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メギド72「東方編」の感動を『失楽園』で解き明かす(2024年4月4日更新版)
できるだけ多くの人に見てもらいたい面白い考察なので、「スキ❤️」と「各種SNSへのシェア」をしてもらえると嬉しいです!
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お手数ではございますが、ご協力のほど何卒よろしくお願いします
『メギド72』アプリ内にて開催されているイベントシリーズ「東方編」では、エルプシャフト文化圏のはるか東に位置するカクリヨの地で活躍するメギドの力を継承した12人の反逆者、東方12傑に関連した物語が描かれています
本noteでは、「東方編」で描かれている愛・自由・忠義などのテーマについて、より深くテキストを楽しむために、ミルトンの『失楽園』を前提とした表現について考察していきたいと思います
本noteは「東方編」捌『帰らばや、我が故郷へ』が公開される前に、この情報を前提に全体の話を読み直して考察をしておきたい……という方に向けて敢えて書きかけで公開していました。
この更新版は、「東方編」捌『帰らばや、我が故郷へ』公開から一定期間が過ぎたので、「『失楽園』との一致が何を意味するのか?」以降に僕の考察について加筆したものとなります。
以降メギド72「東方編」全体に関するネタバレがあります
ご了承ください
ミルトンの『失楽園』
ミルトンの『失楽園』は、キリスト教文学を代表する叙事詩で、堕落天使Satanによる叛逆と、人類の原罪、楽園からの追放を描いた作品です
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以降、ミルトンの『失楽園』を読んでいることを前提に説明をしますが、難解な作品であるため、今回のnoteを読む上で最低限抑えておきたい、重要なモチーフを以下に7つ示したいと思います
神……絶対的な存在・人の親
悪魔……神を妬み、人を誑かす存在・堕落天使Satan
男と女・人……支え合うべき関係・自分の半身
楽園……苦労せずにすべてが手に入る場所・隔絶された場所
知恵の実・原罪……守らなければいけない約束
惨めな姿……地を這いつくばる・喋れない・蛇
アブディエル……叛乱の否定
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また、今回のnoteで扱う内容を理解する上で、もっとも重要な表現を1つだけ前もって紹介しておこうと思います
(この後に登場する際にも説明を加えます)
世界がーーそうだ、安住の地を求め選ぶべき世界が、今や彼らの眼前に広々と横たわっていた。 そして、摂理が彼らの導き手であった。
二人は手に手をとって、漂白(さすらい)の足どりも緩やかに、エデンを通って二人だけの寂しい路を辿っていった
この「安住の地を求め選ぶべき世界」とは、私たちが現在過ごしている、この現実世界を指しています
『失楽園』の中で、アダムとイブは自分たちの罪を反省し、促される形で楽園を出て、私たちが暮らしている世界(新天地)へ旅立って行く、ということが重要です
東方編は『失楽園』なのか
まず本題に入る前に、メギド「東方編」と、ミルトンの『失楽園』の関連について考えてみたいとおもいます
大枠の類似とは何か?
今回注目したいのは物語の大枠の類似です
まず、僕の考える物語の大枠の類似について説明するために具体的な例を挙げてみたいと思います
カエルの夫婦に大切に育てられたリンゴから産まれた少女が、猫、オラウータン、鶏と共に冒険し、天狗を倒す
説明するまでもありませんが、この『リンゴ姫(仮)』は日本人なら誰もが知っている『桃太郎』を元にした作品?のあらすじです
この『リンゴ姫(仮)』が『桃太郎』を題材としていることは、誰の目から見ても一目瞭然だと思いますが、ではなぜ『桃太郎』を元にしているのか分かるのでしょうか?
