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我田引水
GWが終わりましたが、とくに例年と変わりのないスケジュールでした。仕事と地域作業のGW。大型連休であろうとそうでなかろうと特に変わりはありません。
GWでの出来事を中心に書きたいと思います。
我田引水
地域作業に出なくてはいけない我が家のGW。地方に住むとこういう役割りも回ってくる。ぶっきらぼうな人もいればいちいち世話を焼いてくださる人もいる。基本的にいい人ばかりの集まりです。いい顔をしているだけなのかもしれませんが、胸の内の赤い舌までは見えない。
「自分さえよかったらそれでいい」とおおっぴらに公言する人はそれほどいません。しかし家族とか住んでいる地域とか国とか。どこまで広げて行けるかはそれぞれだと思うけど自分という範囲を拡げれば自分勝手にもなる。家族のため、という名目でごり押ししてくるのもよくあること。「ウチの若いもんは仕事だから」誰にだって仕事はある。
我田引水って人間の歴史のようなものだと感じます。
忘れていないのに
人間と人間が疎遠になる理由っていろいろあると思うけど、一番多いのが忘れてしまうこと。存在は知っているのに連絡したり、情報交換したりする場が途絶えてしまうと、それだけでわざわざ連絡を取らなくなってしまい、縁が切れたようにもなる。
「何かあったら」といってもそうそう何かなんてあるわけがない。どっかに落ちているようなものでもない。日々、日常の中でその人のことを思い出す回数がどんどん減っていく。そして人は孤立していくのだと思う。
最近連絡取っていないなという友人に久しぶりに電話しました。割りと早朝でした。変則的に入った仕事の現場に向かう途中のこと。その仕事というのも2~3年ぶりの内容の仕事。それを先の友人と以前請け負ったことがありました。
久々ともあり、懐かしくそのときのことを思い出します。「今しかないな」アドレスに残っていた番号を発信する。「お久しぶりです。どうしたんですか?」からいろいろと話がはじまる。
友人にもいろいろあったみたいでしばらく街を離れていたそうです。いくつか転々としていたようですが「もうすぐ戻ってきます」と。
いろいろあったいろいろを詳しくは知らないですけど、警戒している様子にいろいろの重さを感じる。
また縁が戻るとうれしいな。
光明想
GWだからというわけでもないのですが、瞑想の時間を作っています。瞑想は愛光流では明想といい、光明想という言葉で表現しています。
瞑想はただ座っていて覚醒するもの、目覚めるものと勘違いしている人が多いようで、まずは霊的知識が必要です。霊的な知識がないと迷う方向性に行きます。目的地に向かうとき、ナビに入力したり、マップ系のアプリで検索します。それが瞑想の場合だと霊的知識になります。
ただ道路を歩いていて目的地にたどり着けるとどこかで楽観視していますが、確実な方法は道順を調べること。そして道順の通りに進んでいるか確認することです。今どのあたりにいて、あとどれくらいで分かれ道が来て、分かれ道を右に曲がると坂があって、その坂を上ると・・・っていう道順。分かれ道を左に行ったらえらいこと。と、想像がつきますよね。それと同じで瞑想にも霊的知識がまず必要です。
明想って意外と科学的・・・。
あきらめず
足りないことがわかると焦りが出てくるし後悔もする。ただやるしかないし、やるんだろうけど、もっと大事なことはやり続けることなんだと思う。波がある、ムラとも言うのかもしれない。その波に乗りつつやり続けることだ。勢いのある時も穏やかなときも、寄せるときもひくときも、満ちるときも干るときも。くじけずにあきらめずにやり続けることだ。
やり続けることは才能だ。才能がないのだから、やり続けるということに努力するしかない。飽きっぽいとはまた違うんだよ。
GWであったことを中心に書きました。こうやって日々考えたり思ったりしていることばかりではなく、たまには整体のことや四柱推命、風水についてのこともnoteで書きたいなと思ってはいます。
本日もお読みいただき、ありがとうございます。
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