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スピッツと苦いコーヒー。そしてビール
1人での日曜日の過ごし方の正解がいまだに分からない。休日が終わると思うと気持ちがソワソワするからだ。
特に最近仕事が忙しいため、この日はとくに憂鬱だった。仕事を少しだけ進めて気持ちを楽にしておくかとカフェへ移動。よく行く星乃珈琲店に入った。Spotifyからはスピッツの『愛のことば』。
今 煙の中で 溶け合いながら探し続ける 愛のことば
もうこれ以上 進めなくても 探し続ける愛のことば
聴きながら、うまく紡げなかった言葉について考えを巡らせた。想いを言葉にすることを大切にしてきたはずなのに、好きで大切で必要で、だから「一緒にいたい」。それを上手く伝えられなかったのはどうしてなのだろう。
そう思うと、ただただ涙が溢れるばかりで苦しかった。恋愛だけじゃなく最近は、いろんな事に対して言葉が出て来ず息苦しい。自分は何が大切で何をしたくて、今東京で一人必死に生きているのか分からなくなった。
はやく上手に話せるようになりたいなとやるせ無さを噛み締めたとき、ちょうど店員さんがコーヒーを運んできてくれた。花粉症のフリをしてティッシュを出し、そそくさと鼻をかんだり涙をふいたりした。
コーヒーはいつもの彦星ブレンドだけど、一口飲んだら何だかいつもより苦かった。これくらいの苦さが今の私は合っているなと染み渡り、心がほっとした。コーヒーの匂いに救われることはあったが苦みにも救われる日が来るとは。
その間もずっとスピッツが流れていた。スピッツの歌詞はきらきらしていて凄い。春なので気をとりなおして『グリーン』を聴いた。「ときめきに溺れそう」なんて今の自分には程遠く眩しすぎるけど、きらきらした言葉を浴びると元気になる。(ハライチのラストM-1直後のラジオを思い出してさらに泣いた)
コーヒーといえば、彼は「コーヒーはほぼビールだよね」が通じる人だった。彼の口からその言葉を聞いたとき「分かる!」と言った私の表情は異常にきらきらしていたことだろう。そんな些細なことを分かり合えれば合えるほど、やっぱり彼しかいないと思っていた。
しかしこのあいだ友達にポロリとコーヒーはほぼビール話をしたら、速攻で「分かる分かる!!!」と共感してくれ、意外と周りに分かってくれる人がいることを知った。そう、意外といるのだ。そして拙い言葉でも、伝わるものなのだ。
日曜夜の人通りが少ない下北沢からの帰り道、スッと心に爽やかな風が吹いた。私のSpotifyからは、この日もスピッツ。“”あのきらきらの方へのぼって“”いく日を夢見ながら『正夢』を再生した。