その理由は、私たちは物語を理解する際に、登場人物同士の関係に注目するからです。
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『桃太郎』は老夫婦に育てられた桃から産まれた少年であり、犬猿雉を連れて鬼を討伐する物語であり、『リンゴ姫(仮)』はそれぞれの登場人物の関係性が対応しています。
だから、私たちは『リンゴ姫(仮)』を『桃太郎』を元にしているのか分かるのです。
登場人物同士の関係性を利用して物語を作る場合、仮に桃・犬猿雉・鬼などの「キーワード」を完全に無視したとしても、元となる作品がなんであるのかを読者は読み取ることが可能になります。
魔法使いの少女リサが、大地の妖精、森の妖精、風の妖精の助けを借りて魔王を倒す
この『リサの冒険(仮)』は、不思議な若者が三者三様の存在の力を借りて、邪悪なものを打ち倒す、という『桃太郎』の要素を借りて考えた物語?です。
ただし、「キーワード」がない場合、確証を持って元となる作品を探ることは困難となる為、題材としている作品がなんであるのかを読者に伝えたい場合は、「キーワード」を登場させる事になると思います。
逆に言えば、「キーワード」をそれとなく登場させるということは、読者に対して題材とした作品がなんなのか伝えたい、伝える事によって生じる効果を利用したい、という事になると思います。
また、これは昔話以外にも応用可能で
孤児院で育てられた桃花はインターネットで知り合ったモカ、ナナ、家持と共に合コンに参加し、資産家の男・鬼塚とであう
このように現代風のお話を作ることも可能です。
これはほんの一例ですが、仮に題材が『桃太郎』であっても、西洋のおとぎ話風の話や、推理モノ、恋愛モノ、ゴア表現のある作品のなど、あらゆるジャンルの作品を作り出すことが可能です(面白くなるか、は別ですが……)。
このように、既存の作品を題材にして、その物語に登場するキャラクターやモチーフの関係性を利用して物語を作る、ということは、物語を作成する上で基本的なテクニックであり、それと同時に、それによって「様々な効果」を物語に対して与えることができます。
例えば、今回紹介した例であれば、『桃太郎』の知名度にあやかることで、読者の興味を引いたり、作者と読者の距離を縮めたり、展開の予想を裏切ることでネット上での口コミを得ることを狙うことができる……かもしれません
(こうした既存の物語と同一の構造を持たせて物語を作ることの役割については『失楽園』と『リトル・マーメイド』の関係を考察したnoteや、『険しく長き筋肉の道!』を考察したnoteを参考にしてください)
実例は以上として、今回僕が伝えたいのは、登場人物同士の関係性を類似させることで、物語の大枠を一致させ、さらにそれによって物語にさまざまな効果を与えられる、という点です。
「東方編」と『失楽園』の大枠の一致
大枠の一致が関係性の一致であることを確認したので、ここからは「東方編」と『失楽園』の大枠の一致について考えたいと思います
さきほどミルトンの『失楽園』の章で『失楽園』における重要なモチーフを7つ確認したので、メギド「東方編」のきっかけを見ていきたいと思います
エルプシャフト文化圏のはるか東の地、壁に囲われた”カクリヨ”の地で、メギドの力を継承してきた東方12傑が、民を救うために反乱を起こします
本来の予定では、その反乱についてエルプシャフト王都へ報告することになっていましたが、彼らのリーダーであるお館様ことカガセオは、ハルマと協力関係にある王都からの支配から脱する為、メギドラルへ恭順し、黒き門を解放すると宣言します
カガセオの息子であるツルギはメギドラルへの恭順に対して異を唱え、これらの事実を王都へ伝えようと一人で壁を越える……
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この「東方編」のキッカケを元に、先ほど紹介した『失楽園』で登場する7つ重要なモチーフとメギド「東方編」の関係を見ていきたいと思います
※必ずしも一対一で対応している訳ではないので、一例を紹介します
神……絶対的な存在・人の親
ミルトンの『失楽園』において神とは、アダムとイヴを創り出した存在であり、また彼らに楽園を与えた存在です。
また同時に、悪魔に対して罰を与え、アダムとイヴを楽園から追放する、という側面も持っています。
「東方編」に関して、父親という面が何度も強調されているキャラクターといえばカガセオなので、「東方編」の中で、ミルトンの『失楽園』における神と対応している人物として注目するべきなのは、カガセオだと考えています。
カガセオは父親だという面だけでなく、指導者、信仰すべき対象として見たときも、東方12傑にとってはお館様であるカガセオは神のような存在です。
