2024_07


前回のこれから思考繋がっています。そんな日も経ってないし

日記を書きます。といってもはてなブログの下書きに一月毎に感じたこと・考えたことを書くようになってから1年経ったそうです。
そもそも自分の思考を言語化することに対する能力の低さやコンプレックスからわざと留年して始めた作業で、最初半年くらいは見返しても?が浮かぶこともしばしば

それでも人として比較的根っこの部分にありそうな所が育った期間なんじゃないかと思ってます。

Q.この1年何してた?
1.学生なので図書館で本借りるor買って読む
-小説に新書や思想の入門の入門、エッセイや河合隼雄なんかの精神に関する本とかとか
2.興味のある事柄の講演会なんかに参加
-性的少数者とか社会問題とか

Qなぜ読書なの?
これまで何してきたかで回答としたい
自分語りする場だからちょっと長くさせて

本自体は中学から読んでた(ラノベとダレンシャン)
それが中学の終わりごろに君の膵臓を食べたいがクラスでブームになり小説も触るように。
呑気に生きててこの時はまだお友達っぽい人もいた。

高校では図書室にあった西尾維新を読んでるテンプレオタクルートいってた(獣の奏者とかおいしいコーヒーの入れ方なんかもちょいちょい)
高校3年間の内、前2年は運悪く番号の席順とはいえ教卓の正面に。
この座席が思春期の自意識に猛毒で、後ろからの目線しか頭になくなり家で夜眠れなくなる。当然友人などいない。
気になって家で寝れないから授業で寝てしまう→起きて恥ずかしくなりまた人の目が強まるの無限ループをしてた
高1の終わりくらいにはもう娯楽としての読書から逃避としての読書に次第に置き換わってた
高3には1回3時間だけ部活に来た人に対する1対1の「イジメ」の加害者として高校様に認定されて諸々崩壊。ストレスで3回気胸の手術することに*
コミュニケーションに問題がなかったとは思っていない

なんとか卒業でき、さして勉強しないでも入れてしまった大学に大して悩みもせず入学もした。
一人暮らしの環境を与えられ、前半2年は抑圧からの解放と視線のリセットが嬉しくてゲームばかりしていたがそれでもまた人の目を気にするようになってしまい右往左往しつつまた逃げるように本を読むようになった。

振り返るとこんなもんで、拙い人生経験の中でそれくらいしか選択肢がなかったからってのが正しいかもしれん

話が少しズレるが、読書に対する姿勢でいえば、この2年もおかしかった。
というのも、書籍全体を通して何を書かれているかを理解をしようとしていなかった。
単に不眠による脳の縮小で理解力が乏しいてのもあるかもしれないが、精々開いている前2,3ページを通して「自分はどうなんだ」ってのがあまりにも大きくて自己との対話と世界の遮断の道具として使っていた節があると今気が付いた。
元より読んだ内容を話す人間なんていないのでそれでいいのかもしれないが多少なりとも自分でこんなことが書かれていたとアウトプットできるようになりたいものだね

Qなぜ講演会に?
これも読書と一緒で自分を知覚するためのものに過ぎない
読書は内側から、講演会は外側から
自分探しは使い古された言葉なので理解に用いないように


はてさてそんなこんなで大学ももうすぐ卒業してこのままだと無職な訳ですがどうなんですかね
大学後半はそこそこ充実したと感じているけどどうにも社会ではそんなこと無駄無益らしくて4.5年間何もしてこなかった人と評されるらしいです。


前置きはこれくらいにしときます。
数日前にガルクラの書きなぐりを書いたのですが、その後色々noteを漁りました。
アニメの感想を自分から発信するなんていかにもオタクらしい初めての行いだけど、amazonで買った空白とカタルシスのメガジャケの扱いが分かりません。もうオタクじゃないので

思っていたよりも自分同様ニーナに救いを求めてた人が多くて嬉しい&そうじゃねえだろって声もちゃんとあっていいね
て思ったけどロシア語を話す女がエロいだとかショタで抜くようになるなだとかトゲトゲ内で誰と誰がセックスしてるだとかしか流れてこなくて裏切られた気分

あの時の僕の気持ちはあれで間違ってはいないので置いておく
やっぱり俺はトゲトゲに嫉妬してる。
そんな生き方できんのか?って画面の前で指咥えて観測しながら日々を消化するしかないから
「救い」や前に書いた「癒し」って表現が他のnoteの解釈として合っているのかは分からんけど俺はそう理解した
人生において多分に含まれる「やらなければいけないこと」に大きな意味付けを行うのではなく、もっと小さな、(やらなくてもいいけど)やれたら生を実感できる・できそうなものに意味付けを行うことで生きていくというのは就活をしなければいけない自分には欠けそうだった視点なので助かります。

