2024_08.5

最近トゲトゲの曲を[なんとなく強い曲]として普段から消費するのをやめました。叫びだから

あえていらないことを挟むとすれば、作品が好きであること=その作品の供給される全てのコンテンツを受け入れられるというのは成り立たないと思っています。
何が言いたいかというと、ガルクラは好きでもラジオやライブや声付けた人などには全く興味ないということです。自分と同型のオタクが自分は観測できないでいる。
ガルクラじゃなくてもアイマスでもなんでも
視野狭い?そうね
それはそうとスマホゲーになったり一番くじでブライダル衣装着たりなんなんだお前ら
どんどん現実味が薄れていくからアニメほんへしか愛せない人になってる

しかしながらトゲトゲの曲を聞くべきタイミングが今です。 なぜなら一般に就活と呼ばれる活動をしているので
いくつかの企業の説明会に参加しました。
質問をされないように(?)完璧な「発表」を行う人
眠そうに、というか半分寝ながら適当に説明する人
テキストで質問された際の漢字すらまともに読めないけど年齢からくる経験でなんか分かった感を与えてくる人
何年も前の資料でとりあえずこなす人

グラデーションがあって大いに結構。素晴らしい社会だと思います
まだお客様なので
ただ面接となるとやっぱり違いますね
審判する側とされる側で明確に逆転しますし
久しぶりに「あぁ、こいつキチガイだ」って顔されました
最高の経験でした
人そのものには慈しみを持つけど無理なこともある


自分の中では地続きだけど)話を飛ばして、自分の思想に似てる部分や共鳴する部分が多く感じられたのでフランクルに関する書籍を買いました。
・それでも人生にイエスと言う
・死と愛
の2つね。夜と霧は以前読んだ
あんまり関係ないんですけど夜と霧って「自己啓発書」に分類されちゃうこともあるらしいすね。
自分は自己啓発書って体育会系のまま会社入った人が鬱にならないよう空虚な鎧を増やすために読むものって印象あったので驚きでした。

じゃあ内容を簡単にまとめようか
死と愛はまだ届いていないので前者のみとなる

事前情報として、「それでも人生にイエスと言う」はナチス収容所からの解放後そんな経ってないタイミングで行った講演を収めたものだよ。
だから分厚い専門書の如く小難しい概念をこねくり回してる本じゃないよ

フランクル曰く、人の根っこにあるのは「意味への意志」だという
これはフロイトの「快楽への意志」、アドラーの「力への意志」よりも人間の根源的な意志であると提起したものね
快楽への意志は生理的、力への意志は社会的に説明できそうなあれね
では意味への意志は?→実存的欲求だそうな

Q.改めて、意味への意志とは?
自分の人生を意味で充たされたものにしようとする欲求(?)
生きる目的の追求(?)そんな感じ
ここら辺言葉としてしっくり来てない

では意味への意志はどのようにして充たされるのか?
ここで必要なのは「人生から何を私たちはまだ期待できるか」、という疑問ではなく、「人生が私たちに何を期待しているか」という思考の転換らしい

人生から何を私たちはまだ期待できるか、という視点でいては人生を構成する世界全てが絶望的状況になった時に脆く、崩れ去ってしまう
なので、人生が私たちに何を期待しているのか、という転換をしなければならないというロジックだ

自分の言葉で変換しよう
人生とは絶え間なく過ぎ去っていく今この時であり過去である。
その1ページ1ページにはどのような行動を取るか、何をするかという疑問が人生から投げかけられている
ふと人生(過去)を振り返った時にどのような意志を持って何を行動したか、という意味の充ちたページが多い程[充たされた人生]と言えるのではないだろうか
場面場面での選択肢を主体的に選択し最善を尽くすのって良いよねってのは雑すぎ?

転換したなら残り2つの意志も変質してもよくないですか?

意味への意志も含めた「3価値」の概念をフランクルはご用意しております
快楽への意志→体験価値
力への意志→創造価値
意味への意志→態度価値

体験価値-何かを体験すること、自然、芸術、人間を愛することなど
創造価値-何かを行うこと、活動し創造することなど
態度価値-可能性が制約されている状態であり、避けられず逃げられない事実であってもその事実に対してどのような態度を取るか


やはり注目すべきは態度価値の概念だ。これは夜と霧に色濃く出てると思う
相対化され順位付けの加速した世界で自己の世界でのみ完結しているこの概念はより輝きを増しているのではないか
可能性が集約されている状態、避けられず逃げられない事実、というのは少々言葉が重いかもしれないが苦難を受け入れた上でどのような姿勢でいるか、というのを考えるのは[思春期の心の臨床]の事例紹介でも言及されていたことであり人の成長に欠かせないものなのかもしれない
昨今、悩みというものは取り除く以外の選択肢が見えにくい状態になっているように感じる。
どにも昔はそうではなかったらしく時代の進みは全てが良いことではないと改めて思ったり思わなかったり
どのような態度で生きるか瞬間瞬間だが熟考する必要がある

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