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一方で、初代東方12傑に対してカクリヨでの暮らしを許し、また直接の統治を禁止し、それを破った場合に対処を行うという面(人間に対して楽園を与え、約束を契り、罰を与える存在としての神)では、ハルマと協力関係にあるエルプシャフト王都が対応していると考えられるはずです。
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神のモチーフに対応する登場人物は他にも「為政者」という側面から愚帝アトラもまた、「神」の役割を果たしており、「反乱に敗れてしまう神」を描いている
悪魔……神を妬み、人を誑かす存在・堕落天使Satan
『失楽園』において、悪魔は自らの姿を蛇に変化させてイヴを誑かして人と神の関係を引き裂き、その己の傲慢さによって蛇という惨めな姿に変化させられてしまう存在です。
「東方編」における叛逆者悪魔は、様々なキャラクターに対応していると思われます。愚帝アトラや、チューチャオの母親であるツグミや、モレクを裏切ったタイガーセンポなども当てはまるはずです。
ただ、最も重要な「悪魔」はそもそもの発端である東方12傑の叛乱を指揮したカガセオだと思われます。
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男と女・人……支え合うべき関係・自分の半身
『失楽園』においてアダムとイブは神によって楽園を与えられ、悪魔によって誑かされたことで、破る必要性のない約束を自ら破ってしまい、楽園を去らなければならない存在です。
「東方編」では支え合うべき二人として様々な組み合わせが登場しており、ソロモン王とツルギくんの関係もまた、アダムとイヴに対応しているように思われます。
楽園を与えられた存在であり、楽園を去らなければならない存在という意味では、カクリヨを与えられた東方12傑がこれに当たります。
ただ、やはり重要なのは、マナナンガルとカガセオや、モレクとカガセオといった、カガセオに関する組み合わせだと考えられます。
楽園……苦労せずにすべてが手に入る場所・隔絶された場所
『失楽園』において、楽園はエデンの東の方にあり、周囲を壁に囲われた場所です。アダムとイヴが神から与えられた地であり、善悪の判断を知る木の実さえ食べなければ、望むもの全てが得られる場所ですが、人類は神との約束を破ってしまうので、この地を去らねばならぬ運命にあります。
いうまでもないかもしれませんが、「東方編」における楽園とは、エルプシャフト文化圏から隔絶され、周囲を壁に囲われた東方”カクリヨ”の地や、東方12傑の魂の故郷であるメギドラルが対応するはずです。
知恵の実・原罪……守らなければいけない約束
『失楽園』において、知恵の実とは人類の罪の象徴です。この実さえ食べなければ、望むモノ全てが手に入るというのに、悪魔に誑かされたことで貪り、人類は堕落し、その自らの悪により、善と悪の両方を知る事になります。
「東方編」においては、先帝(愚帝アトラ)をクーデターによって打倒し、本来であればそれをエルプシャフト王都へ報告し、許しを乞うはずでしたが、この際にカガセオは「自由を望み」がメギドラルへの恭順を示そうとします。
また、ツルギくんは父親であるカガセオの意に背き、一人でエルプシャフト王都に対して猶予を与えてほしいと交渉に向かいます。
これらの行為は、「楽園を与えてくれた神のような存在の意に自らの判断で背き、そして楽園を去らなければならないキッカケとなる」という点で、『失楽園』の知恵の実に当たると思われます。
また、単純に東方12傑の継承するメギドの力もまた、人の身を超えた力である点から、知恵の実といえるはずです。
惨めな姿……地を這いつくばる・喋れない・蛇
『失楽園』において、悪魔がイヴを誑かす為に一時的に取った姿が蛇です。しかし、悪魔はこの「人を誑かした」という罪から神によって罰せられ、姿を蛇に変化させられ、望むように話すことが出来ない、惨めな姿となってしまいます。
「東方編」では、東方12傑の継承するメギドの魂こそが、これに対応するはずです。
彼らは他のメギド達と違い、(似たような性質のメギドの魂も少なくありませんが……)望むように話すことができません。あくまでもメギドの力と、その記憶の一部として継承が繰り返されています。
アブディエル……叛乱の否定
『失楽園』においてアブディエルは特殊な立ち位置にいる天使です。天使Luciferの招集により集められた天界の1/3の軍勢の内、たった一人だけが「神に対する反逆」を否定し、その集会を抜け出して、神の元へ報告へ戻ります。
「東方編」では、メギドラルへの恭順に唯一異を唱え、エルプシャフト王都に対して先のクーデターの報告を行おうとしたツルギ君の行動が当たります。
……このようにそれぞれの関係が対応していることが伝わったでしょうか?