何に意味を見出して生きるかってのをロゴセラピーって言うらしいですよ

「ニーナが成長したという表現だけは絶対に違うことが分かる」
という言葉を書こうとしてチキって消した訳だがそれに似たようなことを言っているのもあって不必要(?)な肯定感を得てしまった。
なんでんかんでん書いておけばよかったという後悔
舞風つむじさんにシンパシーを感じつつ知らん所見てておもろいなとなった次第


セルフケアの波が嫌い

セルフケアって何?ってのはこれとか参照

要は男も化粧やスキンケアを行うことで心も健康にしましょうね
自分の体に優しくしたらば自己理解に繋がるし他者にも優しくなれるかもね
ということなんだが嫌~な感じがする
別にこの後核心めいたことを言うためのフリじゃないよ
それを言葉にして終わりだ

美容の先駆者としての女を出してたけど本当にその領域に近づきたいと思うか?美醜気にし続ける一生嫌すぎだろ
外見を気にしなくて済むことが男性特権としてあるなら女をこっちまで降ろす運動をする方が自由になれるだろ。そんなに入れ物の細部が大事か?
俺は何もせずともどのような状態でも自分の体全て好きだしそんなことせずに日常を過ごすだけでも魂の美しさで自分を満足させられるけどね
生きていく上での傷や変化をもっと愛せよ
俺はもっと悍ましく生きたい。ヒトの枠を広げるために。
企業の提示する枠の中での美しさに追従する形でしか自分を労われないかわいそうな人間になりたくないから


都知事選なんかおかしくね?
なんかってのは知らん。これも俺の知るところではない。
東京都民ではないし今のところ移住する予定もないのだが、snsでは都知事選の投稿が腐るほど流れてきた。というか腐ってた。
何がおかしいって自身が支持する候補者以外への攻撃的な投稿しか流れてこないことだ。アチシの支持する子がどれだけ優れた政策を掲げ、それを行うことでどのようなメリットがあるか、についての投稿がほとんどない。
本来政治的立場の選択ってのは個々人の産まれや受けてきた教育、現在の職や立場なんかが大きく関わってくると思うのだがそういったものが綺麗さっぱり抜け落ちているように思えた。足元見えてますか~?ってこと
候補者もまあおかしかったんだが、なんというかそれよりも都民がそれぞれ所属していて心地のよい候補者についてお祭り(ハレの日)しているだけのように見えてその点が不可思議だった。これはもう推し活ってバカにしていいよね?
騒ぐなら毎日騒げよ

内田樹がそれっぽいこと書いてました

僕は内田樹のことを寝ながら学べる構造主義と街場の〇〇論(未読)の人くらいの浅い認識なんだけどまあいいや
多様性という概念の台頭と共に劣ってること・未熟であることもそれに含まれてしまって、成熟を妨げるものになっているって感じかな?
本屋では自己研鑽(仮)の書籍がどんどん増えていってるのに皮肉なことだね


卒業してもなんも嬉しくねえ
一応卒業が決まりました。
卒業要件の単位を全て満たしたという意味です。
単位を得た=何かしらの知識を保有しているなんてこと一ミリもないね

卒論を出して単位が出ることが確定した日は1年ぶりくらいに酒を飲んでみたけど何もうまくなかった。やっぱりまがいもの

この大学に入って良かったと思える瞬間が一つもない
大学全体として学生がどこに就職するかしか興味ないウンコみたいな場所だし教授もなんかこのまま死んでいくんだろうなって容易に想像できるのしかいなくて全部ゴミだ
一般教養のババアには唐突に「もうちょっと普通に生きたらどう?」って提案されるしモグリで講義見物しようかと思ったら追い出されるし研究室の教授は明らかに嘘な自称鬱境界知能のカスを俺とセットで卒業させることしか考えてねえ
図書館には一度も開かれていない栞挟みっぱなしの新書と誰も読まない型落ち専門書がちょっぴりと就活に関する意味のない本ばっかで誰も使ってねえ。なんだここ?

地方で雇用を生み、老人同士のコミュニティ形成に役立っているその一点のみ評価している



今月はここまで。月初めに投稿して加えてったけど俺を見ろって気持ちが強いので改めて上げます

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