今年の暮れは『はっぴいえんど』の『ゆでめん』を聴こう。

 なんとなく『ゆでめん』を聴いていたらなんだかまるで別な音楽を聴いているような気分になりました。モノラル録音だし粗削りでアイデアもなんだかはっきりしていないしもちろんあのころには可能性や拒否する態度が大切だったせいでそのまま終わってしまったものたちが沢山あったのが回帰してくるような気分になったのです。今のようなホンモノよりももっとホンモノみたいに出来る技術が席巻してしまうとモノラルの技術のなかの生き生きした感覚があるのが不思議と新鮮にまるでそこに生きていたみたいに感じることが出来るようです。何かそういうのが新たな世界であるかのような。
 今のように何でもすぐにわかってしまうところから、もちろんそれはただそういう感じがしてるだけでむしろ実際は正反対でより深くよく物事を知ることがかえってできずにいるようなことなのですが、そんなとこから見ると、こんなことしかできなかったんだったこんなこと言ってるよ、と笑ったりバカにして済ますこともできるけどでも、実際によく聴いてみると、どうやらこの音楽にはその先があるのが感じられてしかたがありません。今から思うとあたり前のことだったのですが、この感じられる「その先」に向かわずにその後の時代的な経済的な政治的な転換やまた録音技術的なまた映像技術の可能性の示す方へと行くことになりました。「その先」ではない「可能性の示す方」に向って行った挙句になんだかわけがわからなくなっていま現在に至ることになったのでした。
 そんないま現在に『ゆでめん』を聴くと「その先」の瑞々しいまた若々しいとげとげしい拒否する態度やなんだか間違っちゃたなというようなことも分かっていて人の言うことだって一概に否定したりはしないでわかってもいて少し未熟で不安げで甘えるような気持ちがちっとも隠すことなくちょっと恥ずかしいくらいに剝き出しで裸みたいであったのが思い出されてなんだか独特のせつない気分が思い出されます。意外と頑なではなくて不機嫌なふりしてるくせにユーモアもあってその矛盾も気にしないちょっと変わったそういうふしぎな気分になることが出来ます。ためしに聴いてみれば面白い気持ちの世界が近づいて来たりして面白いかもですよ。
 最初に出てくる「春よ来い」を聴いてみましょう。このアルバムのほとんどの曲のテーマみたいなものは「その先」へと展開していくことはなくて今に至っているわけですが別にそれは全然わるいわけじゃい。だからというのではないけれどこの現在だって悪いことばかりでもないでしょう。個人的には誰でもそこそこいいことだってあるでしょう。そうでもないか。何のせいなのかというなら何かのせいなんです。だから拒否して押し返したい。そういう気分になれるような、変な話ですがそれは過去からやってきたちょっと奇妙で不思議な贈り物のようです。ちゃんと受け取って聴いてみたら。
 今年はびっくりすることばかりで大きな転換点が来ているという感じで来年が思いやられる感じですが『ゆでめん』聞くと少しは元気が出るかも。

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