ということで、「東方編」と『失楽園』が大筋で一致してる……と僕は考えています
叛逆する金星
本筋に触れる前に、一応カガセオについて補足解説します
彼のメギドとしての名前であるカガセオや、ヴィータとしての名前アマツは、『日本書紀』に登場する天津甕星(あまつみかぼし)・香香背男(かがせお)に由来しています
この『日本書紀』に登場する天津甕星(あまつみかぼし)・香香背男(かがせお)は葦原中国平定の際に唯一従わずに抗った星の神です
そして、この天津甕星(あまつみかぼし)に関して、平田篤胤は金星を指していると考えていたそうです
また、『失楽園』に登場する、神に叛逆した堕落天使のLucifer(ルシファー)は、金星と関連する存在です
黎明の子、明けの明星よ、あなたは天から落ちてしまった。もろもろの国を倒した者よ、あなたは切られて地に倒れてしまった。
こうした点から、『メギド72』のカガセオは『日本書紀』に登場する香香背男(かがせお)と、『失楽園』に登場する堕落天使Lucifer(ルシファー)の類似を前提としたキャラクターであると考えられます
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東方編のカガセオはこの共通点を前提に、『失楽園』でLuciferが引き起こした神への叛乱と同じ構造を持つ、エルプシャフト文化圏からの独立を目論んだ叛乱を引き起こす存在として登場している
と、同時に『メギド72』のカガセオはメギド(悪魔)の魂を継承したヴィータ(人間)です
これは「東方編」漆『星が、落ちる時』でのマナナンガルとカガセオの関係を考えるとより明確であるように感じられます
また、カガセオは東方12傑にとってお館様であるカガセオは、基本的には神のような存在です
このように「東方編」全体を通じてカガセオは複数の『失楽園』のモチーフと重なっているので、僕は「東方編」捌『帰らばや、我が故郷へ』でのカガセオの活躍をとても楽しみにしています
『失楽園』との一致が何を意味するのか
仮にメギド72「東方編」とミルトンの『失楽園』が関連する場合、「東方編」全体や、あるいは「東方編」の各ストーリーに対してどのような効果を与えているのでしょうか?
