入塾して受験勉強に励んでいたのだが、コロナ禍になってからはその気持ちが一層強くなった。明言は避けるが、とある省庁のインターンに参加していた。その際に社会を変えていくというキーワードに惹かれた。その省庁のイベントにも積極的に参加した。
ところが、公務員試験は振るわなかった。今思えばsnsやゲーム、アニメに熱中しすぎていたのかも。全落ちしたというショックから今後どうすればいいか分からなかった。(この時から歌ってみたとか作曲活動を独学で始めるようになった)
そのため、片っ端から中小の役所、志望業界ではない企業にまで応募を続けた。ただ、志望動機が明確でないなどの理由で軒並み落ちた。この時、並行してボランティア活動に従事していた。活動内で英語対応したというエピソードを今の会社に話したところ、内定がもらえた。

趣味に関しては、fgoを筆頭に色んなソシャゲ(バンドリ、ヒプマイ、プロセカなど)にハマっていた。スクフェスやあんスタのようなアイドルものに沼ったワイにとっては新鮮だった。特に新鮮に映ったのは「第五人格」。
当時バイト先の人間関係に悩んだこともあり、勤務終了後ランクマを回しまくっていた。というのも、そこに出てくる「白黒無常」というキャラクター性にハマっていたのだ。
結局コロナが蔓延する直前にバイトは辞めたものの、コロナで人と会えないショックから毎日のように第五に依存してた。思えばあれは病気の域だった。結局5段の3まで上り詰めたものの、前述の公務員試験の勉強もあって結局手付かず。その後一念発起して再開しようと思った矢先、体が動かなくなった。そう、就活失敗したというトラウマから第五人格が出来なくなってしまったのだ。(後はウマ娘経由で競馬や乗馬にハマってしまったっていうのもある)
でも今も実況者さんの動画は見るし、イベントにもまた行きたいと思う。
fgo に関しては、高校で世界史をやっていたこともあり、初めてみたら一気に沼った。小説が圧倒的にリアリティがあって面白く、今でも続いている。特に印象的だったのが2部6章で、僕の考え方を変えてしまうほどだった。
「この社会はクソだ」「社会は気持ち悪い」
「就活なんざ社畜のコスプレするオーディションじゃないか」
とオベロンの思想を真似て、厭世観と就活に対する違和感を抱いていた。(まあ、nntだったってこともあって、余裕がなかったからこうなるのもむべなるかな)
でも、内定先インターンで働くことの楽しさを知った上、絵や音楽で自分のモヤモヤを発散していけばいいじゃんと思ったこの頃。

他にも、自粛期間中は色んなアニメや音楽を齧ってみた。アニメはリゼロやSAO、幼女戦記など色々見てた。音楽はプロセカの影響でボカロに再燃したり、髭男や椎名林檎などコード進行が面白いものにハマったりもした。Arte Refact楽曲(あんスタ、プリパラ、ラブライブ)やアリプロに沼ってたワイからすると、かなり新鮮だった。

5 まとめ

幼少期からの経験を踏まえて、僕はずっと創作活動が好きだってことが分かった。社会への違和感・日本文化への憧れ・色んな経験から得たインスピレーションが今後の創作活動の軸になっていくと思う。
そして、お絵かきとピアノが好きだっていう思いから、自分で絵をつけて作曲するのがなによりも楽しい。変化する社会の中で、絵や音楽は不変の価値だと思うし、僕にとっての表現の場だとも考えている。
一方で二次創作や歌ってみたも楽しいから、細々と続けていきたい。今のところは自己満とストレス解消のために継続したいかな。

今回は長くなっちゃいましたが、ご覧いただきありがとうございます。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集