平等の方がおかしい
誰かが得をして、ぼくだけが損をする。それは不公平で、平等ではないと思ってきた。人間は大差ないし、平等に機会やチャンスが与えられないとおかしいと思っていた。
学校の先生は差別することはよくないことだと教えてくれたし、実際に差別はよくない。差別することと平等であることとの違いは教えてくれなくて、ただ言葉だけを教えてもらった。
いいことをしたら誰でも平等に褒めてもらえたり対価をもらうものだと思っていた。悪いことをしたら誰でも平等に罰せられると思っていた。
社会とはそういうものだと。
しかし、平等というものは幻想であり、画一的なものなのだ。平等という言葉は美しく、ぼくたちを憧れさせるけれど、平等なんてないのが普通のことで、ぼくたちがぼくたちの役割りを理解したら平等なんてあり得ないものだった。
ネズミ捕り
先日のこと。むすめを例によってそろばんに連れて行く。しばらくすると小雨が降りだした。霧雨のような小雨。ワイパーを操作しようかどうか迷うくらいの微細な雨。
対向車が突然パッシングをしてきた。「なんか光ったね」とむすめ。「あれは多分、この先でネズミ捕りでもやってるんちゃうか?それを教えてくれたんやで」
減速して、そのまま進むと案の定、ネズミ捕りをしてました。でも、もう機械を撤収しようとしていました。その先に待機しているパトカーも撤収しようとしています。
「ラッキーやったなぁ。あれがもう少し早いタイミングだとスピード違反で捕まっていたかも」「雨だからかも」「雨が降ったらおやすみで~」なんてふざけていたのですが、ほんの少しのタイミングの違いでスピード違反になったり、ならなかったり。違反しているのは同じなのに。
「平等なんてないね」っていう話をしました。
役割りがある=不平等
むすめは中学生だから、おそらく平等な社会とか世界は平等を目指すと言いうようなことを学んでいるのだろう。だけど平等なんてないよ、ということを言われて戸惑ったかもしれない。
世界にはたくさんの人間がいて、おそらくだけどそのひとりひとりに与えられた役割りというものがある。役割りがあって、役割りを果たすために生まれてきたはずだ。
その役割りというものがどういうものなのかは、それぞれに考え、模索したらいいと思うけど、その役割りを誰かがやるのなら、その人は必要なくなる。そんなことはないから、おそらく役割りというものが割り振られているはずだ。
役割りが同じではないから、平等というのはおかしい。ひとりひとりがかけがえのないものだと感じ、だいじなものだと思うと同じなはずがない。かけがえがないから不平等なのだ。
平等からオーダーメードへ
ぼくが不平等という言葉に出会ったのは歴史の時間。江戸時代末期から近代にかけての欧米列強の不平等条約。このときに不平等という言葉に出会った。そしてその言葉は悪いものだと印象を持った。
だから平等が好ましいし、平等でないといけないと習った。
でも世の中が画一化されていき、いろんなものがコピーされていく中で、その人だけに向けたものが重視されている。平等で画一的なものからオーダーメードなものへ変化している。
十羽ひとかけらにされるのをぼくたちは本能的に嫌う。それは役割りがあるからだろう。役割りの数だけしあわせの数も存在する。
平等ってないんだな。不平等であることこそが平等なんだなって改めて思った経験でした。
清次の小部屋 第55回 シリーズ光ルール② 不平等は平等
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