メギド72「東方編」とミルトンの『失楽園』のモチーフの比較考察を通じて、私が注目した4つの役割を紹介したいと思います。
これらの考察を前提とすることで、より深くメギド「東方編」を楽しんでいただけたら幸いです。
以降は、ツルギ君の父親としてのカガセオをカガセオ(アマツ)、カガセオ継承以前のツルギ君をツルギ、継承後のツルギ君をカガセオ(ツルギ)と表記します。
未知なる世界へ
まずは「物語の中に登場する場所に対して、楽園・新天地という性質を与えることで、現実の世界とのリンクが強くなる」という役割について考えたいと思います。
この役割について考えるにあたって重要になるのが、ミルトンの『失楽園』の章で先に紹介していた、アダムとイブが楽園を出ていく表現です。
世界がーーそうだ、安住の地を求め選ぶべき世界が、今や彼らの眼前に広々と横たわっていた。 そして、摂理が彼らの導き手であった。
二人は手に手をとって、漂白(さすらい)の足どりも緩やかに、エデンを通って二人だけの寂しい路を辿っていった
ミルトンの『失楽園』では、アダムとイブは天使に促される形で楽園を出て、私たちが暮らしている世界(新天地・現実の世界)へ旅立っています。
それと対応するように、「東方編」『帰らばや、我が故郷へ』のラストにおいて、東方のメギドたちは、カガセオ(アマツ)に促される形でツルギの夢の世界(楽園)を出て、彼らにとっての現実世界、カクリヨの日常の中へと戻っていきます。
この「東方編」のラストの表現によって、「カクリヨ」は楽園を追われて人類がたどり着いた新天地としての性質を獲得します。
これはカクリヨだけではなく、むしろ現実の世界についても同じで、ミルトンの『失楽園』が私たちの暮らしているこの世界全体を新天地として描いたように、「東方編」は「壁に囲われた東の国」……海によって大陸から隔絶された東の島国、私たちの暮らしているこの日本に、新天地としての性質を与えることになります。
これによって、ゲームの世界が彼らの現実であることが強調され、また、私たちは彼らの体験をよりリアルな、身近なモノとして受け止めることになるはずです。
また、「東方編」を通して、ギリメカラとマガツヒが仲間にならなかったこと……東方12傑がそろわないことはとても重要です。
ギリメカラとマガツヒの二人は、それこそ『失楽園』でのアダムとイブであるかのように、カクリヨをでてメギドラルへと向かいます。
彼らにとっては、カクリヨは楽園であり、メギドラルは新天地であり、また、彼らはアダムとイブ……支え合うべき二人の人間なのです。
また、先ほども説明しましたが、カクリヨは私たちの暮らす日本との重なりを持ちます。
ギリメカラとマガツヒが去ったことで、カクリヨは楽園としての性質を獲得するので、これにより日本は擬似的な楽園性を獲得することになるはずです。
このように、ミルトンの『失楽園』はメギド「東方編」に対して、現実の世界に「新天地」・「楽園」という性質を与えると同時に、「東方編」の物語をより私たちの生活と身近なモノにするという役割を果たしていると言えるのではないか、と僕は考えています。
例え向かう未来が自分で決められても
もう一つの役割として「感情を読み取りやすくする」役割があると考えています。
ミルトンの『失楽園』では、神に対する信仰心を、アダムが神に対して抱く感情、イブがアダムに対して抱く感情、悪魔Satanがかつて神に向けていたはずの失われてしまった感情、神とキリストの間にある信頼関係など、それぞれの対比を通じて、どうあるべきかを描いています。
メギド72「東方編」もまた、カガセオ(アマツ)に対する東方12傑の忠義心を、それぞれの物語上の役割・関係性を通じて描いているのではないでしょうか?
対比関係が明確だからこそ、それぞれのカガセオ(アマツ)や、カガセオ(ツルギ)へ向ける感情や、その関係性が全く異なっていても、それらを比較することで、それぞれの持つ感情の細かな差や、その感情の持つ意味を汲み取ることが可能になったはずです。
そして、これはカガセオ(アマツ)やカガセオ(ツルギ)への感情だけではなく、私たちの他者を大切にする感情とも重なるはずです。
先ほど示したように、「東方編」は現実と重なるように描いていると私は考えています。
人が人に向ける感情は、それぞれに異なっていて、真の意味では理解・共感することは叶いません。
もちろん、そこまで厳密に理解・共感せずとも、生活する上では、何とかなるモノではありますが、それ故に私たちは孤独感を抱くことになります。
また、物語を読む上でも、キャラクターがその場で何を考えたのか、あるいは、ライターがその場で何を考えたのかを突き止める手立ては少なく、大ざっぱに読み取ることしか出来ません。
しかし、ミルトンの『失楽園』とメギド72「東方編」の構造の類似性によって、それぞれの関係性と、そこに見いだされる感情の類似により、感情の似ている点や微妙な違いを見つけ出すことが可能になります。
ミルトンの『失楽園』は真の意味での理解や共感とまではいかないまでも、物語の中に現れる感情や関係性に対して、より深い理解を促す役割を果たしていると思います。
人は皆 誰かのために歩み
さらに注目したいのが、「関係性の変化と不変的な想いが明確になる」という役割についてです。
メギド72「東方編」では、全体を通じて、カガセオ(アマツ)・カガセオ(ツルギ)それぞれが、各関係の中で『失楽園』の各モチーフと重なるように描かれています。
複数のモチーフと重なっているからこそ、カガセオ(アマツ)をカガセオ(ツルギ)は、そこに共通点を見い出すことが可能になり、さらにはツルギが「カガセオ」という名前・役割を受け継ぐことにより深い意味を与えているように思います。
というのも、物語のキッカケとしてのカガセオ(アマツ)とツルギの関係は、叛乱を指揮するLuciferとそれに異を唱えるアブディエルの関係に相当していました。
一方で、物語の終わり、『帰らばや、我が故郷へ』では、二人の関係は相互に「神ーキリスト」の関係にあるように思います。
カガセオ(アマツ)は、その命を対価に、ツルギの命を救い、カガセオ(ツルギ)は死から蘇ってカクリヨと東方12傑を統べる存在になります。
これによって、関係性が流動的に変化していることを強調し、また、その背後にある、カガセオ(アマツ)のツルギを想う不変の愛、ツルギがカガセオ(ツルギ)へと変化しても、その背後にあり続けた父を思う不変の愛あり続けていたことを、強調しているように思います。
複数の関係性の中で、複数の役割を持ち、それらが変化し、収斂する中で、一貫して描かれているからこそ、「愛」が不変的にあり続けたことが強調されているのです。
このように、ミルトンの『失楽園』は、「関係性の変化と不変的な想いが明確になる」ことを読者に対して明示的にする役割を果たしているはずです。
果てしない時をかけて想いを繋ぐ
最後に注目したいのが「人の思いを引き継ぐという行為の強調」という役割です。
ミルトンの『失楽園』は聖書を題材に、「死と苦痛」という人類が背負う呪いについて、その始まりが「人類の叛乱」にあった事を表現しつつ、その呪われた生の中で見だすことのできる唯一の「救い/赦し」として、神に対する悔い改めと祈りが存在する、というミルトンの考えが表現された作品です。
そして、今回の比較考察をするにあたって重要となるのは、人の祈りが継承されることで救いが達成されるという点です。
『失楽園』において、アダムとイブは二人だけでは背負いきれないほどの罪を犯しており、彼らの堕落によって未来の人類は呪われた人生を送ることになります。
この呪われた我々の人生の中で、(『失楽園』を通じて)ミルトンが「聖書」の中から見だした救いは「引き継がれていく祈り」です。
アダムとイブが神に対してそうしたように、一人一人の人々が心の底から自らの傲慢さを悔い、祈りを捧げ、そしてその想いを次の世代へと引き継いでいくことで、救いの主であるキリストが現れ、神との関係が正常化する……またキリスト教を真に信じることで、その流れの中に自分を組み込ませることが出来る、それが『失楽園』の中で、ミルトンが示した「救い/赦し」だと思います。
一方で、「東方編」では、継承とそれに伴う習慣が、カクリヨの地に呪いと祝福をもたらしていたように思います。
継承されていくメギドの力は、脅威から他者を守ることができる力であると同時に、その家系に関わる人々の生き方を定め、心の在り方を歪め、人間関係を狭めてしまっています。
しかし、この継承されるメギドの力は、引き継がれていく祈りでもあります。
ヴァイガルドの文化を愛し、守ろうとし、かつてのシバの女王の暗殺から救った古きメギド達の、「ヴァイガルドへの愛」「その世界に寄り添いたい」という想いは、力と同時に、その魂に紐づく記憶として継承され続けています。
このようにミルトンの『失楽園』と「東方編」は、物語の大枠について共通しているだけでなく、「人の思いを引き継ぐという行為」というテーマ性についても共通しており、このことによってテーマが強調され伝わりやすくなっていると思います。
ただ今回の場合は、テーマが単純に「同じ」であるということだけでなく、「手法」が引き継がれているというメタ的な面での共通点が重要です。
ミルトンの『失楽園』は、聖書に描かれた人の想いを汲み取り、ミルトン独自の考えに基づく救いについて描かれています。これは「聖書にある人の想いを引き継いでいる」と言えるはずです。
一方、「東方編」では、ミルトンの『失楽園』で行われている「原作にある人の思いを引き継いでいる」という手法を「引き継いでいる」のです。
つまり、「東方編」は「人の思いを引き継ぐという行為」をテーマとする作品を描きつつ、その手法さえも引き継いでいることになります。
テーマと同時に手法を引き継いでいることで、この物語は物語であることから解き放たれ、私たちの人生そのものに対するメッセージとなっている、と私は考えています。
これは、手法という物語の外側、メタ的な側面に目を向けさせることで、物語が描いたことが物語の外側へと、現実的な人間の営みと重なることで、メッセージが私たちの人生そのものと重なる……ことを意図しているのだと思います。
『失楽園』は「聖書」、特にキリスト教についての言及ですが、過去の人間の祈り・想いが引き継がれていくという継承の文化は、当然ですがキリスト教・宗教だけに限ったものではなく、その意味では私たちの人生とは誰かの祈り・想いを引き継いでいく行為である、と言い換えることが出来るはずです。
私たちが何か他者の想いを引き継ぎ、そして私たちの想いを次の世代の誰かに対して託していく中で、私たちはそれとどう向き合っていくべきで、どう向き合っていけるのか、そのことを「東方編」は継承メギドと比較することで、その差から浮き彫りにしている、というのが私の考えです。
『それは逃れ得ぬ呪縛』『自由への飛翔』『帰らばや、我が故郷へ』ではそれが特に明確に描かれていたと思います。
感想
ということで、今回の考察は以上となります。
お付き合いいただきありがとうございました。
長くなってしまいましたが、楽しんでもらえたでしょうか?
今後のnoteの参考にしたいので、以下のアンケートにご協力していただけると助かります……!
遂に、「東方編」が完結してしまいました。
喜ばしい事であると同時に、切ない読了感があり、僕は、その余韻にずっと浸っています。
……よかった。悲しいことも辛いことも、苦しいこともあったけど、ソロモンたちやツルギくんと一緒にカクリヨの地を冒険できたことは、何にも変えられない、素敵な時間でした。
さて、このnoteはメギドの日スペシャルムービーでの「東方編」の予告や、それに対するプロデューサーレターでの補足が出た段階で、「東方編」と『失楽園』の共通点について解説が必要になるはずだ、と感じたのがそもそもの始まりです。
ツルギがアブディエルの役割をするの、めちゃくちゃ楽しみ過ぎる。
— 72これ?!ラジオ (@72corre) July 15, 2022
「アザゼル」みたいにツルギくんが「カガセオ」を「継承」するかもしれないと思うと怖くて仕方ない。
— 72これ?!ラジオ (@72corre) July 27, 2022
カガセオを火葬してツルギがカガセオを継承するために先出で火葬文化に触れてる説ない?(俺の事前予想は外れることに定評があるぜ)
— 72これ?!ラジオ (@72corre) October 30, 2023
しかし、なんやかんやで、長い事放置してしまい、結局、東方編の完結に当たって、やっとなんとか、書き上がった、といった感じです。
今回のnoteで紹介した考察は、僕のこれまでの考察を見たり、読んだりしていると、ある程度、明文化されるほどじゃなくとも、自然と意識できた人もいると思うのですが
逆に、全く意識した事がない場合、見過ごしてしまう表現があるように思います。
(自力で気づくには、そもそも『失楽園』を読んでいる必要があるし、ソシャゲのテキストを読む際に、そうした別の作品を頭に浮かべるのはかなり難しいように思います)
それはそれでも、「東方編」を楽しめるだろうし、感想とは本来そういうモノだとも思うのですが、同時に「知りたい」人もいるかもしれない、いずれ役に立つかもしれないと思い、noteにまとめてみました。
このnoteでの内容を元に、「東方編」に込められた想いを、様々な人々で銘銘の考察を発表しあえたら、とても面白くなるなぁと思っています。
「東方編」にみれる工夫について、別の側面から扱ったnoteも公開しているので、ぜひこちらも合わせて読んでいただけると嬉しいです
なお、僕の考察に関する小見出しは『うたわれるもの』に関連するSuaraさんの歌う楽曲の歌詞を引用する形で利用しています。
それぞれ
「自由な風」(『モノクロームメビウス 刻ノ代贖』挿入歌)
”未知なる世界へ”
「adamant faith」(OVA『うたわれるもの』OPテーマ)
"例え向かう未来が自分で決められても"
「人なんだ」(『うたわれるもの 二人の白皇』OPテーマ)
”人は皆 誰かのために歩み”
「天命の傀儡」(『うたわれるもの ロストフラグ』 主題歌)
”果てしない時をかけて想いを繋ぐ”
からの引用となっています。
『うたわれるもの』は「東洋風」かつ、「人ならざる人」を描いており、さらには、ミルトンの『失楽園』のモチーフを利用したシリーズなので、今回の考察を扱うにあたって、重要になると考え、楽曲の歌詞を引用しました。
各種楽曲配信サービス・Youtube上などからも聴く事ができるので、ぜひ一度聞いてもらえると嬉しいです。
また、『うたわれるもの』『うたわれるもの 偽りの仮面』『うたわれるもの 二人の白皇』はスマートフォン向けリーダーアプリが無料で公開されており、それぞれのテキストを無料で最後まで読む・聴く事が可能です。「東方編」と比較すると、めちゃくちゃ面白いので、オススメです。
今後も「なにこれ?!」な考察を扱いますので、どうか応援のほど、よろしくお願いします。
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メギド「東方編」完結した上で見るこのイラスト、心がぐしゃぐしゃになる……。こんな過去があったかもしれないんだよな……。
— 72これ?!ラジオ (@72corre) April 2, 2024
デザイナーだより 5周年記念特別号・第2弾https://t.co/AjcmX1dQqJ pic.twitter.com/LequlnLrMn
また別のところでお会いしましょう。
コンゴトモヨロシク……。
参考文献
・メギド72「東方編」
各イベントテキストについて参照しました。
・ミルトン『失楽園』
ミルトンの『失楽園』英文テキストとしてダートマス大学「ミルトン読者室」を参照しました。
・岩波文化 ミルトン『失楽園』
ミルトンの『失楽園』の日本語訳テキストとして、平井正穂先生の翻訳テキストを参照しました。
・口語訳聖書
日本語の聖書として口語訳聖書(1955年訳)を参照しました。
・歌詞
「自由な風」(『モノクロームメビウス 刻ノ代贖』挿入歌)
「adamant faith」(OVA『うたわれるもの』OPテーマ)
「人なんだ」(『うたわれるもの 二人の白皇』OPテーマ)
「天命の傀儡」(『うたわれるもの ロストフラグ』 主題歌)
について、歌詞を一部引用しています。
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